「火宅の人」。当時は単なる私小説というより、もっとスキャンダラスな
扱いだったのでしょうね。
彼女が檀一雄に求められたのは、自分にとっても子供たちにとっても
よき母「おっかん」であると同時に、女であり続けること。
彼女は、母であることだけを選んだために、夫は外に女を求めて出て行った。
それって、夫婦の永遠のテーマかも(笑)
けれど、彼女は世間で言われてるほど不幸なひとではなかったと思います。
正直、「火宅の人」で描かれた自分像に対する弁明めいたことは言って欲しく
なかったな、って感じでしたが、最後の無頼派の最期を語れる唯一の人として
証言してくれた勇気に敬意を表したいと思います。
檀 (新潮文庫)
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檀一雄については「火宅の人」であるということだけは知っていました。娘である檀ふみさんが、ことあるごとに父への尊敬の念、思慕を口にされるので、どのような方なのかと思い手にとりました。
まず、「リツ子」さんは檀ふみさんの母ではなく、先妻のことであるということ。その先妻の闘病記と、愛人と家庭との間で揺れ動くさまを書いた「火宅の人」が代表作の私って…という夫人の言葉が、本当に聞こえてきそうでした。
しかしこの本を最後まで読むと、檀一雄という人は、妻としてではなく、恋人を愛するように妻のことを愛していたのだなということがよく分かります。よき家庭人になることが望まれる結婚制度の中で、作家はヨソ子さんのことを、ずっと女性として見ています。これが作家というものなのか、檀一雄という人なのか…本の中ですが強烈な個性を持った男性に出会いました。
まず、「リツ子」さんは檀ふみさんの母ではなく、先妻のことであるということ。その先妻の闘病記と、愛人と家庭との間で揺れ動くさまを書いた「火宅の人」が代表作の私って…という夫人の言葉が、本当に聞こえてきそうでした。
しかしこの本を最後まで読むと、檀一雄という人は、妻としてではなく、恋人を愛するように妻のことを愛していたのだなということがよく分かります。よき家庭人になることが望まれる結婚制度の中で、作家はヨソ子さんのことを、ずっと女性として見ています。これが作家というものなのか、檀一雄という人なのか…本の中ですが強烈な個性を持った男性に出会いました。
入江杏子『壇一雄の光と影』を読んだ直後だったので仕方ないのだが、本書を壇一雄の妻である壇ヨソ子のインタビューをまとめたものだと思い最後まで読み通してしまった。インタビューに答える声には何らかの感情が込められていたはずなのに、それが全く拾い上げられていない文章に不満を募らせつつ何とか読み終え、巻末の解説を見てその誤解に気づいた次第。本書の根底には沢木の解釈、男の思考が深く大きく横たわっている。
前半は『火宅の人』の話題からほとんど広がることなく退屈。
前半は『火宅の人』の話題からほとんど広がることなく退屈。
話は面白かったが、ヨソ子婦人の魅力である率直さやおおらかな性格が凡庸で愚直なものに見え、読後間悪かったので星4つです。神経質で気まぐれな小説家の妻としては向かない女性だったのかもしれない。
あなたにとって私とは何だったのか。私にとって、あなたはすべてであったけれど。
だが、それも、答えは必要としない。
だが、それも、答えは必要としない。
この文章が、もっとも印象的です。あなたがすべてということは有り得るのでしょうか。あったとしてそれは、どのような感覚でしょうか。
この一文になぜ『家宅の人』に惹かれたかが現れていると思った。
にしても、「だが、それも、答えは必要としない」はなくてよかったんじゃないかな~。



