ひとつ前に戻る

エスケイプ/アブセント
絲山 秋子
価格: ¥1,260 (税込)

単行本
出版社: 新潮社
発売日: 2006/12
ISBN: 4104669024
おすすめ度:4.0
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相対化、の果てには別になんにもないわけで。
大体自分は前からウザいウザいと思っていたのよ。価値の相対化の果てに、自堕落な自分しかないことを発見したつもりで、そんなのは最初から気づいていましたよと開き直ってみても、だから何?っていう。結局人は拠って立つ価値観を持つべきなんだぁああ、とも言い切れないっていう。ほらねやっぱウザーいでしょ。

で、いいんじゃないんでしょうか。男40代、ホモ、ノンポリ、ノンラジカル、気づくの遅すぎでもいーじゃないっていう根拠は生きてるってだけで。まあいろいろあるけどさ、いろいろあるんでしょこれからも。ないかもしれないけど。なかったらやだな。

パンジャマンがファンタジーってわけでしょ。どこの神様も似たようなことするね。
人は、自分にしか救われない。でも自分ひとりで自分なんか救えんのか。
さあ、はんなりやろうぜ
仙台、東京から京都、そして福岡。親しみのある場所が出てくる。
革命は起きないまま、暴動すら起きないまま、四十歳にして惑いまくり、逃げる主人公その1正臣。退屈な日常から自由になろうとして逃げた学生時代。そしてまた、退屈な日常となった活動から逃げる。逃げた当人に自由はあるのか。
主人公その2和臣は、その1の双子の弟。正臣が東京で左翼の過激派になったなら、和臣は京都でノンセクト・ラディカル。不在が成立する。死という圧倒的な不在がある。それは、他の誰にも埋められな不在である。
正臣はエスケイプによって属性づけられており、和臣はアブセントによってのみ特徴付けられる。やっとお互いの影から解放されて、それぞれのたっぷり残った人生を、自分のためだけにやっと生きることができそうな、そういう兄弟の物語。
純粋すぎて大人になりきれない人たちへ
なんで、大人ってドライでソリッドじゃないのかな。
なんで生なんだろう。何でやわらかくてぬるついていてくさいのだろう。
肉体も精神もそうだ。

なるほどな〜と思った作中の文章であります。
1966年生まれで過激派って設定で、フラットに作品を読めない
  1963年生まれの者からすると、1966年生まれで政治活動、過激派ってのは、ちょっと想像力、そこまで働かないんだよねぇ。もちろん、9.11の時、最初に頭に浮かんだのは三菱重工だったけど。「三菱重工爆破事件のあの興奮」ってのも。「見飽きることがないあの映像。不謹慎だと思うが何度でも見たい」ってのも、よくわかる。ただ、興味はあっても、最初っから学生運動とか全共闘活動に遅れてきた世代って認識でさ。まぁ、その主人公の設定ってのが、単に作者が意図する時代遅れな存在」ってだけじゃなくて、60年代生まれだと、もっと別の意味が加わってきちゃって、フラットに作品を読めないところがあるんだよね。この設定で、まず、ひっかかっちゃうっていうか。共感にしても反感にしても持ち辛いのだ。
 そうそう、6:43着の夜行で京都着いたら、7時からやってる京都タワー浴場に行くといいんじゃないかな、ってのを作者には伝えたい。あとは、デビッド・ヨハンセンとは懐かしいです、とか。
 印象に残ったのは次の言葉。「なんで大人ってドライでソリッドじゃないのかな。なんで生なんだろう。なんでやわらかくてぬるくてくさいのだろう。肉体も精神もそうだ。そういうことを考えるとおれは耐えられないきもちになる。人間存在って、どうもなあ」。時代遅れの主人公は、やはり社会からちょっとずれてるコスプレ神父やゲイのユキと出会うんだけど、なんか、この偶然の出会いって、あまりにヴァーチャルな癒しのような気がする。うーん、やっぱ、俺、設定でつまずいちゃってるんだよなぁ...。
絲山作品としては
普通ですが、この短さで与える深さを考えると効果として素晴らしい短さと言えるのではないでしょうか?

それでも、今まで絲山作品を読んできたモノとして、「もっと」を感じずにはいられないとも思いました。

作中の人物たちの出会い、繋がり、別れをこの短さでも充分伝える絲山さんは素晴らしいです。絲山さん以外では私は知りませんし、だからこそ、新作が出ると気になり、読んでしまいます。そういう作者が同時代に生きている事に感謝。




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