流麗かつ音楽的な文体で綴った、ひと夏の物語。
文章から情景をイメージする力、詩的なものに対する感受性が相当に発達している人、
あるいは当時のアメリカ社会に精通した人でない限り、
この作品のエッセンスを汲み取り、味わうのはほとんど不可能に近い。
グレート・ギャツビー (新潮文庫)
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派手で空虚なパーティに明け暮れる、自堕落で破滅的な登場人物達は、
時代背景を抜きにしても、現代の日本人の価値観からは共感しづらいかも
知れない。
それでも、ギャツビーの純粋さと孤独には、彼のために物語を書くだけの
強い説得力を感じた。
「ノルウェイの森」の主人公が、どうしても直子の物語を書き留めなくては
ならないと感じたように。
最後の数ページの描写は、限りなく美しい詩のようだ。
情景が目に浮かぶような海岸の夜の風景に、主人公が馳せるギャツビーへの想いが
静かに深く重なっていく。
その奇跡のようなバランスは、まさに芸術と呼ぶにふさわしい。
翻訳の文体だけでなく、全編を通じて流れる喪失感からも、村上作品に
通じるものを感じる。
「この作品に巡り合わなかったら、小説を書いていなかったかも知れない。」
というほど村上春樹氏が絶賛する本であり、評価は相半ばするとしても、
村上春樹ファンなら一度は読んでみる価値のある作品だと思う。
時代背景を抜きにしても、現代の日本人の価値観からは共感しづらいかも
知れない。
それでも、ギャツビーの純粋さと孤独には、彼のために物語を書くだけの
強い説得力を感じた。
「ノルウェイの森」の主人公が、どうしても直子の物語を書き留めなくては
ならないと感じたように。
最後の数ページの描写は、限りなく美しい詩のようだ。
情景が目に浮かぶような海岸の夜の風景に、主人公が馳せるギャツビーへの想いが
静かに深く重なっていく。
その奇跡のようなバランスは、まさに芸術と呼ぶにふさわしい。
翻訳の文体だけでなく、全編を通じて流れる喪失感からも、村上作品に
通じるものを感じる。
「この作品に巡り合わなかったら、小説を書いていなかったかも知れない。」
というほど村上春樹氏が絶賛する本であり、評価は相半ばするとしても、
村上春樹ファンなら一度は読んでみる価値のある作品だと思う。
かの村上春樹氏が人生の中で出会ったもっとも重要な書物を3つあげろと言われたら、
カラマーゾフの兄弟
ロング・グッバイ
グレート・ギャツビー
の3つをあげる。しかし、一つだけ、といわれたら間違いなくグレート・ギャツビーを選ぶ、とおっしゃるほどの作品。早速、村上版グレート・ギャツビーを読んでみました。 あっという間に引き込まれて1日で読んでしまいました。
舞台は1920年代のアメリカ、謎を秘めた成り上がりのリッチな若者、ギャツビーのミステリアスな半生をその友人の目を通して語るもので、全篇に切ない純愛と少しのミステリが織り交ぜられ、物語が非常に美しい文体で語られています。村上氏は、残念ながら日本語ではこの作品のすごさは理解し得ない、しかし、現時点で最高の訳を作りたくて新訳を出されたと言います。
確かに、修辞、語順など相当工夫して訳しておられます。ギャツビーが英国でみにつけたと思しきOld Sportという親しい友人を呼びかける言葉、アメリカ的にいえばBuddyとかMy friendのような意味だと思いますが、これが相当頻繁に出てくるため、熟慮の結果『オールド・スポート』とそのまま訳すことにしたとのことです。最初、相当奇異な感じでしたが、同じ英語でもアメリカ人には奇異な表現であることを考えれば、決して妥協の産物ではないと思いました。しかも、途中で慣れてきて違和感を感じなくなりました。日本語では理解しきれないのかもしれないが、珠玉の文章の美しさには魅せられました。
カラマーゾフの兄弟
ロング・グッバイ
グレート・ギャツビー
の3つをあげる。しかし、一つだけ、といわれたら間違いなくグレート・ギャツビーを選ぶ、とおっしゃるほどの作品。早速、村上版グレート・ギャツビーを読んでみました。 あっという間に引き込まれて1日で読んでしまいました。
舞台は1920年代のアメリカ、謎を秘めた成り上がりのリッチな若者、ギャツビーのミステリアスな半生をその友人の目を通して語るもので、全篇に切ない純愛と少しのミステリが織り交ぜられ、物語が非常に美しい文体で語られています。村上氏は、残念ながら日本語ではこの作品のすごさは理解し得ない、しかし、現時点で最高の訳を作りたくて新訳を出されたと言います。
