小説の言葉を借りると、『こんなすごい「短編集」、はじめてみたよ』。
5話からなる短編集で、キーワードは『白い嘘』。
人間は、他人を思いやるが故に嘘をつく。相手やお互いを想うからこそ
生まれる嘘。この種の嘘は、動物にはできない、極めて人間的な、つま
り人情味のある行為だといえるだろう。
全てに白黒をつけ、自分の幸せを追求するのが善だと思っている合理主
義者には、主人公たちはただ未熟だとしか映らないかもしれない。
でも、相手の気持ちを汲み取った上で嘘をつく主人公たちにふれたら、
「切なさ」という言葉の意味が分かるでしょう。ぜひ一読を。
恋文 (新潮文庫)
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時に、人は嘘をつく。その嘘は自分のためだけではない。
相手を思いやる気持ちが嘘をつかせることもある。その
ことが胸にぐっと来る。それぞれの話の中、登場人物の
つく嘘もそれぞれだけれど、そこには一様に切なさが
ただよっている。5編とも心に残る話だったが、愛する
妻に悲しい嘘をついた男の話の「ピエロ」、叔父、姪、
姪の娘の3人の心が織りなす切ない話の「私の叔父さん」が
印象に残る。洗練された、しっとりと味わいのある作品だった。
相手を思いやる気持ちが嘘をつかせることもある。その
ことが胸にぐっと来る。それぞれの話の中、登場人物の
つく嘘もそれぞれだけれど、そこには一様に切なさが
ただよっている。5編とも心に残る話だったが、愛する
妻に悲しい嘘をついた男の話の「ピエロ」、叔父、姪、
姪の娘の3人の心が織りなす切ない話の「私の叔父さん」が
印象に残る。洗練された、しっとりと味わいのある作品だった。
これが好きな人はだめ男だけだと思う。東京大学物語に似ているんだけどあれは全体を主人公の夢ということにしてるからあんなマザコンが許されるんだと思う。この作者は完全に本気でそれが許されると思っている。きもい。ひどい。大体、連城三紀彦っていう大げさな名前からして胡散臭いと思っていたけど。
連城三紀彦は短編のほうがいいと思う。短編集「恋文」は、忘れられない一冊だ。
なにしろこの人の描く男女関係というのは、いつも世間の常識を裏切ったところに咲いている花、であるのだ。そして、この著者の十八番である「せつなさ」がどの作品にも光る。
「ピエロ」では、人のいい旦那がぞっこん惚れ込むほどだから、その妻というのはよっぽどいい女なんだろうなあ、というところだが、どうにもこの奥さんは「淡々」とした性格なのである。
どんな容器にも収まるとか、成るにまかせて流れるというか、悪あがきしないというか、「水のよう」な人だ。たぶん、旦那にしか分からない魅力があるのであろう。
でも女性の目から見ると、「あんたカマトトぶんのもいいかげんに」と言いたくなるタイプの女性だ。
まあそういう風だから出て行かれてバチが当たったと思うのだが、これは「陰で男が泣いていた」その背中を髣髴とさせるような話だから、これでいいのである。してやったり、という著者の満足顔が浮かんでも、やはりせつない。
「紅き唇」、生来頑丈な体を持ち、何をするにも人の倍くらい力をこめてしまうおばさんを「せつなく」描いてしまう。ここに出てくるのは、皆善良な人ばかり。なのになんでみんなが幸せになれないんだろう。
不器量だからせめて働き者として生きよう、と若いころに悟ってしまったおばさん、婿のために一所懸命したことが、かえって迷惑がられてしまうおばさん、それを思うと涙が出る。
同じ女なのに、か弱く見えるというだけで大事にされる柳腰の女たち。同じく頑丈だという姫野カオルコさんなら分かってくれるだろう。連城は男性であるのにここのところを実によく描いている。
そして、そんなおばさんに向ける著者の視線は温かい。新しい婚約者もまた、優しい女性として登場させているからだ。
幕が下りた後も、私の瞼には、そろっておばさんを訪問するぎこちない婿と婚約者の姿が浮かぶ。
なにしろこの人の描く男女関係というのは、いつも世間の常識を裏切ったところに咲いている花、であるのだ。そして、この著者の十八番である「せつなさ」がどの作品にも光る。
「ピエロ」では、人のいい旦那がぞっこん惚れ込むほどだから、その妻というのはよっぽどいい女なんだろうなあ、というところだが、どうにもこの奥さんは「淡々」とした性格なのである。
どんな容器にも収まるとか、成るにまかせて流れるというか、悪あがきしないというか、「水のよう」な人だ。たぶん、旦那にしか分からない魅力があるのであろう。
でも女性の目から見ると、「あんたカマトトぶんのもいいかげんに」と言いたくなるタイプの女性だ。
まあそういう風だから出て行かれてバチが当たったと思うのだが、これは「陰で男が泣いていた」その背中を髣髴とさせるような話だから、これでいいのである。してやったり、という著者の満足顔が浮かんでも、やはりせつない。
「紅き唇」、生来頑丈な体を持ち、何をするにも人の倍くらい力をこめてしまうおばさんを「せつなく」描いてしまう。ここに出てくるのは、皆善良な人ばかり。なのになんでみんなが幸せになれないんだろう。
不器量だからせめて働き者として生きよう、と若いころに悟ってしまったおばさん、婿のために一所懸命したことが、かえって迷惑がられてしまうおばさん、それを思うと涙が出る。
同じ女なのに、か弱く見えるというだけで大事にされる柳腰の女たち。同じく頑丈だという姫野カオルコさんなら分かってくれるだろう。連城は男性であるのにここのところを実によく描いている。
そして、そんなおばさんに向ける著者の視線は温かい。新しい婚約者もまた、優しい女性として登場させているからだ。
幕が下りた後も、私の瞼には、そろっておばさんを訪問するぎこちない婿と婚約者の姿が浮かぶ。
連城さんが時々新聞向けに書いている文章がキレイだなあ、と思い、何でもいいので本を読んでみようと手にとってみました。外にいる時に読んだこともあって、出て来る男がほとんど精神的に幼くて未熟なので読んでいて狼狽しました。逆に出て来る女性は年齢は様々でも、こういう子供のような成人男性にお母さんのような理解を示してるところが共通していて、すみませんが全く共感できませんでした。



