恋心の描写がとてもロマンチックで読んでいて恥ずかしくなり、それでいてくすぐったいようなそんな小説です。
古典というのでもっと正統派な恋愛小説かと思えばこの主人公なかなかのマゾです
意中の人の勝手気ままな振る舞いに、ことに自分へのサディスティックな仕打ちを悦んでいるんですから。
何人もの男をはべらせる主人公の思い人ジナイーダが恋した人もまた訳ありなものでした。
一癖も二癖もある恋愛小説です
はつ恋 (新潮文庫)
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前のレビューで書かれていた方もいらっしゃいますが、この小説の主題の「初恋」とは、「多感な主人公→おしゃまなジナイーダ」というよりも、「ジナイーダ→主人公の父親」へのベクトルではないかと思います。
主人公は、奔放な年上の美少女ジナイーダに恋をします。ここまでは、多くの方が相応の経験から理解できると思います。しかし、そんな誰にも支配されないとウソぶいていた少女が、主人公に他人行儀で高雅な父親に身も心も囚われ、初めて支配されてしまう。ここまでなると、凡人には手の届かない「恋」の魔力に、崇高(?)なものを感じます。
ちょいと間違えば、三流恋愛小説になりかねないところ、神西清の素晴らしい訳出がこの作品の気品を保っていると思います。ジナイーダが主人公に朗読させたプーシキンの詩(グルジュアの丘の上、夜霧かかり…)の全文は、訳者注として括弧で小さな文字になっておりますが、名訳です。高校時代、切ない恋をして、ジナイーダ同様、「愛さでやまぬ胸なれば」と何度も口ずさんでいました。凡人たる私のほの甘い思い出です。
主人公は、奔放な年上の美少女ジナイーダに恋をします。ここまでは、多くの方が相応の経験から理解できると思います。しかし、そんな誰にも支配されないとウソぶいていた少女が、主人公に他人行儀で高雅な父親に身も心も囚われ、初めて支配されてしまう。ここまでなると、凡人には手の届かない「恋」の魔力に、崇高(?)なものを感じます。
ちょいと間違えば、三流恋愛小説になりかねないところ、神西清の素晴らしい訳出がこの作品の気品を保っていると思います。ジナイーダが主人公に朗読させたプーシキンの詩(グルジュアの丘の上、夜霧かかり…)の全文は、訳者注として括弧で小さな文字になっておりますが、名訳です。高校時代、切ない恋をして、ジナイーダ同様、「愛さでやまぬ胸なれば」と何度も口ずさんでいました。凡人たる私のほの甘い思い出です。
少女ジナイーダの白い腕は、ヴラジーミルの父に鞭打たれる――
報われぬ思いに飛び込んで痛みに身を任せる、粘々とした青葉の情熱。
少年は、悪戯っぽさと艶麗な色気を併せもった年上の少女ジナイーダに、嫉妬から魂の悦びに至るまでを、めまぐるしく味わされる、弄ばれてさえいると感じる。それは、消え去る事のない鞭の痕を連想させる。
作者ツルゲーネフは、生涯独り身のまま天寿をまっとうしたという。下種の勘ぐりになるだろうけれども、そこにヴラジーミルのようなはつ恋があるとすれば、青春というものにどれだけの未来が宿っていることかと、そんなことを思う。
報われぬ思いに飛び込んで痛みに身を任せる、粘々とした青葉の情熱。
少年は、悪戯っぽさと艶麗な色気を併せもった年上の少女ジナイーダに、嫉妬から魂の悦びに至るまでを、めまぐるしく味わされる、弄ばれてさえいると感じる。それは、消え去る事のない鞭の痕を連想させる。
作者ツルゲーネフは、生涯独り身のまま天寿をまっとうしたという。下種の勘ぐりになるだろうけれども、そこにヴラジーミルのようなはつ恋があるとすれば、青春というものにどれだけの未来が宿っていることかと、そんなことを思う。
「これが恋なのだ、これが情熱というものなのだ、これが身も心も捧げ尽くすということなのだ」(本文より)
恋も愛も、古今東西、人それぞれに多種多様で、多くの物語が語られきているが、なぜか初恋はみんな似たような雰囲気を持っている。
この物語に語られたような経験、もしくはそれに似た想いを抱いている人は多いのではないかと思う。
思うに、この作品が初恋の古典といわれる所以は、恋をしている最中よりもむしろ、幕の締め方にある気がする。
主人公の想いは叶わず、ジナイーダと父もそれぞれ想いを果たしたわけでもなく、いわゆるハッピーエンドにはならない。
それでも彼らは死の淵をまたいで、ともに主人公の前から消えてしまった。
二人が一緒に死んだわけではないけれど、二人とも向こうに行ってしまって、自分はまだこちらに残っている。
この、徹底的に取り残されてしまったような切なさが、初恋の哀愁と重みを増している。
主人公は、二人の恋の間では脇役でしかなかった。
残された人間だけが、いつだって悲しい。
ばりばりの古典なのに、あまりそうは思わせない。
ロシアの庭のように、静かな哀愁が美しい作品。
恋も愛も、古今東西、人それぞれに多種多様で、多くの物語が語られきているが、なぜか初恋はみんな似たような雰囲気を持っている。
この物語に語られたような経験、もしくはそれに似た想いを抱いている人は多いのではないかと思う。
思うに、この作品が初恋の古典といわれる所以は、恋をしている最中よりもむしろ、幕の締め方にある気がする。
主人公の想いは叶わず、ジナイーダと父もそれぞれ想いを果たしたわけでもなく、いわゆるハッピーエンドにはならない。
それでも彼らは死の淵をまたいで、ともに主人公の前から消えてしまった。
二人が一緒に死んだわけではないけれど、二人とも向こうに行ってしまって、自分はまだこちらに残っている。
この、徹底的に取り残されてしまったような切なさが、初恋の哀愁と重みを増している。
主人公は、二人の恋の間では脇役でしかなかった。
残された人間だけが、いつだって悲しい。
ばりばりの古典なのに、あまりそうは思わせない。
ロシアの庭のように、静かな哀愁が美しい作品。
したたかで少し子悪魔的な女性に心を奪われる主人公は、大人になった今読むと馬鹿だなぁと思いますけど、自分の初恋のことを考えるとなんだか恥ずかしくもあり、懐かしくもあります。
この恋に父親がからんできてドロドロになりそうなところを、大人になった主人公の回想録ということもあり、淡々とつづられています。
最近はやりのジェットコースターのような展開はありませんが、だからこそ時代や背景が違えど初恋という誰でも必ず経験したことと重なり合うことが多いのではと思います。
この恋に父親がからんできてドロドロになりそうなところを、大人になった主人公の回想録ということもあり、淡々とつづられています。
最近はやりのジェットコースターのような展開はありませんが、だからこそ時代や背景が違えど初恋という誰でも必ず経験したことと重なり合うことが多いのではと思います。


