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論争・学力崩壊 (中公新書ラクレ)
中井 浩一「中央公論」編集部
価格: ¥798 (税込)

新書
出版社: 中央公論新社
発売日: 2001/03
ISBN: 4121500024
おすすめ度:4.0
Amazon ランキング: 286572位
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ロードマップ
本書は氾濫する「学力」論を読み解く上での道しるべである。

学力崩壊は、いくつかの論陣にわかれて意見が主張される。本書が高く評価されるのは、多種多様の意見を取り入れ、それぞれ論者の違いを明確にしている点にあろう。彼等の提案ををそれぞれ俯瞰で眺めると、学力論の多くが発言する本人に都合の良い意見が多く、残念ながら生徒の側、つまり教育サービスを受ける側の視点がすくないことがわかる。また現場の意見が軽んじられていることも浮き上がってくる。

本書は学力論を叩き台にした、教育世界の地図である。それぞれの立場にある教育論者の意見を参考にしながら、我々が次に行くべき場所を決めるための、優れたロードマップである。

現在の教育論争を1冊で概観できる。
 タイトルは際物っぽいのですが、多くの方が雑誌や本に書いた論説インタビューをまとめたしっかりとした内容の本です。「分数のできない大学生」の西村和雄氏からゆとり教育推進の文部科学省の寺脇 研氏まで多彩なメンバーの主張をほぼこの一冊で知ることができます。2002年度から始まる完全週休2日制や学力低下問題を考えるとき、とりあえずこの一冊を読むと効率よく今の教育界でどのようなことが議論されているのわかります。
公平な立場からさまざまな論争が見えてくる
 本書は、いわゆる「学力崩壊」について公平な立場から、さまざまな論者・専門家の論議・意見を紹介している。「学力崩壊」と言っても、その定義は、人によりまちまちで、各々の定義に基づいて主張しているようだ。これは、論者が一同に会して、共通の定義づけをした上で、論議・主張していないことによる。

 文部科学省を中心とする「ゆとり」教育推進派の主な主張は、①エリート教育を推進するつもりはない。②学習内容を3割削減した「ゆとり」を利用して、全ての生徒に100%理解してもらう。③義務教育の間は、今までよりもゆっくりと、高校以上は、これまで以上にスピーディーに学習することで、最終的に、社会に出る頃には、現行システムと同レベルの学力に達する。④基礎学力よりも思考力・判断力などの「生きる力」の育成に努める。⑤授業内容が3割削減されたと言っても、それは、必要最低のミニマムであって、もっと勉強したい生徒がいればすればよい、⑥これまでの「教育改革」のデータは検証せずに、ともかく、この改革をやってみよう、などである。

 一方、改革に否定的、懐疑的な立場からは、①思考力・判断力を育成するのに、まず基礎学力の体系的な習得が欠かせない、②科学的な検証に基づいて改革の論議をすべきだ。諸外国では、むしろ徹底した基礎学力の習得と到達度試験のために、教育改革が成功しているが、わが国は、その逆のことをしようとしている、③授業内容を3割削減しても、優秀な生徒の学力は、それほど低下しないが、大多数の生徒は、基礎学力が低下する、トータルでは、損失が大きい。④人生の早い段階から、生徒自らが適切な選択科目を履修するとは考えにくい。生徒は、安易に科目を選択する一方で、教師・学校は、「生きる力」の授業といっても効果的な授業を展開できない、⑤大学入試・卒業システムの改革こそが必要で、初等・中等教育の改革だけを論議しても空論となる、⑥公立が3割削減された授業をミニマムだと言われても、実際の運用面ではマキシムとして捉えられてしまうし、従来もそうだった、⑦その結果、公立離れが進み、公立の荒廃化、私学・塾への流入が加速する、⑧「ゆとり」教育で生まれた時間を3割削減された授業の履修に費やしてしまい、結局、基礎学力の低下だけが残る、⑨「生きる力」の授業をしようにも、人員・予算の制約が大きく、現場は当惑するばかりであって⑩「ゆとり」教育や「生きる力」の教育改革に失敗しても、文部科学省は、誰一人責任をとることはない、と要約できる。

 本書は、「どのような改革が理想的なのか」について最終的な結論づけをしていない。それだけ難しい問題ということであろう。したがって、読者は、以上の論議を踏まえた上で、自分なりに模索・検討し、よりよい改革について考えるべきことになろう。

本格的な教育論争が面白い
「なぜ勉強しないといけなのか」と子供に問われ、「良い学校にいけて、良い会社に勤めて、給料を一杯もらって楽な生活ができる」と答えれば「なあんだ。今、楽な生活をしているのだから、勉強なんかしたくない」と言われる笑い話がある。

豊になった現代の社会において、子供達が学ぶことにモチベーションをもつことは中々難しい。そこに、受験戦争の反動もあって文部省のすすめる「ゆとり教育」による学習指導要領が加わり、日本の大学生の学力は驚くほど落ちているという話だ。このいわゆる「学力低下」問題は、従来の日教組と文部省の間のイデオロギーをふくんだ教育論争とはことなり、「社会主義平等主義」教育を推進しようとする文部省と、大学教育現場という新たな対抗軸による論争だ。

論争という形をとっている本書は、双方の主張を取り上げており一方に片よりがちなこの種の論争の論点を、くっきりと浮かび上がらせている。

そもそも、「学力低下」が事実なのかどうかも、現状の日本の教育データ―の不備から、必ずしも明確には言い切れないことは、本書を読んで以外な感じがする。

一方が「学力低下」は目を覆うばかりだといっているのに、片や「巷間いわれるほどの学力低下はない」とする意見があることから、実はこの論争はそんなに単純な問題ではなく、「教育」というものの価値観の論争なのだということが明らかにされている。

そうなると国家にとっての「教育」とはそもそも何であるかといった点までこの論争は掘り下げていかなければならない。このような多岐にわたる教育論争は実に興味深い。教育は国家の基礎だとはいうもんもの、国策として学力の向上をはかることは、これだけモチベーションが見出せない教育の現場をみると果たして可能なのかと大いに疑問に思えてくる。何も教育に限らず、日本の社会がモチベーションを見出しているのかという疑問にも繋がって行くように思う。

「学力低下」論争において、大学生がバカだといっている大人達も昔にくらべれば、かなりバカになっているというのが現状ではないだろうか。

読めばわかる!
 現在の日本の教育界、および社会においても「学力低下」という単語が頻繁に存在する。だが、「学力」とは一体何か。それに大して定義づけする人は殆どいない。

 この書は、その「学力とは何か」ということや、現状の教育現場において、昨今の日本や他諸国に対比して、どのような変化が生じているかを議論や論文形態でわかりやすい手法で私たちに教えてくれます。  私と同じ様に教員を目指している人、現在教員として働いている人、また興味があるという人にもお勧めの書だと思います。




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