19年も前のことなのに、
読み終わったときの興奮を
今でもありありと思い出すことができる。
文学はこれほど面白いのか!と震えるような気持ちで思った。
純文学の面白さを堪能したい方に、
ぜひオススメしたい。
大江文学を読破しようとお考えの方も、
まずはこの1冊からどうぞ。
大江文学の入門書としてもオススメ。
芽むしり仔撃ち (新潮文庫)
大江 健三郎
価格: ¥420 (税込) 文庫 出版社: 新潮社 発売日: 1984/01 ASIN: 4101126038 おすすめ度: ![]() Amazon ランキング: 38549位 発送可能時期: 通常24時間以内に発送 ![]() |
大戦末期、感化院の少年たちは山奥の村へ疎開させられるが、そこで疫病が発生したため、
少年たちは村人達から見棄てられ、山奥に閉じ込められる。
疎外された少年たちは、朝鮮人の少年、疫病で母を失った少女、山狩りから逃れた脱走兵らと隔離された村の中での束の間の自由生活を獲得し、厳しい戦時下での不思議な理想郷を実現したかに思えたが・・・
少年達は大人たちの身勝手な都合で束縛されたり、見棄てられたり、また時には懐柔させられようとする。
そして、村の大人たちの狡猾さ、残酷さ、理不尽さが強烈に印象に残る。
これは、戦争という狂気によって作られたものなのか、それとも利己的な人間本来の姿なのだろうか。
私は、戦時中に少年時代を過ごした大江氏が、戦時中に感じた大人たちへの怒りにも思えたのだが、どうだろうか。
ちなみに本書は大江氏が23歳の時に発表された処女長編であり、その完成度の高さに感嘆した。
少年たちは村人達から見棄てられ、山奥に閉じ込められる。
疎外された少年たちは、朝鮮人の少年、疫病で母を失った少女、山狩りから逃れた脱走兵らと隔離された村の中での束の間の自由生活を獲得し、厳しい戦時下での不思議な理想郷を実現したかに思えたが・・・
少年達は大人たちの身勝手な都合で束縛されたり、見棄てられたり、また時には懐柔させられようとする。
そして、村の大人たちの狡猾さ、残酷さ、理不尽さが強烈に印象に残る。
これは、戦争という狂気によって作られたものなのか、それとも利己的な人間本来の姿なのだろうか。
私は、戦時中に少年時代を過ごした大江氏が、戦時中に感じた大人たちへの怒りにも思えたのだが、どうだろうか。
ちなみに本書は大江氏が23歳の時に発表された処女長編であり、その完成度の高さに感嘆した。
この小説でいちばんすばらしいのはタイトルです。意味は小説を最後のほうまで読めばわかります。二百ページほどの短めの長編ですが、なかなかに読み応えのあるものになっています。ほとんどリアリティはないらしく、一種のファンタジーになっているらしいのですが、そんなこと当時を知らない私にとってはわかりようがありません。
大江健三郎がデビュー当初からモチーフにしている、「内」と「外」の話です。閉じこめられたのか農村で自由の王国を建設する子供達。閉ざされているのに彼らは自由と感じています。しかし、いざ外にでて大人達と邂逅すると、彼らはもう思い通りにはふるまえません。大人たちの力によって挫折し、涙を流します。外にあるのに自由はないのです。閉ざされた空間と閉ざされていない空間、私たちはそのふたつの概念を前にすると自由という概念さえ失ってしまうのです。
大江健三郎がデビュー当初からモチーフにしている、「内」と「外」の話です。閉じこめられたのか農村で自由の王国を建設する子供達。閉ざされているのに彼らは自由と感じています。しかし、いざ外にでて大人達と邂逅すると、彼らはもう思い通りにはふるまえません。大人たちの力によって挫折し、涙を流します。外にあるのに自由はないのです。閉ざされた空間と閉ざされていない空間、私たちはそのふたつの概念を前にすると自由という概念さえ失ってしまうのです。
確かに、大江健三郎はいまや朝日系メディアと中国・韓国以外の誰にも興味を持たれない存在かもしれない。確かに、いまや方向転換も出来なくなった六十〜七十年代ファッション左翼の田舎者かもしれない。確かに、「私はノーベル賞、ノーベル賞、ノーベル賞」と振りかざす老いた姿はイタイかもしれない。
