幼馴染みの少年と少女。二人が毎年夏を過ごす避暑地に、突然現れた未亡人のマダム・ダルレー。マダムに惹かれていく少年。幼馴染み二人の関係もまた、少しずつ変わっていく…。そんな話。
ストーリー自体に凝った所はないし、男の子が未亡人に翻弄されるとは言っても、結局大した事はしていないのだけど、コレットの情感溢れる描写にはついドキドキしながらページを繰ってしまう。
思春期というと、なんでもない事が気になったり、つまらない事で動揺したり悩んだりするもので、特に恋愛になるとわからない事だらけでお手上げ状態という事が多々あると思う。
そういったアンバランスな感情を細かく紡ぎ出すコレットの感覚にはいつもながら溜め息が出るばかり。
こういう"なんでもない"ストーリーに生き生きとした心をこめる事ができる作家・文体によって感覚というものを見事に表現できる作家というのは、現代で何人いるんだろう?
瑞々しいだけの青春文学なら山ほどある。この作品は、瑞々しさの中に"大人への階段を昇りだす幼馴染み二人の生々しい変化"を、官能的ともいえる語り口で開いている所がまず素晴らしい。
二人の気持ちの昂揚感まで直に伝わってくるような気持ちになる、そんな小説。
青い麦 (新潮文庫)
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避暑地での少年と少女の切ない恋が、女性作家ならではの瑞々しく感覚的な筆致で描かれている。幼なじみの少年に思いをよせる少女。しかし少年は同年代の少女の幼さが物足りなくて、避暑地で出会った年上の女性に惹かれていく。それに嫉妬しながらも、どうすることも出来ず身悶える少女の切ない思い。フランス文学史に残る青春文学の永遠の名作である。
「若さ」という言葉を楯にして「愚かさ」を肯定する、この手の西洋恋愛小説はやはり苦手。
と言うか、不快。
何一ツとして登場人物に共感を得られない儘、辛うじて読了した。
と言うか、不快。
何一ツとして登場人物に共感を得られない儘、辛うじて読了した。
「ふ・た・り・は、あーおいむぎ」というのは遠い昔に聞いた伊藤咲子の歌だ。当時、『青い麦』というタイトルの小説があることは知っていて、それから取ったのだな、とは思っていたが、読むのは今回が初めて。
読んでいるうちに『肉体の悪魔』を思い浮かべ、フランス人というのはよくもまあ、こんな事ばかり考えていられるものだ、とも思ったが、重要なのは何が書いてあるかではなく、どう書いてあるか、ということなわけで、翻訳を通してではあるが、日本人との違いをいろいろ考えさせられた。
例えば、
「夜明け方から、やがて熱した地表が、耕した畝(うね)の、脱穀された麦の、湯気を立てる堆肥(たいひ)のにおいを、爽(さわ)やかな海の風に吹き払わせる時刻になるまでここ数日の八月の!朝には、秋の匂いがしみていた。生垣(いけがき)の裾(すそ)には、いつまでも消えずに露が光っていた。」(p35)
などという文章だけでも、感覚の違いが伝わってくる。
物語は、十六歳の少年と十五歳の少女の恋愛の物語なのだが、混乱・当惑・嫉妬というものが詳細に描かれている。こういうのを翻訳するのは大変だろう。
避暑地にやってきた少年が少女と遊び友達を経て恋愛に発展していく過程を描いた作品。
肉体的な人間関係の描写は見事で、10代の子供たちとしてはいささかいすぎではあるが、話の内容はさらりとしており、読みやすく避暑地の夏のさわやかを感じるような作品である。
肉体的な人間関係の描写は見事で、10代の子供たちとしてはいささかいすぎではあるが、話の内容はさらりとしており、読みやすく避暑地の夏のさわやかを感じるような作品である。
女流作家ならではの繊細な書き方で二人の間の肉欲やなどをうまく書き表している名作の一つだとおもう


