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異邦人 (新潮文庫)
カミュ窪田 啓作
価格: ¥420 (税込)

文庫
出版社: 新潮社
発売日: 1954/09
ISBN: 4102114017
おすすめ度:4.5
Amazon ランキング: 8888位
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手短に…
主人公の圧倒的な一言、そして最終章へ…

とにかく読んで読んで、考えて欲しい

そんな衝撃作です。
神ではなく、人が作った倫理観
ムルソーと自分が少し似ている気がした。

愛することも、裁くことも、ムルソーの目には、神の名のもとに人間が勝手に作り出した規律だと映る。彼は神を信じない。
かといって、彼に人間的な心が無いというわけではない。風が心地よいと感じたり、自分を法廷で必死に助けようとしてくれた友達を抱きしめたいと思ったり。何より、マリイの顔が浮かんでくる件や、母親が養老院で許嫁をみつけて生き直そうとしたのではないかと彼が考える件を読んでいると、人とつながりたいという願望は肯定しているように思える。

無関心でいることがいいことなのか悪いことなのかわからなくなった。しかし人間は皆が共通の倫理観の中で生きていかないと、世界が混乱してしまうのだ。
その倫理観を拒絶するムルソーには、この世界はあまりにも逃げ場がなかった。

「世界の優しい無関心」から後が自分の中でよく解釈できていないので、これからじっくり考えようと思う。
世間的に生きれなかった人間
主人公であるムルソーは自分が犯罪者である自覚がない。
しかし、彼と一般人には明らかに異なる点がある。そして検事はその点を指摘し、死刑を求刑する。
母親の葬式で涙を流さない。
母親が死んだ次の日に、彼女と一緒に遊ぶ。
そして、数日後人を銃で殺す。
このような断片的な情報を与えられるだけでは、私たちは、彼は自分たちとは違う人間であり、犯罪者としての質を秘める人間、と解釈することも十分有り得るだろう。
彼はいかなる曲面でも極端に自己に正直であり、演技を行わない。世間が要求する言動をとらない。彼の口から言えば、「特に取るべき行動がないから行動しない」からだろう。しかし実際はそれではやっていけないが多々ある。
一般的に求められるものは、例えば、悲しい→泣く・楽しい→笑う、ではなく、世間的に要求する→ある特定の言動・表情を取る、である。つまり内実は考慮の対象にならない。
彼は母親の態度と事件は関係を持たないように考えており、殺した理由もたいしてない、太陽のせいだと主張する。
彼からしたら、偶然の連鎖が、たまたま正ではなく、負の連鎖となってしまい、事件が起きた。不運としか考えていないだろう。
このように虚無主義的な殺人者が描かれることで、私たちは様々なことを考えさせられるだろう。
人類みな異邦人?
僕は頭は良くないですが小説を読むのが大好きです。ホラー、推理、SF、名作、B級、短編、長編etc…そんななかで僕のベストはダントツで『異邦人』です。月に3回は読んでます。理由はムルソーのキャラです。 彼の回想録風に書かれていますが、彼の思想、発言がいちいちおもしろいです。『別に話したくもないからわたしは「そうです」と答えた』、『あれを見て惨めな気がしないかと聞かれたのでわたしは「しない」と答えた』、『あれは風変わりな女だと思ったが、じきに忘れてしまった』等々、彼の個性の強さが感じられます。 しかし彼は心からママンを愛し、マリイや友人を戸惑わせ、格子から顔を突き出すほど外の世界に憧れ、陪審員の非難の視線に悲しみ、死刑を恐れ、司祭との意見の違いからプッツンするなど、結局は彼も言ってるとおり『自分は絶対世間一般の人と同じ』だと言うことに最近気づきました。彼は無感情では決してないし、ましてや異邦人でもないと思います。 ただ『人生は生きるに値しない』ということを知っていて、なおかつこれを素直に受け止めているだけだと僕は思います。テーマが難しいだけに皆様のレビューは大変参考になります。しっかり勉強したいと思います。
現実を考えさせられる一冊。
アルジェリアで暮らすムルソーという青年が、フラフラとしてしまうような暑さの中、正当防衛とも言えなくはない状況の下(対決といったほうがいいか)で、友人を狙うアラビア人を殺害する。
その裁判で、唯一の肉親だった母親を亡くしたときに涙を見せなかった男であるといった理由や、加罪行為の動機を聞かれて「それは太陽のせいだ」と答えたりして、結局死刑を宣告される。
その一連の過程でのムルソーの心のうちを描いている。

内容はこんな感じ。
うまくあらすじとして書けてないので、これを読んでる人に誤解を与えそうだが、この青年の行為自体は、ある程度自然なものだと思う。
だから裁判で検察側が死刑を求刑したときなどは「んなわけないじゃん」と思いながら読みすすめていた。
しかし裁判長に「あなたはフランス人民の名において広場で斬首刑」なんて言われたときには、読んでるこっちがショックを受けた。

自分の常識を外されたこともあって、しばらく「え?」というきょとんとした思い。読んでるこちらの思惑は置いてけぼりにされた形で、その死刑判決は変わらず、粛々と時は経っていく。なにか読んでいる自分が不服で上申したい気持ちになる。
もちろん殺人は悪いことだけれど、この青年は悪くないと思っている友人や恋人だっているのに・・・。

これはつまり、この小説の内容に限らず、自分では至極自然にした行為であっても、それはある社会においては許されざる行為であり、許せないことがある、ということか。
母親の葬儀で涙を流さない人間はすべて、この社会で死刑を宣告されるおそれがある、という事例に代表されるように。
日頃から自分は社会の常識やルールに合わせるために、自分に嘘をついて生きていかねばならない、ということか。
そしてこの舞台の中では、自分に嘘をつかない彼は、非常識な、言い換えれば異邦人としての存在だったのだ。

んーーー、うまく書けないけど、カミュの作品は「不条理の文学」と言われるだけあって、実際に起こりそうなだけに、なにか人生のやるせなさ、切なさを感じるものがある。
脳みその中が、ちょっとグチュグチュなので、今度「『異邦人』の哲学的翻訳」と言われている『シジフォスの神話』を読んでみようかと思う。(いつになるやら・・・)



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