小学校の置き傘とか、電気ストーブの扱い方とか、百葉箱とか、「ジビインコウカ」とか。とっくの昔に忘れていたことやら、普段から気になっているけど話題にするまでもないので普段は忘れているようなことがらが次々と綴られて、読みながら「そういえばそうだった」とか「そうそう」とか思わずうなずいてしまいます。蕗子さんという名前の由来やら、百科事典のエピソードとかは、いかにも堀江敏幸という感じで。相変わらずいい人しか出てきません。「こんな世界なんて、あり得ね〜」と思いながら、ファンは「やっぱり読んでよかった〜」と思ってしまうでしょう。ほんわかしているようで、ふと頑固なものがチラっとする瞬間も相変わらず魅力的です。今回は、女性が主人公で、しかも40代と思しき微妙な年齢設定になっていたのが新鮮でした。
装幀は、オフホワイトの上品なカバーと内側の鮮やかなレモン色の対比が印象的で、本の魅力を増しています。
めぐらし屋
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「いびつさのなかにこそ親しんできた光景がある」ってことを、著者は主人公に語らせている。この小説は、これまであまり言語化されてこなかったような“いびつな”あるいは“どうでもいいような”光景を丁寧に言葉に定着させていて、読んでいて楽しい。例えば、「最初はほんのちょっとだけ入れてスプーンでよくかき混ぜ、黒くとろみのある液体になったところで湯を追加してそれを薄める」というインスタントコーヒーの入れ方。自動傘にはない普通の傘の「操作完了を告げる軽やかな機械音」の安心感、「火の組み合わせは三通り」で融通の利かない電気ストーブへの不満。日めくりの「先負」を、「なんと読むんだっけ?せんぷ、せんぶ、せんまけ、それとも、さきまけ?」。意外にこういうささいな事象への共感ってある。そして「薄皮の和菓子」と「仔猫のお腹」の感触、「百葉箱」と「牛モツ」の関係といった、ささいな記憶、事象同士の意外な接点。
もうひとつは「親しいとか親しくないとか、そういうこととはべつに、ひととのつながりは、こうしたちいさな交流の堆積からなっているのかもしれない」ということ。主人公は、父が死んではじめて父の裏稼業を知り、その役割を引き継ぐんだけど、こういうのって親子だからってことじゃなくてもあると思うんだよね。それもひょんなきっかけとか、予想もしない展開で。
人やモノってそれ自体いびつだし、人と人、事象と事象のつながりって整然としているわけじゃない。言葉にしようとするとどうしても、いびつな部分、ささいな部分がカットされて、通りの良い文脈に整形されちゃう訳だけど。実際は「連想ゲーム」のように、「ヒントは、それを与える側の感性と受け取る側の感性のバランスによって、残酷に変化する。正答をだれもが確信していたやりとりが、とんでもない方向にずれていく」ってことでさ。そこらへんの微妙な機微がこの小説には描かれていてとても面白い。
もうひとつは「親しいとか親しくないとか、そういうこととはべつに、ひととのつながりは、こうしたちいさな交流の堆積からなっているのかもしれない」ということ。主人公は、父が死んではじめて父の裏稼業を知り、その役割を引き継ぐんだけど、こういうのって親子だからってことじゃなくてもあると思うんだよね。それもひょんなきっかけとか、予想もしない展開で。
人やモノってそれ自体いびつだし、人と人、事象と事象のつながりって整然としているわけじゃない。言葉にしようとするとどうしても、いびつな部分、ささいな部分がカットされて、通りの良い文脈に整形されちゃう訳だけど。実際は「連想ゲーム」のように、「ヒントは、それを与える側の感性と受け取る側の感性のバランスによって、残酷に変化する。正答をだれもが確信していたやりとりが、とんでもない方向にずれていく」ってことでさ。そこらへんの微妙な機微がこの小説には描かれていてとても面白い。
階段を上るようなしぐさで、
物語は進んでゆく。
誰かの痕跡は、命の孤独を縁取る。
新宿の雑踏でも、田園風景の田の中にいても。
霧雨のようにおぼろげなのに、
事実、その影響が体にしみてくる。
あらすじを語れば目覚めた夢のように、くだらない。
それなのに、これほどの存在感は何なのだろう?
と、いつも思ってしまう。
物語は進んでゆく。
誰かの痕跡は、命の孤独を縁取る。
新宿の雑踏でも、田園風景の田の中にいても。
霧雨のようにおぼろげなのに、
事実、その影響が体にしみてくる。
あらすじを語れば目覚めた夢のように、くだらない。
それなのに、これほどの存在感は何なのだろう?