これはもう「学生作家」の運命というか、私の見る限り、社会人経験もなく小説家として成功する人には「イタイ」タイプが多い。世間知らずだし自己陶酔型だ。こういう人たちは社会経験がないので大抵すぐにネタが尽きる。大江健三郎の場合、尽きたネタを補うべく「政治」に行き、行ったら「陶酔」してしまったのだろう。当時は左翼文化人をやってそれらしい発言をしていれば、高邁でエライ人のように扱われた。人間、チヤホヤされたら嬉しい。「正義」故にチヤホヤされればさらに陶酔する。「正義」はあまりに気持ちが良いので、一度それで売ったら最後、二度とそれを手放せなくなる。
さて、大江健三郎について最も注目に値するのはタイトルの上手さではなかろうか。「タイトルが絶品」は故山本夏彦さえ指摘なさっていたことだ。この小説はタイトルも抜群だが中味もなかなか面白い。毛嫌いせずに、この一冊だけはお読みになってみてもいいかもしれない。短編だし時間も取らない。若き日の大江健三郎が確かに才能のある小説家だったことが分かる。
これはもう「学生作家」の運命というか、私の見る限り、社会人経験もなく小説家として成功する人には「イタイ」タイプが多い。世間知らずだし自己陶酔型だ。こういう人たちは社会経験がないので大抵すぐにネタが尽きる。大江健三郎の場合、尽きたネタを補うべく「政治」に行き、行ったら「陶酔」してしまったのだろう。当時は左翼文化人をやってそれらしい発言をしていれば、高邁でエライ人のように扱われた。人間、チヤホヤされたら嬉しい。「正義」故にチヤホヤされればさらに陶酔する。「正義」はあまりに気持ちが良いので、一度それで売ったら最後、二度とそれを手放せなくなる。
さて、大江健三郎について最も注目に値するのはタイトルの上手さではなかろうか。「タイトルが絶品」は故山本夏彦さえ指摘なさっていたことだ。この小説はタイトルも抜群だが中味もなかなか面白い。毛嫌いせずに、この一冊だけはお読みになってみてもいいかもしれない。短編だし時間も取らない。若き日の大江健三郎が確かに才能のある小説家だったことが分かる。
ノーベル文学賞だとか、大江だとか、そういうものではない。
1センチにも満たないこの文庫本だが、非常に重厚かつ濃厚な味わいを内包している。
言葉の端々に現れる大江ならではの節回し。
情景あろうと感情だろうと五感だろうと一気に叩き込んでくる濃密な筆致。
めまいすら覚えるほど、甘美である。
感化院の少年たちがとある山村に取り残される。
唯一の抜け道は閉鎖され、山村では疫病が蔓延していることがわかる。
それでもそこは、少年たちにとってはじめて手に入れた「自由」を孕む王国であった。
「自由」を体いっぱい体感してゆくサマは、戦争小説である本作をみずみずしいジュヴナイルにさえ仕上げている。
大江の、一般に読みにくく難解とされ敬遠されがちな文章ではあるが、分量的に少なく、近作とことなり、処女長編であるがゆえエネルギッシュであるし、比較的読みやすくなっている。
この本を手始めに、エンターテインメントとしての小説=娯楽のみでなく、文学としての小説=芸術という世界を垣間見てはいかがだろうか。
1センチにも満たないこの文庫本だが、非常に重厚かつ濃厚な味わいを内包している。
言葉の端々に現れる大江ならではの節回し。
情景あろうと感情だろうと五感だろうと一気に叩き込んでくる濃密な筆致。
めまいすら覚えるほど、甘美である。
感化院の少年たちがとある山村に取り残される。
唯一の抜け道は閉鎖され、山村では疫病が蔓延していることがわかる。
それでもそこは、少年たちにとってはじめて手に入れた「自由」を孕む王国であった。
「自由」を体いっぱい体感してゆくサマは、戦争小説である本作をみずみずしいジュヴナイルにさえ仕上げている。
大江の、一般に読みにくく難解とされ敬遠されがちな文章ではあるが、分量的に少なく、近作とことなり、処女長編であるがゆえエネルギッシュであるし、比較的読みやすくなっている。
この本を手始めに、エンターテインメントとしての小説=娯楽のみでなく、文学としての小説=芸術という世界を垣間見てはいかがだろうか。
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