これは特定のテーマを追求せず、気の向くままに肩の力を抜いて書かれたエッセイ集である。
いつもの、小谷野の主張を理詰めで展開する作風は影を潜め、いうなれば「小谷野フィルターを通して憂き世を眺めたならば…」といった味わいである。
いきおい、題材はあちこちに飛び、「中島先生の武勇談」から「社会主義シナ」までと幅広い。個人的には、「中島義道並みに闘っている小谷野の姿」を明らかにした「軟弱者の言い分」の面白さに軍配を挙げたい気がするが、今回は散漫な印象はあれどもやはり氏の筆には突き抜けた面白さがあった。いつもながら妥協を許さぬ鋭いおちょくりぶりであった。
小谷野は自身について「正直者」と言っている。確かに普通の物書きですら「自らの立ち位置」を曖昧にしがちであるのに、氏の場合は他人をおちょくった後にも必ず「で、俺の場所はここらへんだ」というのを、いちいち自己申告している、というところにそれを強く感じる。あっ小谷野氏は俺とは言わないのだった。考えてみれば、おちょくりにおいては第一人者である斎藤美奈子などはそこらへんが潔くない。だいたい女はなかなか自分を笑いものにすることができない。(除くナンシー関)
この本ではじめて中島義道との親交(?)があることを知ったのだが、両者ともファンである私には興味深々である。「悪口を言われると喜ぶ中島先生」…なんだか、妙に興奮するなあ。私の頭の中ではいきなりムチとか蝋燭と中島先生の写真が交錯してしまう。小谷野は「中島先生は生きるのが下手なふりをしている人」と分類しているが、そうでしょうか。10年後には小谷野氏も中島先生並みの要領ぐらいは身につけておられるのでは。
俺も女を泣かせてみたい
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作家への批評、批判が主です。
それプラス、大学教授や教員への批判。
タイトルから、軽い恋愛エッセイかと思っていたら、大間違いでしたw
作中で、タイトルだけ見て評論する輩がいると憤ってらしたので、そのせいかもしれませんw
昔の作家さんの名前が出てきたり、政治のことを書いた作家さんが出てきたりしますが、ほぼ批判w
で、批判ばっかり読んでるとあまりいい気分にはならないものですが、「これ、やっかみじゃないの?」って批判の時には、素直に「うらやましい」と付け加える著者は、憎めないところがありますw
言葉の使い方に対する部分では、なるほどなぁとうならされました。
いろいろな批判が書いてはありますが、押し付けがましくなく、中立を保っているというか、絶対こうだ!ってきつい感じの書き方ではないので、思想が違ってもそんな不快感は出ないと思われます。
勉強になることも出てくるので、読書の秋におすすめかもしれません。
それプラス、大学教授や教員への批判。
タイトルから、軽い恋愛エッセイかと思っていたら、大間違いでしたw
作中で、タイトルだけ見て評論する輩がいると憤ってらしたので、そのせいかもしれませんw
昔の作家さんの名前が出てきたり、政治のことを書いた作家さんが出てきたりしますが、ほぼ批判w
で、批判ばっかり読んでるとあまりいい気分にはならないものですが、「これ、やっかみじゃないの?」って批判の時には、素直に「うらやましい」と付け加える著者は、憎めないところがありますw
言葉の使い方に対する部分では、なるほどなぁとうならされました。
いろいろな批判が書いてはありますが、押し付けがましくなく、中立を保っているというか、絶対こうだ!ってきつい感じの書き方ではないので、思想が違ってもそんな不快感は出ないと思われます。
勉強になることも出てくるので、読書の秋におすすめかもしれません。
小谷野氏はこの本のみならず、至るところで「命題というものは真偽が決定可能な文のことだ」「至上命題という語は意味不明であり誤用である」というような内容のことを書いておられますが、ここで氏が念頭に置いておられるのは、一般に「事実命題」と呼ばれているものです。数学や論理学は原則的に事実(のみ)を取り扱うものであるため、そこで単に「命題」と表記されてもこちらを指します。
しかしこれとは別に、「汝○○為すべし」のような形をもつ「当為命題」というものが存在します。これは必ずしも真偽という判断の対象にはなりません。したがって(小谷野氏が拒絶される)「至上命題」という言葉使いも、確かに純粋に日本語の過去の用法と照らし合わせた慣用的表現としては間違っているかもしれませんが、「今現在、他の何よりも優先されて為されて然るべきこと」などと解釈すれば、強ち見当外れな用法とも言えず、言語運用的にそれなりの妥当性を有していると思うのですがいかがでしょうか?
