おもしろい。すぐ読める。でも深い。さらに懐かしく、せつない。
誰でもきれいなダイヤモンドみたいに輝くものが胸のうちにあることを、大人になったら忘れてしまう。
この本を読むと、そうだったそうだったよみがえってくる。
昔みた映画「スタンド・バイ・ミー」と同じものがこみあげてきて、泣いてしまった。
少年のほうが少女よりずっと純粋なんだなぁ・・・(女の子はケッコウ打算的だったりする)
できたら、現在小学1年生の息子が中学生になった時、読んでもらいたい。
そして一緒に感想が話せたら・・・というか『話せる親子』になりたい。
残念ながらそんな親子になっていなくても、この本をもう1度読み返して理解することに努めたい、と母は思う。
4TEEN
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「こう書けば読者は泣くだろう、こう書けば感動するだろう」
と計算しながら書いてるとしか思えない。
一種の職人芸ではあるが、文学的価値はなし。
と計算しながら書いてるとしか思えない。
一種の職人芸ではあるが、文学的価値はなし。
いまどきの14歳てこんなに早熟なのと驚いた。
それでも十分に純粋でかわいくて安心した。
子供でも読めるように意識したのか、読みやすい文章。
それでも十分に純粋でかわいくて安心した。
子供でも読めるように意識したのか、読みやすい文章。
なんだか湿っぽい話が多くて、期待していたのとは違いました。
もっとワルっぽいのかと思ったのですが。
しかし、この辺が直木賞受賞の理由だったのかもしれませんね。
東京にもこんな普通感覚の中学生ってまだいるのかしらん?
もっとワルっぽいのかと思ったのですが。
しかし、この辺が直木賞受賞の理由だったのかもしれませんね。
東京にもこんな普通感覚の中学生ってまだいるのかしらん?
ぼくが中学生をやっていたのは、もう随分昔のこと。この小説の「ぽくたち」よりもずっとどん臭く、いけてない中坊だったはずだ。ヒップホップの代わりにハードロック、自転車はマウンテンバイクではなくドロップハンドルのついたレーサータイプだったけど、なによりもいけてなかったのは、友情に対してこんなにピュアではなかったことだろう。もちろん仲のいい奴は大勢いた。ある友達とは、帰り際に毎日2、3時間、厭きもせずに家の前で話し込んだ。あの頃コンビニなんてなかったしね。そんなぼくたちが偶然同じ女の子を好きになった。でも神様はどうも、ぼくよりそいつの方がお気に入りだったらしい。そんなことがあっても、ぼくたちは一緒にプールで泳ぎ、体育館でバスケットをした。でも前のように延々と−親が呆れるくらいに−話しこむことはなかった。心の底から、とてもとてもいい奴だったと思っていることに変わりはなかったのだけれど。
この小説はとても巧みにできている。始めの2、3篇を読んでいる間は少年たちの後ろに作為的な大人の影が見えるようで、「これで直木賞かよ!?」と感じてしまう瞬間もあった。しかし読み進んでいくうち、それは舞台上の黒子のように気にならなくなってくる。シンプルだが抜けのいい、映画のような小説世界の中「ぼくたち」は少しずつ大人になっていく。登場人物の台詞にはどうしても不自然さを感じてしまうのだが、ここで描かれている14歳の持つ空気感−上手く言えないが、人との間合いの取り方とか生活のスピード感とか−は澄んでいて説得力がある。思い出すのは塩田明彦監督の映画「どこまでも行こう」(1999年)。こちらの主人公たちは小学生だが、画面に無造作に放り出されたリアルな空気感は演出家の力量だと思う。石田氏もまた、演出家的な作家なのかもしれない。
誰かが「この小説を今の青少年に読ませて、友情や生きることの意味を考えて欲しい」と言っていたが、そうは思わない。第一、小説を読ませて云々という発想自体がとんでもなく的外れだ。むしろ、かつて「ぼくたち」であったオッサンたちが読んでこそ味わえる部分が多いのではないだろうか。
この小説はとても巧みにできている。始めの2、3篇を読んでいる間は少年たちの後ろに作為的な大人の影が見えるようで、「これで直木賞かよ!?」と感じてしまう瞬間もあった。しかし読み進んでいくうち、それは舞台上の黒子のように気にならなくなってくる。シンプルだが抜けのいい、映画のような小説世界の中「ぼくたち」は少しずつ大人になっていく。登場人物の台詞にはどうしても不自然さを感じてしまうのだが、ここで描かれている14歳の持つ空気感−上手く言えないが、人との間合いの取り方とか生活のスピード感とか−は澄んでいて説得力がある。思い出すのは塩田明彦監督の映画「どこまでも行こう」(1999年)。こちらの主人公たちは小学生だが、画面に無造作に放り出されたリアルな空気感は演出家の力量だと思う。石田氏もまた、演出家的な作家なのかもしれない。
誰かが「この小説を今の青少年に読ませて、友情や生きることの意味を考えて欲しい」と言っていたが、そうは思わない。第一、小説を読ませて云々という発想自体がとんでもなく的外れだ。むしろ、かつて「ぼくたち」であったオッサンたちが読んでこそ味わえる部分が多いのではないだろうか。



