「条件文(If..., then...)を用いたアプローチ」というのは契約交渉の場で意識していなければ致命的です。If..., then...というのは、「こうなら」という前提を踏み台にして、「こうですね」と論を積み上げて展開する論法です。「風が吹けば、桶屋がもうかる」の例のように「本当だろうか」と思えるものもあります。
「こうなら」の部分に自分が望ましい契約内容を入れて置いて、それを踏み台にして論ずると、先ほどまで「仮の前提」でしかなかったはずが、いつのまにか「確固たる前提」にシフトし、ぐらついていたはずの踏み台がしっかりしてくる、というこの不可思議さがあります。
この論法はアメリカ人が得意とするところです。相手方がこの論法を仕掛けてきたら、必ず「こうなら」の部分の「状況の実現度」を検証し、問題にすることです(つまりその実現度は「万が一」かもしれないわけです)。
『数学者の休憩時間』では「風が吹けば桶屋が儲かる」という条件文(If..., then...)を紹介しています。「風が吹く→ほこりが舞い上がる→ほこりで目を悪くする→盲人が増える→三味線ひきが増える→三味線に必要な猫が減少する→ネズミが増える→風呂桶がかじられる→桶屋がもうかる」の、どのステップも完全なナンセンスではない。しかしながら、舞い上がったホコリで目を悪くする確率は1%未満、盲人が三味線ひきになる率も1%未満…と、各ステップのパーセンテージを掛けると桶屋がもうかる確率は億に一つにもならない、と藤原正彦さんは説明しています。
一方で、自分から仕掛ける場合は、アサーティヴ[断定的]に、手早く踏み台としてキュッキュッと踏み固めてしまうことです。
以上の文章は私がビジネス書の翻訳をしたときに本の前書きで書いたものですが、この論理展開は本当に要注意です。藤原正彦さんの著作を読んで意識を高め、条件文(If..., then...)に騙されない人になってください。
数学者の休憩時間 (新潮文庫)
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著者が父の足跡をたどって、ポルトガルを
旅する稿が印象的でした。
亡くなった新田氏に対する著者の強い愛情と追慕の
感情が旅に駆り立てたのでしょう。
きっと著者が原点に戻るための旅だったのだと思います。
情緒が大切だと主張する著者。
論理はいくつでも成立し、情緒のみが
正しい論理を選択することができる。
「国家の品格」の原点となった思想がすでに
この本においても展開されています。
著者がポルトガルで出会ったサウダーデも
情緒のたまものだと思います。
旅する稿が印象的でした。
亡くなった新田氏に対する著者の強い愛情と追慕の
感情が旅に駆り立てたのでしょう。
きっと著者が原点に戻るための旅だったのだと思います。
情緒が大切だと主張する著者。
論理はいくつでも成立し、情緒のみが
正しい論理を選択することができる。
「国家の品格」の原点となった思想がすでに
この本においても展開されています。
著者がポルトガルで出会ったサウダーデも
情緒のたまものだと思います。
この本は数学についての評論や作者の人生経験が多く述べられていました。
数学教育が目指すものに「考える喜び」ということが書かれていました。問題を長時間考え、苦労の末解けたときは数学ならではの満足感がやってきます。 没頭して考えると何かをつかめるという自信をもち、その自信は世の中のさまざまな局面で必要になると述べています。テストで点をとるために勉強するのではなく考えることが非常に意味深いことなので積極的に数学を勉強していってほしいです!!
数学教育が目指すものに「考える喜び」ということが書かれていました。問題を長時間考え、苦労の末解けたときは数学ならではの満足感がやってきます。 没頭して考えると何かをつかめるという自信をもち、その自信は世の中のさまざまな局面で必要になると述べています。テストで点をとるために勉強するのではなく考えることが非常に意味深いことなので積極的に数学を勉強していってほしいです!!
何日か前に読んだ「世にも美しい数学入門」の読み始めの時、勢いで対談の片方の藤原さんの本を二冊まとめて買った。
エッセイ集&大数学者の伝記みたいなものの、今回は前者。
エッセイ集&大数学者の伝記みたいなものの、今回は前者。
全体として、「世にも美しい数学入門」で鼻についた傲慢さも感じられないが、その分印象も薄い。
ただし、2つ、思い切り共感した部分あり。
一つは、「数学の発達が止まる時」というエッセイで、要は学問が拡がり、「前提として学ぶべき部分」が増えることで、本来の意味での研究者としてのデビューが遅くなり、「新しい発見等をする期間」が短くなってしまうという指摘。
これは自分も以前から-大学院にいた頃から-感じていたことで、我が意を得たり、であった。
もう一つは、「早く読まないと大人になっちゃう」という少年少女文学全集の宣伝文句ではっとした、というくだり。
本当にそう思う。
ここからは個人的な想いだが、これは子供だけでなく、特に工学部とか、「環境」に関する専攻で憂慮すべき状況であると思う。
それというのも、卒論、修論のテーマが応用面、社会性を意識しすぎており、メーカの研究所やシンクタンクの受託研究等と区別がつかなくなっている。
もちろん、就職の時には(少しは)有利かも知れないが、基礎が身に付いていない(というより表層的な研究態度に淫してしまう)だけに、「伸び」がない。
と、横道にそれそうなので、ここまで。
淡々・坦々とした中に、自分としてきらりと光るものが2つ、3つ。
その意味で買って損しなかった。
個人的には善意で生きてるはずなのに、なぜーか裏目にでる、お年玉、中央気象台官舎というエピソードがほほえましくって先生のお人柄に愛情を感じた。
社会に対する洞察にもうなずけて、数学者独特の慧眼を感じた。
出産の秘話や内輪話は臨場感あふれていて、新田次郎先生への気持ちなども、家族の絆という誰しも経験する共通のあたたみをあたえると共に、別れの切なさを見事に描き、喜怒哀楽を短時間のうちにたくさん感じ取ったせいか、人生を立派にやりとげたような爽快な気持ちになった。
先生もっともっと書いてください。



