大河の一滴 (幻冬舎文庫)
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「人はみな大河の一滴」という章タイトルに惹かれて読んでみた。10年前に発刊された本とはとても思えない。今、現在において、語りかけてくる本だった。大ベストセラーになったた理由に納得。単なるブーム本でなく、生き方に問いかける故なのだ。「大河の一滴」は輪廻転生の風土にマッチしていると感じる。平和に見える目前にある「心の内戦」、Aと非Aの共存(あれかこれかではなくあれもこれも)・寛容の関係、「悲」の思想が必要とされる時代など、10年経ってますます重要なキーワードになっている。
奥が深いですね・・・
私の勝手な感想です・・・
私は著者が、おりの中に閉じ込められて生活しているような感じがしました。
なにか不自由な感じがしました。
なにか抽象的で答えのないものを探し、追い求め、自分を責め、複雑で難しい生き方をしているのかなと思いました。
私の勝手な感想です・・・
私は著者が、おりの中に閉じ込められて生活しているような感じがしました。
なにか不自由な感じがしました。
なにか抽象的で答えのないものを探し、追い求め、自分を責め、複雑で難しい生き方をしているのかなと思いました。
本当のことを書く。
某所でこの本の担当編集者Sに罵倒されたことがある。その際の忘れられない言葉が、「俺にとって、読者が一人死のうが、二人死のうが関係ない」であった。
よくもこれだけ汚い言葉を吐ける人間が、五木氏の担当になれたものだ。また彼の本性も見抜けない、五木氏も五木氏である。
もしもこのレビューに文句がある人は、私ではなく、直接Sに投げかけてもらいたい。
某所でこの本の担当編集者Sに罵倒されたことがある。その際の忘れられない言葉が、「俺にとって、読者が一人死のうが、二人死のうが関係ない」であった。
よくもこれだけ汚い言葉を吐ける人間が、五木氏の担当になれたものだ。また彼の本性も見抜けない、五木氏も五木氏である。
もしもこのレビューに文句がある人は、私ではなく、直接Sに投げかけてもらいたい。
大ベストセラーの記憶も遠くない、五木寛之の書。龍谷大学で仏教史を学び、浄土真宗の影響を受けて育ったという著者は、紛れもなく骨の髄まで『門徒』だ。いや、むしろ彼の言葉を借りるなら、手の指、足の爪先まで真宗の流れを受けているようだ。
これは浄土真宗を広めるための宗教書ではない。
でも、この乾いた時世にこれからの人生を進もうという私達に『ひとつの手段』として、浄土真宗的哲学から、ヒントを与えようとしている。
押し付けるのではなく、淡々として口調で。
恐らく大方の人が意表をつかれたんじゃないだろうか?人間の暗さや絶望を認めることが、人生を受け入れる事であると、人生に希望をもって生きる事であると言っている。
繰り返すが、この本は今も続くベストセラーになった。
実利主義・競争主義の世の中に、本当は人間誰もが哲学を必要としている。個性や違いを認め合える寛容さを、悲しいとき一緒に悲しんでくれる存在を求めている。親鸞が生まれた時代も、今自分が生きるこの時代もそれは変わらないのだな、と思った。
乾いた現代で、傍らで微笑んでくれる存在、一緒に微笑んでくれる存在を求めている人間の性を、浄土真宗の視点で訴えた1冊。
これは浄土真宗を広めるための宗教書ではない。
でも、この乾いた時世にこれからの人生を進もうという私達に『ひとつの手段』として、浄土真宗的哲学から、ヒントを与えようとしている。
押し付けるのではなく、淡々として口調で。
恐らく大方の人が意表をつかれたんじゃないだろうか?人間の暗さや絶望を認めることが、人生を受け入れる事であると、人生に希望をもって生きる事であると言っている。
繰り返すが、この本は今も続くベストセラーになった。
実利主義・競争主義の世の中に、本当は人間誰もが哲学を必要としている。個性や違いを認め合える寛容さを、悲しいとき一緒に悲しんでくれる存在を求めている。親鸞が生まれた時代も、今自分が生きるこの時代もそれは変わらないのだな、と思った。
乾いた現代で、傍らで微笑んでくれる存在、一緒に微笑んでくれる存在を求めている人間の性を、浄土真宗の視点で訴えた1冊。
この本は自己肯定のススメだと思いました。世界の不条理に生きにくさや、生きるつらさを
感じ、そんな自分は弱い人間だと悲観していましたが、それでも私に生きる価値のある事を
伝えてくれるような気がします。
感じ、そんな自分は弱い人間だと悲観していましたが、それでも私に生きる価値のある事を
伝えてくれるような気がします。



