ひとつ前に戻る

アブラクサスの祭 (新潮文庫)
玄侑 宗久
価格: ¥340 (税込)

文庫
出版社: 新潮社
発売日: 2005/12
ISBN: 4101166528
おすすめ度:4.5
Amazon ランキング: 259371位
発送可能時期: 通常24時間以内に発送

amazonの詳細ページへ
人はそのままで正しい。
神であり悪魔の役割も果たす表裏一体の神アブラクサス。
私たちは日々六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天道)
の中を生まれ変わり死に変わりしているわけで、

満足できずに餓鬼の苦しみを味わう日もあれば、
怒りに吾を忘れ阿修羅に狂う日もある。
子犬が産まれれば天使の笑顔にだって成れる。
私達はそう云う六道の幅を行ったり来たりして生活するわけだが、

そういうものを含めて肯定しようするのはさすが玄侑氏。
アブラクサスを祭り、敬おうとする氏の心意気は素晴らしい。

・・・おまえはそのままで正しい・・・

と、アブラククサスが浄念に働き掛けるシーンを観ると、
良かったんだと安心します私は。

餓鬼も阿修羅も天道もそのままで正しい。

と言いつつも、地獄や阿修羅など特定の道に固執し
それが永続するようなことが在ってはならないし
そうならないように努力すべきであるが。
イメージが斬新です。
芥川賞を取ったという「中陰の花」もそうなんですが、この作者は視覚的イメージの使い方がすさまじいです。
登場人物の面白さとラストシーンの強烈さでは「中陰の花」よりもこの作品の方が上だと思います。

躁鬱病を抱えた、薬を飲まないとやっていけない中年の禅坊さんが一大決心してロックの
コンサートを開くという話です。 ・・とプロットだけ書くとただの変な話ですね。

最初、主語などがはっきりせずに読み辛い文体があまり気に入らないなあ、などと思いながら
読んでいたのですが、読み進むうちにだんだん気にならなくなり、ラストシーンでやられました。
何に対して感動しているのか、自分でもよくわからないのでうまく説明出来ないのですが・・ 今までに感じた事の無いタイプの感銘を受けました。

ちょっと気になった方は、とにかく読んでみてください。
私ももう一度読み直そうと思ってます。
並たいていの坊さんではない
この物語の主人公である僧侶の浄念は「分裂症まじりの躁鬱病」の患者であり、
それが彼のアイデンティティでもあるという人物です。
彼は通いの僧侶で、住職の玄宗に見守られながら修行を積んでいます。
若い頃はロック・ミュージシャンだった浄念は、僧侶としてのお勤めの合間に定期的にライブをやっている。
お寺は東北地方のどこかにあるが次のライブはお寺のある町でやりたい。 浄念は住職にそう申し出て玄宗もそれを承知します。
この物語はライブの当日までの数ヶ月間について、浄念の日常と心の動きを追ったを作品です。
「分裂症まじりの躁鬱病」を身近に経験したことがあるかたには、よりおもしろく読めるでしょう。
実はわたしは身近に経験していたことがあるので、ぞくぞくするほどのリアルな感じがありました。
あるシーンでは本を抱えて爆笑してしまったのですが、玄侑さんは病気の経験者ではないのかとしか思えないできばえです。
並たいていの坊さんではない。 
瀬戸内寂聴尼が<後継者>として指名しただけのことはあると思いました。
昔ロックは精神と結びついていた
今年はロック生誕50周年とのこと。僧侶であり、ロックを愛する精神を病んでいる僧侶の精神開放の物語。そうなんです。古今東西ロックとは精神社会と密接に結びついていたんだ。精神の開放、人間の限界への挑戦、まさしく、Break on Through To The Other Sideだったんです。ところが50年経って現在の状況といったら。。。
本書はまさにロックが本当にロックとして描かれている。精神と宗教とロックのが組み合わされて、心の開放が味わえます。



本のみちしるべ Powered by Amazon Web Service
PR: FS研究室