コルセットとは何のメタファーか。躾、品、環境、家柄、血筋...それは、鋳型、様式、つまり決まり事、約束事である。それが全て、それで成り立っている究極として、著者は“上流社会”を小説の舞台とした。それは実際には無い(あるのかもしれないが一般の目には触れない、あるいはあるのだが無いことになっている)ものである。それはヒエラルキー、クラスであり、これまで戦後民主主義のもとに目隠しされてきたけど、本当はその存在が欲望されているものである。この“コルセット的なもの”に著者は敏感であり、反発や違和感(そして憧憬)を登場人物に語らせている。長い引用になるが「だから、わたしはこの人たちの性癖にためいきをつくのである。命じる者と命ぜられる者、苛める者と苛められる者、それは、命じてくれと望む者と命じさせられる者、苛めてくれと望む者と苛めさせられる者の役割の分担を、きまじめな契約のようにとりかわす嗜好である。しかも、きまじめに遂行しなければならない任務を負っている」。 “コルセット的なもの”のIN、OUTはスレスレだ。三島の「禁色」はOUTで「青の時代」はINって言う微妙な差異。著者自身、本作で陳腐と文学ギリギリのチャレンジをしていて、読み手としてはゾクゾクするのだけど。「おふろば」と言ったひらがなと、「魚籠」「撥条」「螺子」といった難解な漢字が織り成す様式美、技巧...。太宰の「斜陽」って揶揄されかねない、「なぜこんな芝居がかった言い方をスマートだと思ったりしたのか、自分で自分に狼狽した」って言われかねない、そうした“あえて”にチャレンジしていて、この文学的試み、勇気に僕は拍手を送りたい。
「時には娼婦のように」へのリスペクトだと僕は勝手に思ってるんだけど、「ばかばかしい本物より、ばかばかしい贋物がうれしい」って言葉、これがまさに、この作品の真贋を分けるキーワードだよね。
コルセット
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現代のブルジョアたちのプライベートを描いた短編集です。
四つの短編は、それぞれの末尾が次の物語の冒頭になっていて、最後の「輪舞曲」は最初の「反行カノン」に続いて連環となっています。
僕はバリのトラベローグとしても楽しめる最後の「輪舞曲」が気に入りました。
有名な観光スポットを紹介しているわけではないのですが、著者の持ち味である本来の意味での「雰囲気の描写」(その時、その場所の風、温度、湿度まで感じられる雰囲気描写)が本作品では南の島の楽園で発揮されていて、読後は僕もヴァカンスを楽しんだ錯覚を味わえました。
四つの短編は、それぞれの末尾が次の物語の冒頭になっていて、最後の「輪舞曲」は最初の「反行カノン」に続いて連環となっています。
僕はバリのトラベローグとしても楽しめる最後の「輪舞曲」が気に入りました。
有名な観光スポットを紹介しているわけではないのですが、著者の持ち味である本来の意味での「雰囲気の描写」(その時、その場所の風、温度、湿度まで感じられる雰囲気描写)が本作品では南の島の楽園で発揮されていて、読後は僕もヴァカンスを楽しんだ錯覚を味わえました。



