アウステルリッツ
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今年のベストはおろか、オールタイムベストの一つとなるだろう作品。茫漠と広がる灰色の、セピア色の、モノクロの景色の中に極彩色の点景。行き過ぎる場所としての駅舎。記憶を湛える器としての要塞、ゲットー、あばら家、図書館、墓場。空間と時間、生者と死者、自己と他者、それぞれの記憶が言葉と像とによって紡がれる物語。小説が扱う最も基本的な素材をもってして、20世紀の終わりにこれだけの作品を作り上げたというその偉大さには言葉が無い。参りました。
装丁を見て惹かれたという理由で読み始めたのだから著者などにかんする予備知識などなかった。歴史や地史などまったく知識がないので、何ページか読んで青ざめたが、それでも読み終えてしまった。それからも取り出しては開いて眺めたりしている。
モノクロ写真が挿画として、てんでの大きさで入り込んでいる。これだけ眺めていても随分不思議な気分になる。この本を読んでからというもの、その文面によって描き出され、私の想像で創りあげた、あらゆる場面が時どきに浮かんでくる。私はそれを味わう。
殺風景なつめたい部屋で、正方形の写真を好きなように並べ替える年取った男の姿、一旦飛び立つと地面につかずに滑空し続けるつばめ、、
これを読むようになりしばらくしてから、著者は2001年に交通事故で死去していたと知った。大変残念に思う。
訳者の鈴木仁子氏に、これ以後もこの偉大な作家の邦訳書の普及者となっていただけることをのぞみます。
今月いよいよ二冊目が出版されること楽しみにしております
モノクロ写真が挿画として、てんでの大きさで入り込んでいる。これだけ眺めていても随分不思議な気分になる。この本を読んでからというもの、その文面によって描き出され、私の想像で創りあげた、あらゆる場面が時どきに浮かんでくる。私はそれを味わう。
殺風景なつめたい部屋で、正方形の写真を好きなように並べ替える年取った男の姿、一旦飛び立つと地面につかずに滑空し続けるつばめ、、
これを読むようになりしばらくしてから、著者は2001年に交通事故で死去していたと知った。大変残念に思う。
訳者の鈴木仁子氏に、これ以後もこの偉大な作家の邦訳書の普及者となっていただけることをのぞみます。
今月いよいよ二冊目が出版されること楽しみにしております
深遠で透明感漂う森に迷い込んだかのような、言葉の迷宮に酔いました。ヨーロッパ各地にある建築物や、それに類する歴史についての詳細な語りは、饒舌を通り越して幻惑、あるいは惑乱して、私などはもう一度文章の初めにもどって理解するなんてことが何回かありました。とにかく、一種の魔力がありました。しかし、自分の出自の謎を解いていくというのは、というか自分が何者なのかわからないというのは、なんと恐ろしいことなんでしょう。あの時代、混乱の極みにあったヨーロッパは無法地帯で、実際こういう境遇の人は数多くいたんでしょうね。アウステルリッツの頭の中では封印されて触れることのなかった、忌まわしい過去。この人類最大の汚点はけっして忘れられることなく、経験しなかった我々の心の中に居座り続けていくのでしょう
無数に繋がる記憶と物語の連鎖。「間違った世界」の中で、何かに取り付かれたように、自分をとりまくすべてのものを語ろうとする主人公、アウステルリッツの物語。その語りはときに飛躍し、ねじれ、どこかに飛翔したあと、しかしすべてが挿入された写真のような、暗い、モノクロのトーンをまとって読者のもとに辿り着いてくる。
自分というものを語ること。それはとりもなおさず、自分の周りのすべてのものを語ることに他ならない。しかしそれでもなお、それでは十分でないのだ。そこにあるのは永遠の徒労感と、しかしそれでも語ることをやめることのできない焦燥である。
この物語はそういう物語だ。カタルシスはない。アウステルリッツはどこにも辿り着かず、何かを得ることもない。彼はただ、闇の中のアライグマのような強迫観念をもって、何かを語り続けることしかできないのだ。何かを語るということ。その果てのない不可能性と、いわくいいがたい深淵を、この本からは学ぶことができる。私はどうしても(文中で語られていることではあるけれど)、アウステルリッツの想像の中の顔は、ウィトゲンシュタインのそれと重なってしまった。
ありきたりな感動も、明確な教訓のようなものも、この本の中にはないかもしれない。
しかし、この本は読まれるべき類の一冊だと、私は思う。
この手の、いかにも純文学という感じの本は苦手なのだが、わりにすらすら読める本だった。それは文体が難解でないこともあるだろうが、写真が多用されているせいだろう。私はこの写真が気に入ってしまった。白黒の、人のいない風景の写真が多く、写真を見ながら文章を読んでいると不思議な世界に誘われてしまう。
例えば、ヨーロッパの聖堂のように大きい駅の窓に清掃する人が二人、クモのように張り付いている。文章で指摘されていないと気づかないくらいの大きさなのだが、いわれてみると確かにクモのように見えて面白いと思った。
この小説はストーリーを追うというよりは、書かれているディティールを一つ一つ楽しむ種類のものだろう。たまに本を閉じて、空想の世界に遊びたくなる。ゆっくり時間をかけて読みたい作品。



