ボヴァリー夫人 (新潮文庫)
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まず、無駄な背景描写が多すぎる。ストーリーも主人公が不倫にはまって堕落していくというありふれた内容。作者は「誰にでも堕落する危険がある」と言いたかったのか?そんなこと当たり前といえば当たり前でしょう。これを読んでどこが面白いのかさっぱりわからなかった。ハッキリ言って読まなくて良し。
最近読んだ本で誰かが書いていたように
”登場人物の誰にも共感できない小説”である。
ストーリーは単純で裕福な人妻が、プレイボーイの男や
若い男によろめく話である。
予想外の展開もなければ感動時なシーンのない。
しかしながら、登場人物などの描写が丁寧で、絵心があれば
そのまま絵を描けそうなくらいであった。
また、読んでしばらくたった後でもストーリや登場人物
の印象などについて忘れていないことに気づかされる。
それが同じようなストーリーを書いても名作に仕上げることのできる作家の力量なのであろう。
長年にわたり多くの人に読み継がれた名作であり一度は読んでみる価値はあると思う。
”登場人物の誰にも共感できない小説”である。
ストーリーは単純で裕福な人妻が、プレイボーイの男や
若い男によろめく話である。
予想外の展開もなければ感動時なシーンのない。
しかしながら、登場人物などの描写が丁寧で、絵心があれば
そのまま絵を描けそうなくらいであった。
また、読んでしばらくたった後でもストーリや登場人物
の印象などについて忘れていないことに気づかされる。
それが同じようなストーリーを書いても名作に仕上げることのできる作家の力量なのであろう。
長年にわたり多くの人に読み継がれた名作であり一度は読んでみる価値はあると思う。
小説の面白さは虚実皮膜にあると思う。しかしこの小説は徹底して文章で何かが表現できるという考えを徹底的に懐疑している。真骨頂はエンマがプレイボーイに口説かれて恋に落ちる場面だろう。地元の産業祭の高らかな演説とプレイボーイの愛の告白が交互に展開されるこの場面は片方や進歩と合理性と権威をふりまき,片方は人間の弱さや恋愛感情を訴えているが,いずれも人間を感動させるものとは反対側にある。
既婚女性がつまらない夫に愛想を尽かし年下の恋人に走り,最後は自殺してしまうという筋立ては「アンナ・カレーニナ」と重なる。しかし,アンナは恋愛しているがエンマは恋愛としていると言えるのだろうか。
ボヴァリー夫人にある唯一の恋は夫ジュリアンの妻エンマに対するものだけのような気がする。恋愛をテーマにしつつ恋愛の真空地帯を描いた作品といえる。
既婚女性がつまらない夫に愛想を尽かし年下の恋人に走り,最後は自殺してしまうという筋立ては「アンナ・カレーニナ」と重なる。しかし,アンナは恋愛しているがエンマは恋愛としていると言えるのだろうか。
ボヴァリー夫人にある唯一の恋は夫ジュリアンの妻エンマに対するものだけのような気がする。恋愛をテーマにしつつ恋愛の真空地帯を描いた作品といえる。
夫、結婚生活、田舎暮らしに対する不満はいやというほどわかります。買い物依存症も然り。ただし主人公の不満はあきれるまでの自分本位、他力本願の上に成り立っており、同情する気にはとてもなれません。しかもこの人、家事も子育てもまったくしていない。もともと農家の出身で、都会暮らしの何たるかもわかっていない。不倫の恋は起こるべくして起こるものだと思いますが、この人にその必要性があるのか。女性が自立できる、また男心を学べるほど自由に恋愛できる時代ではなかったことを考慮しても、この人の身勝手、愚かさははっきりいってジョークなみ。こんな人間をロマンティックと呼ばないでもらいたい。心理描写の巧妙さが指摘されますが、登場人物はどれも単純極まりないので、描写の巧みも何もない。愚鈍な夫、野心家な隣人、最後に理性の勝つ男たち。そして愚かの極みの主人公。この主人公の一部が著者であるなら、この著者の作品はもう読む必要なし、が結論です。悩める現代人の助けにはならないでしょう。ほかに拠り所となる本はたくさんあると思います。
「難破船の水夫のように、生活の孤独のうえに絶望した目をさまよわせつつ、
はるか水平線の靄のうちに白い帆のあらわれるのをもとめていた」(本文より)
現実世界とうまく折りあいをつけられない女性が、夢の世界に生きて死んでいく物語。
ボヴァリー夫人、エマみたいな人って、けっこう多いのではないかと思う。
彼女の場合、逃げる先は恋とぜいたくな買い物。
それが、人によっては宗教だったり二次元、ネット世界だったりするわけで。
人生はたいていが思うようにはいかないが、それにうまく折り合いをつけるか、あきらめるか、別の世界に逃避するか、それは人それぞれの選択である。
逃げる選択、それは先の見えない霧の道を走り続けるようなものだろうか。
帰ることもできなくて、ひたすら走って、最後は崖から落ちてしまうような危うさがある。
エマのすごいところは、徹底的に現実から逃げ切ったところではないかと思う。
フローベール自身もまた、ほとんど外に出ることなく、小説を書き続けた。
冷静なひきこもりが美しい文章を書くと、こうした作品になるのかもしれない。
はるか水平線の靄のうちに白い帆のあらわれるのをもとめていた」(本文より)
現実世界とうまく折りあいをつけられない女性が、夢の世界に生きて死んでいく物語。
ボヴァリー夫人、エマみたいな人って、けっこう多いのではないかと思う。
彼女の場合、逃げる先は恋とぜいたくな買い物。
それが、人によっては宗教だったり二次元、ネット世界だったりするわけで。
人生はたいていが思うようにはいかないが、それにうまく折り合いをつけるか、あきらめるか、別の世界に逃避するか、それは人それぞれの選択である。
逃げる選択、それは先の見えない霧の道を走り続けるようなものだろうか。
帰ることもできなくて、ひたすら走って、最後は崖から落ちてしまうような危うさがある。
エマのすごいところは、徹底的に現実から逃げ切ったところではないかと思う。
フローベール自身もまた、ほとんど外に出ることなく、小説を書き続けた。
冷静なひきこもりが美しい文章を書くと、こうした作品になるのかもしれない。



