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運命の足音 (幻冬舎文庫)
五木 寛之
価格: ¥500 (税込)

文庫
出版社: 幻冬舎
発売日: 2003/07
ISBN: 4344403975
おすすめ度:5.0
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五木文学の総決算か?
 ソ連兵に殺された母親について初めて五木が語りだした。

「それから一人が寝ている母親の布団をはぎ、死んだように目を閉じている母親のゆかたの襟元をブーツの先でこじあけた。彼は笑いながら母の薄い乳房を靴でぎゅっとふみつけた」(16ページ) 

「大河の一滴」や「他力」を読んで、私は五木寛之は自分のもっている闇を乗り越えたのだと思っていたが、それは間違いだったかもしれない。

母親の写真を送ってくれた未知の読者に「説明のしようのない理不尽な怒り」を感じるというのは尋常ではない。野坂昭如のように自分の戦争体験を表に表現できる人はまだ傷が浅いのかもしれない。五十数年間、心の中にこの体験を秘めて創作活動を続けてきた五木の傷の深さには声の出しようもない。五木のトラウマはいまだ癒されていない。

  しかし、一方、それまで語れなかったことを「語りだした」ということは、癒しへの第一歩を踏み出したのかな、とも思ったりもする。

 ひょっとすると、五木の今までの膨大な創作活動は、この事件を告白するまでの準備作業だったのかもしれない。

生きる。
日本が第二次世界大戦に敗れた昭和20年。当時12歳だった著者は植民地を支配していた朝鮮半島北部のピョンヤンで敗戦国の国民となり、ソ連軍に追い立てられる。暴行や略奪に教師である父は抵抗する手段も持たず、それを期に病でふせっていた母が死の道へ。戦後57年、作家として生きてきた著者の心の闇にようやく聞こえた母の「いいのよ」の声。衝撃の告白的人生録。
肩の荷がおりました
現在日本には良いことがなく、苦しんでいる人が少なくないと思います。しかし、苦しんでいるのは決して自分達が悪いのでは無く、それは自分達にはどうしようもない運命のせいであり、自分達は決して悪くないと、五木さんに言ってもらって随分気持ちが楽になりました。
大事な一冊
近代化、欧米列強に追いつく富国強兵、戦いに敗れた後経済力で一等国を目指した日本。長い歴史の中で培われた日本人の持つ特性、普遍性を押し殺し、キリスト教に裏打ちされた西洋文明をモノマネしてきた日本。暫く時がたち最近の日本を「良好」な状態だと思う人はまずいない。毎日が息苦しく、周りがどんどん暗くなっていく。近代思想、合理性、科学的といったことを尊んできた現代文明が揺らいでいる。こういった西洋文明は、キリスト教という宗教が背景に培われた思想である。日本は、仏教、神道等何でも一緒にしてしまうあいまいな宗教心の持ち主である。中近東の宗教戦争を見ても、むしろこの宗教へのあいまいさの許容は大切なことなのではないか。五木寛之は、小説家という、「言葉=思想」文化を担った人たちの時代迎合的姿勢が、日本を現在のように導くことに荷担していたと感じているのではないか。今、五木寛之が語る言葉は、贖罪のようにも思えるし、言葉を職業にする人たちの懺悔のようにも思える。その言葉は胸を打ち、自分という存在を省みるきっかけとなるだろう。
読書後、ココロが解き放たれる良書です。
小説なのだろうと思って購入した。題名よりも、帯に大きく書かれている「迫りくる運命の足音」よりも、その下に小さく書かれている「これを言ってしまわなければ死ねない、とずっと思っていた」という言葉に衝撃を受け読んでみた。

思いが深い分きっと一気に書き上げたに違いない。
つい最近の事件事故の記述もある。

ある意味、五木弘之の個人史であり日本史であり世界史ではないだろうか。戦争・宗教・経済・文学その他、内容も幅広く重みもあるのに、親戚の伯父さんから「大事なことを伝えるよ」と優しく言われているような気もする。さまざまな角度から読む人の心に染み渡り共鳴しその人のココロを昇華していく役目を持って生まれてきた本のように思える。

ドフトエフスキー・マックス ウェーバン・高田露伴・小林秀雄・江藤淳・小津安二郎・太宰治その他数多く各界著名人の名前も見られ、引用された言葉も存在感を持ち、まつわる話しも奥深い。重い内容なのに読書後は穏やかに慈愛に満たされる。是非多くの方に読んでいただきたいお薦めの一冊です。




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