しかしこれとは別に、「汝○○為すべし」のような形をもつ「当為命題」というものが存在します。これは必ずしも真偽という判断の対象にはなりません。したがって(小谷野氏が拒絶される)「至上命題」という言葉使いも、確かに純粋に日本語の過去の用法と照らし合わせた慣用的表現としては間違っているかもしれませんが、「今現在、他の何よりも優先されて為されて然るべきこと」などと解釈すれば、強ち見当外れな用法とも言えず、言語運用的にそれなりの妥当性を有していると思うのですがいかがでしょうか?
以上のような細かい異論は幾つかありますが、小谷野氏の歯に衣着せぬ物言いには常々感嘆しているので、星五つ。
タイトルを見る限り、「もてない男」路線の本ではないかと多くの人が推測するだろう。しかし、それに限らない。
あまりにくだらないことでありながら、気になって仕方のないことがある。また今更恥ずかしくてたずねることが憚られるようなことであっても、実際多くの人が誤解している事だってある。そういったネタを、たくさんの資料と斬新な視座で斬っていく小谷野氏のエッセーはやはり魅力的である。痒いところに手が届くとはこのことである。極めてミーハーでありながら、限りなく学者的である。妬み嫉みを隠さずいるところとて、実に健全である。正直すぎるが、賤しさがなく、さわやかで、衒いがなく、自分の素朴な問いに誠実であり、ある意味真っ当な知識人と言えるのではないか。
実に痛快なエッセー集である。読みやすく、芸のある文章で綴られている。学問の始まりは小さな疑問と驚きであろう。忠実に資料にあたりながら、それを考え、わかりやすく書くのが学者として肝要なことではないだろうか。
小谷野版「徒然草」。“私怨のち義憤ときどき逸脱”“日々これ不穏”といった章タイトルをみてわかるとおり小谷野節全開。
さまざまな雑誌に掲載されたエッセイの集成だが、私は小谷野氏と興味の方向性が似ているらしく、日頃思っていることがいくつか話題になっていた。たとえば「ハムレット」の“生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ”というセリフは誰の訳なのか、西洋には人名をタイトルにした小説が多いが(「ドン・キホーテ」「ロビンソン・クルーソー」「オリヴァー・トゥイスト」などなど) 日本では「大津順吉」くらいなのはなぜか、といった高尚なものから、なぜ芸能界では夜でも「おはようございます」なのか、校長先生の話はなぜ長いのか、傘はなぜつかいにくいのか、以前の大河ドラマで保坂尚輝(大野治長)と小川真由美(淀殿)のラブシーンは一体何だったんだ?……あるいはベストセラーになった新書「もてない男」でどのくらい印税が入ったのか、結局小谷野氏は風俗店に行ったことがあるのか……もやもやが全て解決したよ、ありがとう、小谷野さん。
ところで漱石の「草枕」に“智に働けば角が立つ、情に棹させば流される”という有名な一節があるが、小谷野氏は当然前者を選ぶそうで、そういうタイプは女を泣かせるよりは女に泣かされるそうです。私は前者が好きだがな。ま、性格のいいブスと性格の悪い美人なら後者を選ぶ、という小谷野氏には嬉しくないだろうが。
さまざまな雑誌に掲載されたエッセイの集成だが、私は小谷野氏と興味の方向性が似ているらしく、日頃思っていることがいくつか話題になっていた。たとえば「ハムレット」の“生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ”というセリフは誰の訳なのか、西洋には人名をタイトルにした小説が多いが(「ドン・キホーテ」「ロビンソン・クルーソー」「オリヴァー・トゥイスト」などなど) 日本では「大津順吉」くらいなのはなぜか、といった高尚なものから、なぜ芸能界では夜でも「おはようございます」なのか、校長先生の話はなぜ長いのか、傘はなぜつかいにくいのか、以前の大河ドラマで保坂尚輝(大野治長)と小川真由美(淀殿)のラブシーンは一体何だったんだ?……あるいはベストセラーになった新書「もてない男」でどのくらい印税が入ったのか、結局小谷野氏は風俗店に行ったことがあるのか……もやもやが全て解決したよ、ありがとう、小谷野さん。
ところで漱石の「草枕」に“智に働けば角が立つ、情に棹させば流される”という有名な一節があるが、小谷野氏は当然前者を選ぶそうで、そういうタイプは女を泣かせるよりは女に泣かされるそうです。私は前者が好きだがな。ま、性格のいいブスと性格の悪い美人なら後者を選ぶ、という小谷野氏には嬉しくないだろうが。



