長編『族長の秋』、中篇『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』、そして短編五編を収めた作品集です。ガブリエル・ガルシア・マルケスは、その作品の長短を問わず、秀逸な「お伽話」を紡ぐことができる作家なのだと再認識させられます。
気候や風俗などに表現される風土に、主人公、脇役、そして群集を配置し、控えめなユーモアと柔らかな風刺を振り掛けると、現実と夢想が渾然一体となり、時間と空間は物理的制約から解放され、鮮烈なイメージに満ちたお伽話が現れて来ます。それはわずか十ページ程の小品においても例外ではありません。
個人的には、この作品集の中で『この世でいちばん美しい水死人』が最も印象に残りました。漂着した男の水死体を巡って、鄙びた海辺の村に巻き起こった騒動を描いた小品です。水死体の美しさに女達は沸き立ち、男達は翻弄され、しかし最後には水死体を美しく着飾って海へと流します。ただそれだけの物語の中で、死(水死体)と生(村人達)、美(美しい水死体)と醜(荒れ果てた村)の対比が際立ち、しかし最後には渾然とした空気に満たされるのです。
近日『エレンディラ』が蜷川幸雄の演出で舞台化されますが、私は非常に不安になっています。舞台と文学は、技法においても接する者の心の動きにおいても決定的に異なっており、それを演出家が理解して原作を尊重することが困難だからです。『ボヴァリー夫人』を原案としながらも、『アブラハム渓谷』で映画ならではの世界を築き上げたマノエル・デ・オリヴェイラのような節度を、演出家が備えていることを期待しています。
蛇足ですが、『マルケス全小説』の折々に挿入されているチラシに書かれている、大江健三郎のコメントを削除することはできないものでしょうか。マルケスの名を利用して自らを称揚するかのような彼のコメントは、大作家として節度を欠いたもののように思われます。
族長の秋 他6篇
ガブリエル ガルシア=マルケス/Gabriel Garc´ia M´arques/鼓 直/木村 榮一
価格: ¥2,940 (税込) 単行本 出版社: 新潮社 発売日: 2007/04 ISBN: 4105090127 おすすめ度: ![]() Amazon ランキング: 67684位 発送可能時期: 通常24時間以内に発送 ![]() |
個人的に「族長の秋」はマルケスの作品で一番好きな作品です。マルケスはその饒舌な文体を好きになれるかなれないかが好悪の分かれ目だと思うのですが、密度というのでしょうか、僕個人の読書力ではこの長さが限界のような気がします。「百年の孤独」なんかはそういった読書力の問題かもしれませんが、すこし冗長に感じてしまいます。それからこれは蛇足かもしれませんが、以前この作品を読んだ時その前後に、イヴリン・ウォーの「黒いいたずら」を読んだせいか、なにか重なって思えるのは単なる勘違いでしょうか。
待たされました。集英社で文庫として出されていたのがなぜか絶版になっていて、図書館においてあった「集英社世界文学ギャラリー」で少し覗いただけ。ようやく入手できるようになったというわけで、とりあえず目玉の「族長の秋」だけ読みました。
この作者特有の摩訶不思議、奇妙奇天烈な怪異譚がもりだくさん。主人公である、100年以上生きた大統領とその側近や愛妾らの物語なのだけれど、この大統領は一種の超人で、見た目は薄汚れているけど、やろうと思えば自然環境だって意のままにしてしまう。しかし周囲には理解者なんかほとんどいなくて、中盤からはほとんど誰にも相手にされなくなってゆき、実に孤独な人生を送ります。
この作者は、20世紀の世界文学でも屈指の作家になっているけど、そんなに特別視すべきなのか。確かに面白いけど、モダニズムの流れに乗せてフォークロアを語るというアイディアはそれほど珍しくないような気もする・・・まあ、後から言うとそうもなってしまうけど、昔は度肝を抜いたのでしょう。
言うまでもなくフォークナーの影響は強い。いくつかのチャプターで構成されているけど、段落の切れ目が全くなかったような気がします。無意識の内にあふれだす情報の表現でしょう。
こういう怪異譚は、たとえば中国人がやると決まるような気がします。既に莫言がいるけど。埴谷雄高は、中国にフォークナーみたいなのが現れるのを夢想していたようだけど。
この作者特有の摩訶不思議、奇妙奇天烈な怪異譚がもりだくさん。主人公である、100年以上生きた大統領とその側近や愛妾らの物語なのだけれど、この大統領は一種の超人で、見た目は薄汚れているけど、やろうと思えば自然環境だって意のままにしてしまう。しかし周囲には理解者なんかほとんどいなくて、中盤からはほとんど誰にも相手にされなくなってゆき、実に孤独な人生を送ります。
この作者は、20世紀の世界文学でも屈指の作家になっているけど、そんなに特別視すべきなのか。確かに面白いけど、モダニズムの流れに乗せてフォークロアを語るというアイディアはそれほど珍しくないような気もする・・・まあ、後から言うとそうもなってしまうけど、昔は度肝を抜いたのでしょう。
言うまでもなくフォークナーの影響は強い。いくつかのチャプターで構成されているけど、段落の切れ目が全くなかったような気がします。無意識の内にあふれだす情報の表現でしょう。
こういう怪異譚は、たとえば中国人がやると決まるような気がします。既に莫言がいるけど。埴谷雄高は、中国にフォークナーみたいなのが現れるのを夢想していたようだけど。
「権力というのは結局、いかれた連中がうろうろしているこの建物、
人間そっくりな焼け死んだ馬のこの臭い、侘しいこの夜明けなのか」(『族長の秋』より)
「物語を語るために生まれてきた」。
そうガルシア=マルケスは述べているが、まさにその本領が発揮されている作品。
表題「族長の秋」は、一国の中心にいるはずなのに、なぜか国の出来事からことごとく外されてしまっている、喜劇的な専制君主の物語である。
身に覚えのない命令、自分好みに変えられた映画の内容、知らぬ間に行われていた政権100周年の記念行事。
世界すべてが彼をだまし、彼もまただまされたふりをして、真実を語っているのはトイレの落書きだけ。
大統領は、残虐非道を尽くす独裁者だが、小心でちっぽけな老人である。
彼は、人を愛したことがなかった。また、母をのぞいて彼を愛してくれた人もなかった。
世界から切り離され、愛に飢えたその姿は、人間としてじつに悲しい。
時間、空間、語り手までが入り乱れて、まるで嵐のように文章がほとばしる。
本の厚み以上に、読後がずしんと来る作品。
人間そっくりな焼け死んだ馬のこの臭い、侘しいこの夜明けなのか」(『族長の秋』より)
「物語を語るために生まれてきた」。
そうガルシア=マルケスは述べているが、まさにその本領が発揮されている作品。
表題「族長の秋」は、一国の中心にいるはずなのに、なぜか国の出来事からことごとく外されてしまっている、喜劇的な専制君主の物語である。
身に覚えのない命令、自分好みに変えられた映画の内容、知らぬ間に行われていた政権100周年の記念行事。
世界すべてが彼をだまし、彼もまただまされたふりをして、真実を語っているのはトイレの落書きだけ。
大統領は、残虐非道を尽くす独裁者だが、小心でちっぽけな老人である。
彼は、人を愛したことがなかった。また、母をのぞいて彼を愛してくれた人もなかった。
世界から切り離され、愛に飢えたその姿は、人間としてじつに悲しい。
時間、空間、語り手までが入り乱れて、まるで嵐のように文章がほとばしる。
本の厚み以上に、読後がずしんと来る作品。