と、いつも思ってしまう。
堀江敏幸さんの世界は静かだ。
タイクツだけど心地がよく、どこかとぼけたようにゆるやかに進む。
作品の輪郭がはっきりせずに、
確信をつかめないままに流れるように幕を引くのだけど、
はっきりさせる必要なんかないように感じさせちゃう不思議な作品。
比喩や表現が突拍子もなくて面白い。
登場人物を描くにあたり
「○○さん」「○○君」と決して呼び捨てじゃないのもなんか力が抜けてていい。
きっとこれは雰囲気を楽しむ作品なのだと思います。
タイクツだけど心地がよく、どこかとぼけたようにゆるやかに進む。
作品の輪郭がはっきりせずに、
確信をつかめないままに流れるように幕を引くのだけど、
はっきりさせる必要なんかないように感じさせちゃう不思議な作品。
比喩や表現が突拍子もなくて面白い。
登場人物を描くにあたり
「○○さん」「○○君」と決して呼び捨てじゃないのもなんか力が抜けてていい。
きっとこれは雰囲気を楽しむ作品なのだと思います。
全くないわけじゃないけれど、堀江敏幸の小説で、女性が主人公なのは珍しい。
全く作風が変わるわけではない。離婚して、別に暮らしていた父の遺品である“黒い背にすり切れた金文字の商標が入っている厚手の大学ノート”を広げると、もちろんそこには、隠された出生の秘密や謎の女性の影……といったものは何もなく、読者は期待どおりの堀江ワールドに誘われる。すなわち、小学校時代、鍵のかかる木箱に納まっていた黄色い貸し傘、学級閉鎖の日にひょうたん池に落ちた少年、完結しないまま版元が倒産した百科事典、造り酒屋の美味しい水で煎れた緑茶と豆大福、濡れたハンカチのしまい場所に、うどん屋で飲むエスプレッソ……
主人公の蕗子さんは四十歳くらいの、会社勤めをしている独身女性なのだが、作中全くといっていいほど恋の話がない。これって小説としては珍しくないですか?でも、日常生活ではリアルじゃないですか?学生時代はあんなに恋愛の話をしていたのに、最近恋の話はしなくなって、実際何もなさそうで、まじめなのに時々妙にかわいいというか、色っぽい感じのする女性。冷え性で、長湯した夜更けに、アッサムのロイヤルミルクティーを自分ひとりのためにいれて飲みながら、さまざまのことに思いを馳せるような。
ああそうか、上司である蕗子さんを何の違和感もなく“蕗子さん”と呼ぶ若い重田君と、いい雰囲気になっていくのかなあ……と想像しつつ、あ、作者に愛されているんだ、とふと思う。きまじめで人のよい蕗子さんは、いつも作者のあたたかいまなざしに背後から包まれていて、それで何がなし色っぽいのかな、と。
一章ごとに余韻が漂う。初出の毎日新聞日曜版ではどんなレイアウトだったのか気になる。
全く作風が変わるわけではない。離婚して、別に暮らしていた父の遺品である“黒い背にすり切れた金文字の商標が入っている厚手の大学ノート”を広げると、もちろんそこには、隠された出生の秘密や謎の女性の影……といったものは何もなく、読者は期待どおりの堀江ワールドに誘われる。すなわち、小学校時代、鍵のかかる木箱に納まっていた黄色い貸し傘、学級閉鎖の日にひょうたん池に落ちた少年、完結しないまま版元が倒産した百科事典、造り酒屋の美味しい水で煎れた緑茶と豆大福、濡れたハンカチのしまい場所に、うどん屋で飲むエスプレッソ……
主人公の蕗子さんは四十歳くらいの、会社勤めをしている独身女性なのだが、作中全くといっていいほど恋の話がない。これって小説としては珍しくないですか?でも、日常生活ではリアルじゃないですか?学生時代はあんなに恋愛の話をしていたのに、最近恋の話はしなくなって、実際何もなさそうで、まじめなのに時々妙にかわいいというか、色っぽい感じのする女性。冷え性で、長湯した夜更けに、アッサムのロイヤルミルクティーを自分ひとりのためにいれて飲みながら、さまざまのことに思いを馳せるような。
ああそうか、上司である蕗子さんを何の違和感もなく“蕗子さん”と呼ぶ若い重田君と、いい雰囲気になっていくのかなあ……と想像しつつ、あ、作者に愛されているんだ、とふと思う。きまじめで人のよい蕗子さんは、いつも作者のあたたかいまなざしに背後から包まれていて、それで何がなし色っぽいのかな、と。
一章ごとに余韻が漂う。初出の毎日新聞日曜版ではどんなレイアウトだったのか気になる。



