私は高校一年生です。 以前佐藤多佳子さんの
「一瞬の風になれ」
を読んで とても感動したので、図書館で隣にあったこの本もとても気になっていました。
そして、先日友達に連れられて行った学校の図書でこの本をまた見つけたので、この機会に読んでみる事にしました。
最初の方…
「彼のモチーフ」辺りまでは主人公2人に感情移入したりしながら、泣くようなところでもないのに泣きそうになりながら、高校生の恋愛話ってだけじゃなくて、いい話しだなぁと思って読んでいたんです。
2人が少しずつ近付いて行く感じはすごく好きでした。
ショックを受けたのは、「ファザー・コンプレックス」。
まず、ショックだったのが、玲美ちゃんの家出。15歳の女の子が、本気で(少なくとも本人としては本気のつもり)40の男と恋愛なんか出来ちゃうものなのかって。
一方的な憧れじゃなくて、愛し合ってて、体を重ねたりするんですよ?40の男と15の少女が。
そして、木島と似鳥ちゃん。男って、別に好きじゃなくても、他に好きな女の子がいても、そういう事出来ちゃうものなんでしょうか?
浮気じゃないとか、そういう問題じゃなく、そんな軽い物なのかなぁって思ってしまいました。
16歳の男の子って、皆こんな物なのでしょうか?
だから、オセロ・ゲームから、皆さんがいいと言っているラストまで、「ピュア」なみのりが可哀相で仕方ありませんでした。
たぶん、大人の世界にはそういう事は普通にあるんだと思う。
私は好きな男の子はいても、付き合ったりした事はないし、少女マンガなどもよく見るので、恋愛の綺麗な部分しか見て来なかったのかもしれない。(少コミは苦手です。性描写ばかりなので)
でも私のように感じた女の子は、少なからずいるのではないでしょうか?
長文、失礼致しました。
黄色い目の魚
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2人の主人公の
どちらかに共感できれば印象深い作品になると思います。
まだ続きがありそうな、
あれば読みたいと思わせてくれる作品です。
脇役も
しっかり個性があって読み込むことができます。
どちらかに共感できれば印象深い作品になると思います。
まだ続きがありそうな、
あれば読みたいと思わせてくれる作品です。
脇役も
しっかり個性があって読み込むことができます。
青春時代に誰もが一度は抱く、
そこはかとない周囲からの孤立感と
自分は何か出来るはずだという根拠のない自信と
その揺れの中で悩む自我を、
透明な筆で描いた佳作である。
話の流れはオーソドックスで、
現代風会話の再現も、ややわざとらしいが
それでもこの作品が通俗的にならないのは
作者が誠実に、正面からこれらの問題に
取り組んでいるからであろう。
本の評価をするときに人それぞれ違った表現を使うと思う。
私の中では、本の感想を言うときの一番の褒め言葉は「またいつか時間が経って読みたい本」である。
高校時代にこう感じて、数年経って、今またこの本を読んでみたい。物語を覚えていても読みたい本はある。
そして、この本はいつかまた読みたかった本で、今読みたい本だ。
私の中では、本の感想を言うときの一番の褒め言葉は「またいつか時間が経って読みたい本」である。
高校時代にこう感じて、数年経って、今またこの本を読んでみたい。物語を覚えていても読みたい本はある。
そして、この本はいつかまた読みたかった本で、今読みたい本だ。
途中で読むのを止めたくなる小説がある。本書にも何度「もう止めたい」と感じたことか。あまりにも痛切で、胸苦しくて・・・いい大人が高校生の恋模様に何を今更、と思うが、本書は年齢不問の超越的な恋愛小説なのだから仕方ない。主人公は、16歳の木島悟と村田みのり。はじめに小5の木島の章と中1のみのりの章があり、高校2年で同じクラスになったところで物語は本格始動する。各々の視点で交互に6章が描かれる。
16歳はバランスの悪い年齢だ。大人になりかけの過渡期。自分の気持ちが定まらない。感情の針が激しく振れる。エネルギーが充満して出口を探している。そんな時期に、サッカーと絵を描くことが好きな木島と、描けないが絵が大好きなみのりが出会う。二人は揺れながら、揃わない足並みで、けれど真剣に心を通わせていく。文章もセリフもなんてセンスがいいのだろう。それ以外にないような文言が連ねられていて、二人がひかれ合っていく理由が、プロセスがわかりすぎるほどにわかる。泣きたくなる。
障害もある。アクシデントもある。年齢相応の悩み―自分の核となるものの模索、可能性と向き合うことへの怖れ、友人関係・・・そういったものを忽せにしないことがリアリティを生む。リアリティと言えば、二人を結びつける「絵」の扱いの丁寧さ。著者の『しゃべれどもしゃべれども』の落語もそうだが、人と人との間に介在する素材をとことん書き込む作家だ。どちらがメインかわからないぐらい徹底して。この点でもって凡百の恋物語と一線を画するのだ。
多くの人間の中からたった一人を選び、その人に選ばれ、長い約束を交わすことがいかに大変なことか。恋は易くない。本書を読めば嫌でもそれを知らされる。
文庫版の表紙は木島とみのりの後姿。単行本の表紙の方が自分にはしっくり来る。二人の姿は、あくまで文章の中と、読者それぞれの心の内にあればいいと無意識に思っているためかもしれない。
16歳はバランスの悪い年齢だ。大人になりかけの過渡期。自分の気持ちが定まらない。感情の針が激しく振れる。エネルギーが充満して出口を探している。そんな時期に、サッカーと絵を描くことが好きな木島と、描けないが絵が大好きなみのりが出会う。二人は揺れながら、揃わない足並みで、けれど真剣に心を通わせていく。文章もセリフもなんてセンスがいいのだろう。それ以外にないような文言が連ねられていて、二人がひかれ合っていく理由が、プロセスがわかりすぎるほどにわかる。泣きたくなる。
障害もある。アクシデントもある。年齢相応の悩み―自分の核となるものの模索、可能性と向き合うことへの怖れ、友人関係・・・そういったものを忽せにしないことがリアリティを生む。リアリティと言えば、二人を結びつける「絵」の扱いの丁寧さ。著者の『しゃべれどもしゃべれども』の落語もそうだが、人と人との間に介在する素材をとことん書き込む作家だ。どちらがメインかわからないぐらい徹底して。この点でもって凡百の恋物語と一線を画するのだ。
多くの人間の中からたった一人を選び、その人に選ばれ、長い約束を交わすことがいかに大変なことか。恋は易くない。本書を読めば嫌でもそれを知らされる。
文庫版の表紙は木島とみのりの後姿。単行本の表紙の方が自分にはしっくり来る。二人の姿は、あくまで文章の中と、読者それぞれの心の内にあればいいと無意識に思っているためかもしれない。



