ひとつ前に戻る

望みは何と訊かれたら
小池 真理子
価格: ¥1,995 (税込)

単行本
出版社: 新潮社
発売日: 2007/10
ISBN: 4104098086
おすすめ度:4.5
Amazon ランキング: 201317位
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誰に向けて書かれたのか
 この小説を読んで、私が感じる空々しさは、主人公にはいくらでもまっとうな生き方をするチャンスがあり、それをあえて拒否するのは単なる無知と愚かしさ以外に理由が考えられないことだ。よしんば、テロ組織に身を投じるところまではよしとしても、そこから逃げ出した後、例え金がなくても、交番に飛び込むぐらいの考えはなかったのか。事ここに及んで、命を絶つ気概もないのに、両親には知られたくないという言う中学生ぐらいの思慮しかない人間が学生に軟禁される経緯を読んでしまうと、数年前にあった10数年にわたる幼女の軟禁事件の方を思い出してしまって、物語の趣旨からは全く離れた印象を持ってしまった。
 この物語で重要な点は、軟禁生活の中での男女関係が、ある種の選民意識を持ったような知識人階級の良識、常識、概念をことごとく打ち砕き、その上に安息という真実を垣間見させることだ。つまり確固たる概念(社会的概念)の崩壊である。ここが描けないと、あり得ない話として読者の心は掴まない。そのためにはせめて最低限度のリアリティーはほしい。単なる猟奇犯罪を描きたかったわけではないだろう。
 この物語の出典である『愛の嵐』という映画は、背景にナチスのユダヤ人収容があり、そこでナチスの将校に狂気を強要されるユダヤ人少女が描かれる。しかし少女が大人になったとき、彼女は予想には反する結論を見いだす。だが少女はその時代、収容所から逃げることもできないし、少女であった故に、そこでの経験が、後の生活を支配したと解釈できる。そこには年代を経ても納得できるリアリティーがある。
 さらに、この映画は男性の側から描かれている。それによって、一見支配したかに見えていた男性が、実は女性によって支配されていた事もわかり、そのことが、安息の意味をより深く表現する。それから、物語の最後には飢餓があるが、これも重要なポイントだ。表に出ようと思えば出られる状況では、この話は成立しない。絶対に出られない、しかし食べるものもなくて獣のように一個のジャムを取り合うような状況になってこそ、この話は成立する。
 という意味でも、この小説は甘すぎる。甘いが故に醜悪さが際立ってしまう。
 現在なら、さしずめ新興宗教に入ってしまった愚かな娘が、そこから逃げ出して、引きこもりフリーター青年に軟禁される話だろうか。こう書けば、これがいかに陳腐な話かわかるだろう。この陳腐さから、人間の根源をひっくり返すような関係性の構築に話を持っていくのは、かなり大変だろうが、それでも、今更学生運動のなれの果ての時代を持ってきた意味がわからない。矛先を変えれば、読者の目がごまかせると思ったのか。それとも作者が何か勘違いしているのか。この小説を読んだだけでは、新興宗教云々以上に陳腐な舞台設定に見えてしまう。
 まじめに言えば、介護問題などの方がもっと良い切り口になるだろう。介護は、その苦境の中で、世間から隔絶された世界に安息を見いだせるか否かがその成否を分けている。しかしその安息が確立したと同時に、それは乖離という言葉で、世間からの束縛を受けてしまう。この問題なら、誰もが直面し、そしてリアルだ。しかし描かれていることは同じである。
いきがっていても
親の臑をかじりながら、大学に通うのに、危険思想の団体にかぶれて活動家だった
過去を持つ女性の話。
その危険思想に傾倒したのも、主導者がいい男だったから。そして実像にふれると、脱走して
助けられたのも、若い男。難無く身を任せ、依存して生き延び、最後に裏切る。
結局理想を語り、いきがっていても、男に頼るしか脳がない無能な女子大生だったヒロイン。
あの頃男が入り口になって、とんでもない方向に進んだ同じような女性は、たくさんいたでしょう。
なのに、こんなに格調高く、高尚な物語にしてしまう小池真理子の力量に拍手です。
ある意味では女性の限界を示した作品
 学生運動とその時代にはマイナスのイメージと共に、羨望を感じていたことがある。少なくとも、そのときの彼らには信じて打ち込めるものがあったからだ。しかし大学が「レジャーランド」と言われた時代に怠慢な学生であった自分には、大学に残る化石のような活動家や、彼らが対立セクトと繰り広げる小競り合い、独特の書体のアジビラや立て看板に多少の興味はあったものの、まったく共感することはできなかった。
 この物語は、全共闘の活動がまだ盛んだった時代にその空気に触れていたであろう著者が、当時へのオマージュと、ある程度の使命感を持って書いたように思える。
 前半の活動への参画から緊迫した地下活動の惨状と、後半の甘美な隠遁生活の大きな落差。これらはいずれも閉じた世界での出来事だ。そして冒頭と結びに現れる穏やかな現在の生活。こちらの世界は開いている。
 最後に、自らの意志で世界は再び甘美な世界に閉じて行くのだが、そこに安堵感を求める女性作家の視点を感じた。彼女にとってのカクメイは日常生活からの脱却であり、常に好意を寄せる男性と共にある呪文なのだ。
至高の恋愛のかたち
 恋愛小説の名手・小池真理子の新しい代表作だといえる。

 本書では、いくつかの恋愛のかたちが女性の視点から描かれる。
 ひとつは、やさしさと、一世代前のマイホーム的(小市民的な)幸せとを与えてくれそうな若い時代の恋愛。
 もう一つは、経済的豊かさを与えてくれ、自分の職業上の能力も認めてくれ、そのうえ精神的な自由もかなり尊重してくれる大人の男性との恋愛。
 こうした恋愛のかたちは、一般的には、かなり多くの女性が求める望ましい愛の形だと思われている。

 しかし、作者は、こういう恋愛は、至高のものではないと考える。
 作者が至高の恋愛のかたちととらえるのは、母親と胎児または乳児との間にみられるような自他未分離の関係、お互いに依存しつつ安心感や生理的満足感を満たしあうような関係である。

 さまざまな恋愛の深みを描いてきた作者の到達した新境地であろう。胸を打たれると同時に考えさせられるところが多い。
人間の根源を問う力作
1971年大学卒業、就職、結婚、出産、子育て、そして再びスタート地点に。
同時代を生きてきた人間として、70年代は特別な思い入れがあります。

秋津との普通では考えられないような隔離された生活、
こんな濃密な空間を19才と21才の二人が共有できるのか?
あるいは、若いからこそありうるのか?

心の奥深くにあって決して消え去ることのない思い
歳月を経てますますはっきり見えてくること
”本当に大切なものとは?”と自らに問いかけたくなるストーリーです。
人生を振り返るようになった年代に是非読んでもらいたい作品です。



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