ともあれ、しがらみでがんじがらめにしてしまうのは家族ですが、救いを求められるのも家族だな、と。大家族ってうるさいけどいいよなって思わせてくれる小説です。
あのころ、私たちはおとなだった (文春文庫)
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私の人生ってなんだったんだろう、と主人公が自問しながらストーリーが展開していくのですが、大人の読者は読みながらきっと、自分自身の人生を振り返ることになります。あの場面であんなことしていなければ、とか、思い切ってこうしていればどうなっていただろうか、とか。後悔・反省ばかりで埋まった自分の生き方に重ね合わせると、結構辛くなります。前だけ向いていける人生ってそう多くはないですよね。
二桁以上の人物が入り乱れるパーティ・シーンで、一人一人のキャラクターをきちんと書き分けながら、ヒロインが物語にしめる位置関係やその心理の襞まであますところなく読者に伝える筆の冴えはすごい。ストーリーの展開が流暢で無理がなく、収拾のさせ方も堂に入っている。噂通りの凄腕。ただ、いかんせん登場人物に魅力がない(あくまで、私にとって)。がさつで自分勝手で他人の都合などお構いなし。ひたすら自分のことにかまけている。多かれ少なかれ誰でもそうなのだから大目に見てもよさそうなものだけれど、大目に見ることができない。「愛すべき」凡人の凡庸な人生談義に耳を傾けるほど暇じゃない。「人生分岐譚」としての結構にも快感がない。(「アン・タイラ-フリーク」の平安寿子さんが解説で「西洋落語」と書いているけれど、落語の芸にはそれが成り立つ文化の共通基盤というものがあって、私はその基盤を共有していない。それだけのことかもしれない。でも、いったんハマったら病みつきになるでしょうね。)
「思えば遠くに来たものだ」
人生の途中で、思わずそうつぶやいてしまう人なら
この本を共感をもって読むことができるんじゃないかな。
若い頃に思い描いた未来とはかけはなれた現実をおくっている「私」。
瑞々しく幸せだった頃の自分のイメージを追い求めながらも
そこからどんどん離れていかざるを得ない日々。
人生の途中で、思わずそうつぶやいてしまう人なら
この本を共感をもって読むことができるんじゃないかな。
若い頃に思い描いた未来とはかけはなれた現実をおくっている「私」。
瑞々しく幸せだった頃の自分のイメージを追い求めながらも
そこからどんどん離れていかざるを得ない日々。
主人公は夢の中で、架空の息子と出会ってから
本来の自分を取り戻そうと、ささやかな冒険を試みる。
でも、たどり着いた先は・・・。というお話し。
主人公を取り巻く人々の中で特に異彩を放っているポピー老人の
「ほんとうの人生なんてものはない」前後の台詞に
作者が、この本で言いたかったメッセージが
込められていると思います。
出版社の新刊案内にあった「人生をやり直すのに遅すぎることはない-そう決意した53歳の主婦の冒険を絶妙なタッチで綴った待望の最新作」という解説を見て、「自分さがしの大冒険物語」を期待して読みました。しかし、「これでも冒険なの?」というのが読んだ後の実感です。
しゃれた会話と日常生活の描写を楽しみにしているファンの方は充分楽しめると思いますが、わたくしと同じように「冒険物語」を期待する読者はがっかりすると思います。
「パッチワーク・プラネット」以来久しぶりのアン・タイラーの新作。「最近のものは少し退屈になったかなー」と考えていたが、これは久しぶりに往年のアン・タイラー節が復活。すれ違いながらも、妙な瞬間にふとつながる人間関係(家族愛)をベースに、たくみなユーモア(これが素晴らしい)と人生の底意地の悪さを「そんなもんか」と達観する人間のたくましさがストーリーから滲み出る。個人的には「アクシデンタル・ツーリスト」「夢見た旅路」「歳月のはしご」の次ぐらいの傑作だと思う。



