友人バジルによって仕立てられた一枚の肖像画、そこに湛えられた限りなき美によって
己に潜む果てなき崇高を知るところとなった主人公ドリアン。
かぐわしき青年と肖像画の間に取り結ばれた奇妙な契約関係、いかなる罪を重ねども、
年月を経れども、彼の穢れと老いはすべて絵画によって引き受けられ、男は不滅の美貌を
表現し続けることとなる。この関係、すべて世に産み落とされた罪人と無辜の神の子イエスの
それに似る。
しかし、人間にとって美はあまりに過酷なもの、その重みを前にしてついにドリアンは…
芸術の気品に比して人間存在の耐えがたき軽さを諭すかのように、登場人物が過剰に淡白に
命を失する物語の展開もさることながら、この小説においてあまりに圧倒的なのは、序文に
はじまり細部に至るまで、これでもか、と繰り出されるアフォリズムの数々。プロットなど
はるか後景に追いやられ、ワイルドのモノローグが濃密に畳みかけてくるそのさまには、
もはや述べるべきことばを失う。
この小説に見出されるべき壮絶なる文学史の系譜、例えばダンテ、ヘルダーリン、ゲーテ、
ノヴァーリス、無論文中に組み込まれたシェイクスピアも。あるいは、三島の『金閣寺』や
ドストエフスキーなどが連想されることもあろうか。
翻訳はややもすると生硬、しかしそのような点をはるかに凌駕して、偉大なるロマン主義の
王道を邁進する疾風怒濤の傑作。
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ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫)
Oscar Wilde(原著)/福田 恒存(翻訳)
価格: ¥620 (税込) 文庫 出版社: 新潮社 発売日: 1962/04 ASIN: 4102081011 おすすめ度: ![]() Amazon ランキング: 67510位 発送可能時期: 通常24時間以内に発送 ![]() |
音楽・映画・文学などあらゆるジャンル、新旧を問わず、最も影響を受けた作品の一つだと思います。この小説はなんといってもヘンリー卿(オスカー・ワイルドそのもの)の存在感が強烈です(登場していないシーンでも存在感を放っているほど・・・)。彼は現代に生まれていたらほぼニート扱いで、まったく相手にされないような口達者なだけの男かもしれないですが、作中では歩く金言集といえるほど、不道徳でブラック・ユーモアたっぷりの名言を連発し、やがては絶世の美男子ドリアンを破滅させます。『「美」は「天才」の一形式である・・むしろ「天才」より説明を必要としないのだからより高次なものである』とかドリアンにのたまうわけです。実際的で合理的なことを嫌い、道徳心などかけらもなく、さらにはニヒリストで、ただただ頽廃的美学に身を任せることを愛する人に最適の本。
唯美主義とヒューマニズムの葛藤を軸に、誘惑的に描かれている。
読んでみて率直に感じたのは、快楽主義やデカダンス自体が罪なのではなく、その行為によって誰かを傷つけることが罪なのだということ。
そういう意味でも、シビル・ヴェインの場面が切なかった。芸術か?恋か?
読みやすく、それでも深く、様々な要素が入っていて面白い。
読んでみて率直に感じたのは、快楽主義やデカダンス自体が罪なのではなく、その行為によって誰かを傷つけることが罪なのだということ。
そういう意味でも、シビル・ヴェインの場面が切なかった。芸術か?恋か?
読みやすく、それでも深く、様々な要素が入っていて面白い。
逆説的な警句で上流の人たち(階級的な意味だけでなく、美青年ドリアンや芸術家バジルなどの才能の上流人も含む)の歓心を買うヘンリーは、なんとなく「資本」という感じがした。常識を反転させた悪の論理で人を魅了しながら蔓延っていくからだ。
解説の佐伯彰一や、「千夜千冊」の松岡正剛などが言うように、ゲイであった唯美主義者ワイルドが美青年の悪徳を描いた作品であるのにかかわらず、この作品にはそういう意味での官能性は薄い。そして、それは、欠点じゃなく美点なのだろう。これは社会派小説なのではないか。
解説の佐伯彰一や、「千夜千冊」の松岡正剛などが言うように、ゲイであった唯美主義者ワイルドが美青年の悪徳を描いた作品であるのにかかわらず、この作品にはそういう意味での官能性は薄い。そして、それは、欠点じゃなく美点なのだろう。これは社会派小説なのではないか。
背徳と芸術至上主義の物語として、あまりにも有名な作品。
肖像画が自分の代わりに悪事の罰を受けて醜く年老いて行き、
最後に主人公がその肖像画と対決するという発想は発表後100年以上を経た今も斬新だ。
「近頃の人間ときたら、ものの値段はなんでも知っているが、
ものの値打ちはなにも知らないときている」等の警句にも作者ワイルドの諧謔精神が光る。
だが、本作がそういった警句や唯美主義だけがとりえの作品だったら
現在も読むに足るだけの魅力を持つことが出来ただろうか?
最後に肖像画と対決した主人公・ドリアンのモノローグ
「『われらの罪を赦し給え』の代わりに、『罪ゆえにわれを打ち給え』という言葉こそ、
もっとも正しき神に対する人間の祈りであるべきだ」─この厳しいモラル。
背徳と芸術至上主義の後ろから、厳しい倫理性がナイフのようにちらついている。
この二重構造があればこそ、本作品は永遠の生命を持つことが出来たのだろう。
美青年ドリアン・グレイの顔と肉体の美しさの代わりに。
肖像画が自分の代わりに悪事の罰を受けて醜く年老いて行き、
最後に主人公がその肖像画と対決するという発想は発表後100年以上を経た今も斬新だ。
「近頃の人間ときたら、ものの値段はなんでも知っているが、
ものの値打ちはなにも知らないときている」等の警句にも作者ワイルドの諧謔精神が光る。
だが、本作がそういった警句や唯美主義だけがとりえの作品だったら
現在も読むに足るだけの魅力を持つことが出来ただろうか?
最後に肖像画と対決した主人公・ドリアンのモノローグ
「『われらの罪を赦し給え』の代わりに、『罪ゆえにわれを打ち給え』という言葉こそ、
もっとも正しき神に対する人間の祈りであるべきだ」─この厳しいモラル。
背徳と芸術至上主義の後ろから、厳しい倫理性がナイフのようにちらついている。
この二重構造があればこそ、本作品は永遠の生命を持つことが出来たのだろう。
美青年ドリアン・グレイの顔と肉体の美しさの代わりに。
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