確かに、修辞、語順など相当工夫して訳しておられます。ギャツビーが英国でみにつけたと思しきOld Sportという親しい友人を呼びかける言葉、アメリカ的にいえばBuddyとかMy friendのような意味だと思いますが、これが相当頻繁に出てくるため、熟慮の結果『オールド・スポート』とそのまま訳すことにしたとのことです。最初、相当奇異な感じでしたが、同じ英語でもアメリカ人には奇異な表現であることを考えれば、決して妥協の産物ではないと思いました。しかも、途中で慣れてきて違和感を感じなくなりました。日本語では理解しきれないのかもしれないが、珠玉の文章の美しさには魅せられました。
15年前10代の時に初めて読んだグレートギャッツビーは、訳の違いもあってか始めの10ページ
で挫折した。その苦い感覚もあり、各所でグレートギャッツビーが絶賛されるのを横目で見ながら
手に取れずにいた。
30を過ぎて、ふと手に取った。1回目は、他の小説と同じように最後まで読み通したという程度
のものだった。しかし、気がつけばふと手に取り、偶然開いたページに暫く読みふける。あらすじ
は当然知っているので、その後のまたはそれ以前に起こった登場人物達の出来事を思い、胸が苦しく
なりページを閉じる。数日後、その数日後何度も同じことを繰り返していた。
そのうち、「これはなんなんだろう」と思いはじめた。グレートギャッツビーで語られること、
もしくはそれぞれの頁で起こる出来事、語られる言葉、行動にストーリーやプロットという一言では
言い表せない大きなうねりのようなものを感じるようになった。
電車の中で、フローリングの床で、グレートギャッツビーを胸に抱き目を閉じる。
自分は何者でもないが、それでいいのだという大きな安堵に包まれる。
で挫折した。その苦い感覚もあり、各所でグレートギャッツビーが絶賛されるのを横目で見ながら
手に取れずにいた。
30を過ぎて、ふと手に取った。1回目は、他の小説と同じように最後まで読み通したという程度
のものだった。しかし、気がつけばふと手に取り、偶然開いたページに暫く読みふける。あらすじ
は当然知っているので、その後のまたはそれ以前に起こった登場人物達の出来事を思い、胸が苦しく
なりページを閉じる。数日後、その数日後何度も同じことを繰り返していた。
そのうち、「これはなんなんだろう」と思いはじめた。グレートギャッツビーで語られること、
もしくはそれぞれの頁で起こる出来事、語られる言葉、行動にストーリーやプロットという一言では
言い表せない大きなうねりのようなものを感じるようになった。
電車の中で、フローリングの床で、グレートギャッツビーを胸に抱き目を閉じる。
自分は何者でもないが、それでいいのだという大きな安堵に包まれる。
この作品が、米文学の最高峰の一つであることは間違えないが、
この訳は個人的にがっかりした。(あくまでも好みの問題として)
この小説の、最後の2行を比較すれば、この差は歴然としているが、
それをここに書くべきではない。
タイトルの後の引用部分(”ふたたびゼルダへ”の前)
で比較してみる
野崎訳
「さあ、金色帽子を被るんだ それであの娘がなびくなら
あの娘のために跳んでみろ 見事に高く跳べるなら
きっとあの娘は叫ぶだろう”金の帽子すてき 高跳びもいかすわ
恋人よ あんたはあたしのもの”」
村上訳
「もしそれが彼女を喜ばせるのであれば、黄金の帽子を被るがいい。
もし高く跳べるのであれば、彼女のために跳べばいい
”愛しい人、黄金の帽子をかぶった、高く跳ぶ人、
あなたを私のものにしなくては!”
と彼女が叫んでくれるまで。」
ちなみに、私は「マイ・ロスト・シティ-」他の村上訳を読んでいますので
村上春樹の訳者としての業績を否定するつもりは毛頭ない
ことを付け加えておきます。
この訳は個人的にがっかりした。(あくまでも好みの問題として)
この小説の、最後の2行を比較すれば、この差は歴然としているが、
それをここに書くべきではない。
タイトルの後の引用部分(”ふたたびゼルダへ”の前)
で比較してみる
野崎訳
「さあ、金色帽子を被るんだ それであの娘がなびくなら
あの娘のために跳んでみろ 見事に高く跳べるなら
きっとあの娘は叫ぶだろう”金の帽子すてき 高跳びもいかすわ
恋人よ あんたはあたしのもの”」
村上訳
「もしそれが彼女を喜ばせるのであれば、黄金の帽子を被るがいい。
もし高く跳べるのであれば、彼女のために跳べばいい
”愛しい人、黄金の帽子をかぶった、高く跳ぶ人、
あなたを私のものにしなくては!”
と彼女が叫んでくれるまで。」
ちなみに、私は「マイ・ロスト・シティ-」他の村上訳を読んでいますので
村上春樹の訳者としての業績を否定するつもりは毛頭ない
ことを付け加えておきます。



