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マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)
バタイユ中条 省平
価格: ¥440 (税込)

文庫
出版社: 光文社
発売日: 2006/09/07
ISBN: 4334751040
おすすめ度:4.5
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バタイユ文学の根底にあるもの=裸の純粋性

バタイユを語るとき、必ず「エロティシズム」が引き合いに出される。
しかしこの「エロティシズム」というものは、ある意味で非常に曖昧だ。

私はバタイユは、人間はエロティシズムを通過することで、
己の孤独を知り、己のすべてを取り去った「裸」の自分を自覚することができる
と考えていたと思う。

ただ私はあまりバタイユの言葉を「理屈」で理解したいとは思わない。
彼の言葉は、挑戦的な、感覚的な「詩」である。
読者はそれを「読む」のではなく、「感じる」こと。

だからこそ彼はこの本の冒頭で、

 きみがあらゆるものを恐れているなら、この本を読みたまえ。

と読者に言う。エロティシズムとは何かを彼は語っているのではない。
エロティシズムの先にあるものこそ、ある真実だと彼は信じている。
そのことを語っているのである。

2作ともシンプルなストーリーだが、あっと言う間に傍線だらけになってしまう、
いくつもの「ことばの断片」が、無遠慮にこちらのこころに踏み込んでくる。
その不思議な感覚こそが、バタイユなのかもしれない。
バタイユの光芒いまだ
生田耕作や澁澤龍彦らのエロティシズム文学への理解は、たとえ彼らが先蹤をつけたフロンティアであったとしても最早古いと思われる。澁澤などはバタイユの『エロティシズム』を読んで自決した三島への回顧として「俺が訳した『エロティシズム』を読んでいればあんなことにはならなかったのに」と言ったという。いかがなものだろうか。

バタイユの美的理論なるものが、人間存在の根幹の一端に触れているのは間違いないが、三島自決云々とはおそらく関係はなかっただろう。岡本太郎が凄いなどとは一度たりと思ったことのない評者からすれば、パリの場末の売春宿での交流以上とも以下とも考えられない。それは直接的な交流であろうが、間接的な交流であろうが、同様の範囲に収まるとしか思えない。
いずれにしても、澁澤もバタイユも過大視されすぎているというのが評者の本音だが、本書が面白い小説であることは疑い得ない。コクトーなどの詩的なお遊びと違い、とにかくイッてしまっている。
ベンヤミンとも交流があったらしいバタイユはその交流の場に何かを生み出した人ではあると思われる。
他面、主著とされる『呪われた部分』は普遍経済論序説などとして、かつて浅田彰が絶賛していたようだが、浅田は経済学者としてまともにこれを論評した気配はなく、その「蕩尽」なるキーワードにキッチリとした経済学的な定位がなされたとは言い難い。一つ間違えばトンデモ本の一種になりかねないものだということも押さえておいたほうがよかろう。ニーチェとヘーゲルの交差とか何とか、当方不勉強にして何のことかさっぱりわからない。
「眼球譚」=「目玉の話」
優れた既訳がある作品に、果敢に挑んでこその「新訳」。
これは、バタイユの饒舌と混沌を、驚くほどのリーダビリティで現代日本語に見事にすくい取った、快著である。
中田訳「眼球譚」に慣れ親しんだ目にも、清新でしなやかな「文体」には瞠目させられる。
こんな話を、こんな簡単に、しかもちゃんと深く、読めてしまっていいのか…と、これから読む若い人たちが心配になってしまいます。
裸であることの不安
「…きみはひとりぼっちか?寒けがしているか?
 きみは知っているか、人間がどこまで「きみ自身」であるか?
 どこまで愚かであるか?そしてどこまで裸であるか?」(冒頭より)

「スキャンダラス」「変態」「エロティシズム」。
バタイユを語る言葉はいろいろあるけれど、根底にあるのは「不安」ではないかと思う。

みんなが当たり前に服を着ている現実に、自分だけ裸でいるような不安。
なじめない、戻れない、だけど服を着ることは自分にとってひどく難しい。
そんな不安と孤独が、両作品の中に流れているように思える。

同じエロティシズムでも、「マダム・エドワルダ」と「目玉の話」では、描かれ方がずいぶんと異なっているのも興味深い。
(結びつけられるものが、前者は星空、後者は目玉)

バタイユの作品はおそらく、理性的な批評など必要としていない。
読んだあとにあるのは、もっと感覚的で直感的なものだと思う。
さらけ出して、暴かれるようで、しばらく妙な余韻が残る。
バタイユを見よ
昨今岡本太郎との関係などで誤解を招き易いバタイユ。
「悪の秘密結社のリーダー」「魔術でナチを攻撃した男」
マスコミが語る虚のバタイユ像は全て捨てて、この本に挑むこと。
バタイユが提示し続けたコミュニオンや聖なるもののあらわれに、
これほどまで簡素な文章で触れることができるとは。
訳者、そして古典新訳シリーズにただただ頭が下がるばかりです。



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