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海辺の光景 (新潮文庫)
安岡 章太郎
価格: ¥500 (税込)

文庫
出版社: 新潮社
発売日: 1965/04
ASIN: 4101130019
おすすめ度:4.5
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5母への罪悪感を死ぬまで背負う息子
この作品を読むのはこれで三度目だ。読むたびに異なった感想を持つ。最後に出てくる棒杭は一体何なのだろう。初めて読んだ時は、混乱期のストレスが母親の脳髄に突き刺さったものに思えた。しかし今回読むと、主人公の母に対する罪悪感の象徴に思える。或る精神科医が「概して子供の神経症は父親が原因、統合失調症は母親が原因。」と述べている。この場面で主人公は明らかに母の狂死を自分のせいだと感じている。絶対に解消不能の激しい罪悪感を、真珠貝養殖用の棒杭に投影している。母の脳に何百本もの杭を打ち込んだのは自分なのだ。これは根拠のない罪責感だ。山の手のエリートの核家族の息子、単身赴任がちの父、父を「憎悪」し息子を溺愛する母.....という構図は現代の家族に近い。頭のよい息子は、エリートコースから離脱する。しかし仮に母の期待通りエリートになったとしても、この原因不明の母への罪責感は存在しただろう。そして一生背負わねばならないのだ。そして全く相似形の罪責感を、母親も背負う。ではこの罪責感の正体はなにか、と考えても分からない。そもそもそんな「罪」など、実体のない幻だからだ。だから解決しようがない。どうしようもなく重く苦しい。私がこの小説の主人公に共感するのは、こういう心理だ。
5究極のエディプス・コンプレックス文学
表題作は著者の自伝的作品。ただしこの時期に受賞した芥川賞のことには一切触れられていない。「息子はその母親の子供であるということだけですでに充分に償っているのではないだろうか?」 九日間、精神病院の甘酸っぱい臭いのする部屋に、母の最期を看取るために主人公は閉じこもる。安岡章太郎の描写するいたたまれなさ、やるせなさ、いきばのなさ、やりきれなさは天下一品だ。恥辱文学の金字塔とでも名付けたい。時間を交差させ、五感に訴えかけるように父への嫌悪、母への愛憎を描き切った。

個人的なことだが、私は高校生の時に収録作品の「俄」の主人公と同じような体験をしたことがある。夜中にとてつもない爆音で目が醒めた。耳の奥で虫らしきものが暴れまわっているのだ。鼓膜の真横、目の真後ろ、脳の真ん中で巨大な音を立て続けているのだ。恐怖のあまり泣き喚く私と、慌てふためいて応急処置を聞こうとメディカルセンターに震える手でダイヤルする母。センターの指示は三段階だった。まず光で照らすこと。これは短編とは違って効果はなかった。次に煙草のケムリで燻し出すこと。そこで父に煙草のケムリを耳の中に吹き込んでもらった。虫は苦しいのか全力で暴れ出し、私は叫び声を挙げながら爪先立ちで部屋中を駆け回り発狂寸前となった。最後の指示はサラダオイルをストローで耳に流し込み、それから水泳のあと水を抜くように、オイルと虫入りの耳を下にしてケンケンをするようにとのことだった。サラダオイルと共に、足元に落ちてきたのは、てんとう虫ほどの小さなカナブンだった。このようなエピソードでも読者諸氏のお役に立てれば幸いである。
3母親との別れ
「海辺(かいへん)の光景」「宿題」「蛾」「雨」「秘密」「ジングルベル」「愛玩」を収録。「海辺の光景」以外の短編は夢の中の出来事のような印象でぼやーっとしてあまり好きじゃないです。

精神病院に入院中の母親の最期を看取る「海辺の光景」はものすごくよくできた小説だと思いました。ただ、ものすごくよくできている、という印象がそのまま、ものすごく感動したということにはならないわけですが。

意識のない母親に、声をかけてあげなさいと病院の人に言われて上手く話し掛けることができなかった主人公が、何かを言ってあげたい気持ちになったときにはもう手遅れになってしまっているという場面はリアリティがあると思いました。


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