四部作のなかでも、一番難解とされ、飛ばし読みされることの多い『暁の寺』。
けれど、この豊饒の海シリーズの一貫したテーマを捕らえようとしたら、
一番、核となるだろう部分ではある。
ここを熟読しなければ、最期に三島が投げ打ったものを読者が掴むことはできない。
この大作群は「芸術(的)」で終わるにはあまりにももったいない。
三島が抱いていた思想において、一体「輪廻」するものとは何か。
何が「転生」するのか。そもそも転生とは何か。
このシリーズの根底に流れ続ける命題の根本的な定義が、
この第三部でなされている以上、やはり読者は、難解ではあっても、
この『暁の寺』と四つに組んで格闘すべであろうと思う。
月光姫「自体(或いは漠然とその精神、その魂)」は勲の転生であり
また遡ればその勲「自体(同じく)」は清顕の転生である…、
本当にそう断ずることができるのか。―――断ずるにしても、一体何が生から生へ引継がれたことによって?
まさにその答えが、多く嫌煙される哲学的(唯識論的、仏教思想的)部分に明記されており、
さらに読み進めれば、三島由紀夫という人間の自己規定、死、天皇観、心の深遠にも近づく手立てともなっている。
またいくら難解に思えるとしても、やはりこの第三部とて、
芸術たる気品とひきりまりを充分に有している。
難解どころの騒ぎでないとされる仏典を、いとも過不足なく、
可能な限りのやわらかさをもち(それでも難解なのだけれど)、
それでありながら言葉と言葉を緊密につなぎ合わせ、冗漫さのかけらもないということ。
その為に作品(文章)としのモチベーションが下がっておらず、
難解でありながら、第一部〜第四部への流れを堰止めてはいない。
(私はこの第三部を芸術的にも、「足止め」とは考えられない。
反対に、第一部・第二部を輝かせるもの、
さらには終局(第四部)への促進剤とはなりえても。
或いは仮に足止めであっても、絶対不可欠な足止めだと思う。)
そこに気づかなければ、それこそ誰もが欠伸を禁じえないものになっていたかもしれないが。
暁の寺 (新潮文庫―豊饒の海)
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「春の雪」「奔馬」も勿論傑作だが、4部作の頂点を成すのはこの作品。タイ・インドの情景描写の精緻な美しさは、小説と云うジャンルが生み出した至高の芸術であろう。三島の作品に共通している事だが、この作品は時代背景が戦前から戦後にまたがっているため、戦争によって作者が(及び日本が)喪失した物の大きさ、深い傷をいやが上にも痛感させられる。三島はその傷を活力源として創作活動をしてきた作家だが、この作品の後半部分における戦後の世相や人間の描写は、前半部のそれと比べてあまりの退廃ぶりにゾッとさせられる。(その象徴が主人公の本多である事は云うをまたない)作者の全作品の内でも屈指の傑作であると思う。
起承転結の四部作のまさしく、転
美と愛の清顕から、武と義の勲、
それが突然、タイの王女月光姫に。
しかし、どうしてタイの王女?
まさか、某皇族がタイの王女と浮名を流すことを、予言したわけではあるまいにと思った人も多いのでは?
美と愛の清顕から、武と義の勲、
それが突然、タイの王女月光姫に。
しかし、どうしてタイの王女?
まさか、某皇族がタイの王女と浮名を流すことを、予言したわけではあるまいにと思った人も多いのでは?
本作では月光姫が生まれ変わりとして登場しますが主人公は本多です。
暁の寺自体はストーリーを追求しているというより清顕、勲、月光姫と輪廻転生を見守ってきた本多を主人公にすることによって本多自身と彼の周りの人たちを描き、それによって「暁の寺」を演出したかったのではないかと思います。(だからストーリー自体を期待している方にはちょっと退屈に思えるかもしれません。)
三島先生は春の雪、奔馬での本多とは違い、良くも悪くも人間として成長した本多を主人公として登場させることによって天人五衰につなげています。
タイとインドの情景描写が本当に美しい。
ここでの美しいとは「単に美しい」だけではなくて残酷さ、人間臭さ、悲惨さ、貧しさ、醜さなどを含めた美しさが三島先生の巧みな筆致によってより美しく感じられます。
この作品で一番驚いたのが三島先生の巧みな人物設定、性格と心情描写です。
前半の本多と菱川のやりとりにおけるそれ、後半の本多自身と月光姫、妻、慶子などのそれ。どれも巧みで脱帽しました。
後半部分で本多と周りの人との人間らしい汚さ、醜さなど人間の本質が上手く描かれていて感動しました!
豊饒の海は本当に深くて面白いのでついつい何度も読み返してしまいます(笑)
じっくりと味得することをおすすめします。
暁の寺自体はストーリーを追求しているというより清顕、勲、月光姫と輪廻転生を見守ってきた本多を主人公にすることによって本多自身と彼の周りの人たちを描き、それによって「暁の寺」を演出したかったのではないかと思います。(だからストーリー自体を期待している方にはちょっと退屈に思えるかもしれません。)
三島先生は春の雪、奔馬での本多とは違い、良くも悪くも人間として成長した本多を主人公として登場させることによって天人五衰につなげています。
タイとインドの情景描写が本当に美しい。
ここでの美しいとは「単に美しい」だけではなくて残酷さ、人間臭さ、悲惨さ、貧しさ、醜さなどを含めた美しさが三島先生の巧みな筆致によってより美しく感じられます。
この作品で一番驚いたのが三島先生の巧みな人物設定、性格と心情描写です。
前半の本多と菱川のやりとりにおけるそれ、後半の本多自身と月光姫、妻、慶子などのそれ。どれも巧みで脱帽しました。
後半部分で本多と周りの人との人間らしい汚さ、醜さなど人間の本質が上手く描かれていて感動しました!
豊饒の海は本当に深くて面白いのでついつい何度も読み返してしまいます(笑)
じっくりと味得することをおすすめします。
「春の雪」「奔馬」までは大変面白く読めたが、この「暁の寺」は駄作である。
タイやインドの情景描写は美しいが、それだけ。その美しい描写にストーリーの質が全く追いついていない。本来脇役に過ぎない本多を主人公にしてもちっとも面白くない。本当は清顕や勲の生まれ変わりだという月光姫を主人公にして、姫の視点から描くべきだったのだが、日本人の三島にとって外国(タイ)の姫になり切って小説を書くのは難しかったのだろう。それに、話の展開において中年男女の不潔さ・嫌らしさが鼻につき、読んでいて反吐が出るほど不快である。
この作品は「難解」なのではない。明らかに「駄作」「失敗作」である。難解と思われるのは単に、ストーリーがスカスカなのを仏教の難しい話を並べて誤魔化しているだけである。
タイやインドの情景描写は美しいが、それだけ。その美しい描写にストーリーの質が全く追いついていない。本来脇役に過ぎない本多を主人公にしてもちっとも面白くない。本当は清顕や勲の生まれ変わりだという月光姫を主人公にして、姫の視点から描くべきだったのだが、日本人の三島にとって外国(タイ)の姫になり切って小説を書くのは難しかったのだろう。それに、話の展開において中年男女の不潔さ・嫌らしさが鼻につき、読んでいて反吐が出るほど不快である。
この作品は「難解」なのではない。明らかに「駄作」「失敗作」である。難解と思われるのは単に、ストーリーがスカスカなのを仏教の難しい話を並べて誤魔化しているだけである。



