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真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)
三島 由紀夫
価格: ¥500 (税込)

文庫
出版社: 新潮社
発売日: 1970/07
ISBN: 410105018X
おすすめ度:5.0
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著者自選の貴重な短編第2集、自註に遺書的要素を感じます
終戦後間もない昭和20年代に描かれた8編と30年代に描かれた3編からなる自選短編第2集で、解説も三島由紀夫が切腹自死する昭和45年の6月に自ら書いています。

氏は「自作・自註は退屈な作業だが第3者の手にかかってとんでもない憶測をされるよりも、古い自作を自分の手で面倒をみてやりたいというだけのことだ」と述べていますが、恐らくこの言葉は自死を前提に出てきたもので、熟慮の上の自選・自註なのでしょう。

どれも読み応えのある短編ですが、氏の赤裸々な告白や小説の技巧的挑戦やその意図が解説で明らかになり、三島由紀夫が作品を描いた当時の想いを知り得る点でも大変貴重な作品だと思います。

とりわけ、昭和21年作「煙草」を川端康成氏が雑誌に紹介してくれたことが文士のきっかけだったことや雑誌「人間」の木村編集長が当時、神の如き技術的指導者だったと感謝している点、そして、昭和26年作の「翼」は「実は戦中戦後を生きなければいけなくなった青年の悲痛な体験を寓話的に語ったものである。私はこの種の短編であらわな告白をしていたつもりであるが、当時この告白に気付いた人はいなかった」と自らを振り返っている点が、遺書のようにも思えとても印象に残りました。
イチローは野球の天才。三島は小説の天才である。
一つ一つが、濃厚で深い短編です。

特に、タイトルになっている「真夏の死」は印象深い。普通の人にも、普通に悲劇は訪れる。その悲劇をその人がどう整理していくか、人間観察の小説である。それぞれの短編を読むと、人間の奥深い思想世界に引き込まれて行く。味わい深い。まさに近代文学。
運命と虚構
「夏の豪華な真盛の間には、われらはより深く死に動かされる」というボオドレエルのアフォリズムを副題とする「真夏の死」は、海難事故という悲劇から出発している点に特徴がある。解説で作者も述べている通り、通常の小説では悲劇は最後に起こり、その必然性としての宿命がそれまでに描かれる。「真夏の死」はそれと反対を描き、なんの暗示もなく突如悲劇が起こるために、後に残された者がその必然性を疑う展開をみせる。

予め示されない必然性を埋めるかのように朝子は「悲し」む。「悲しみ」が癒えてしまえば、その悲劇は何事もなかったかのような偶然のある出来事に変わってしまうからである。そのため、「何事も天命」であると捉えるには至らず、深い悲しみを固持しようとするのだが、悲しみの程度、実質というものが曖昧である故に、どれだけ悲しんでも悲しみが足りないように感じてしまう。しかし、結局は悲劇の必然性を見出せないまま、悲劇を日常生活の中へ、すなわち偶然性の中へ溶かし込んでいく成行になってしまう。そこから、別の必然性を待つようになる。つまり悲劇の、あるいは悲劇に対する悲しみの物語化である。さらに、新しい子の懐胎は別の必然性を待つ覚悟の証とも思えなくもない。

「運命」を必然性として捉えるか、それとも「虚構」を描き、必然性を確保するか。この両者の間で揺れ動く様を描いた傑作である。
人間らしい感情の表現
 三島由紀夫の自選短編集。
 全作品を通して人間の感情の描写が非常によくなされていると思います。特に表題作真夏の死では、息子や親戚の死を経験し、神経過敏になってちょっとした出来事に登場人物たちの心情が揺れ動く所に、人間の弱さがよく描写されています。面白いと言うよりは正直にうまいと感じました。
 最後の作品、つきあっている彼女に『別れよう』という言葉だけを言うためだけにつきあってきたという所は、意外なようで人間らしい感情だなぁと感心したりしました。
 初めて読んだ三島由紀夫の作品でしたが、十分満足できました。近代文学でもわりと最近で、文体もあっさりした方だと思います。
死の数ヶ月前、三島由紀夫がこの短編集の為に書いたあとがき
 この自選短編集のあとがきの中で、三島由紀夫は、こんな事を書いて居る。(以下引用)−−旧作を読み返しておどろかされるのは、少年時代、幼年時代の思い出、その追憶の感覚的真実、幾多の小さなエピソードの記憶等が、少なくとも二十代の終り近くまでは実によく保たれていたということである。それらを一切失わせたのは、一つには年齢と、一つには社会生活の繁忙さとであろう。きめこまやかな過去の感覚的記憶を玩弄(がんろう)していられるには、肉体的不健康が必要であり、(プルウストを見よ!)、健康体はそのような記憶に適しないのであろう。私が幼少年時の柔らかな甘い思い出を失う時期が、正(まさ)に、私の肉体が完全な健康へ向う時期と符合しているのである。(本書289〜290ページ)−−
 三島由紀夫の作品を読んで居ると、彼が、幼少年時代の記憶を、或る時はそのまま、又別の時には、歴史上の情景に見立てて、作品に散りばめて居ると思ふ時が少なくない。(『春の雪』や『海と夕焼』には特にそれを感じる)しかし、その幼少年期の記憶を失って行く過程を、三島由紀夫が、上の様に回想して居るのは、このあとがきが書かれたのが、昭和45年(1970年)6月と、彼の死の数ヶ月前であるだけに、予言的である。彼が、自分の幼少年期の記憶をこれほど醒めた言葉で語る様に成った時、彼は、既に自分の人生の前半を否定して居た様に思はれる。−−幼少年期の記憶を良く保って居る事を肉体的不健康と見なして−−それはともかく、この短編集の中で、私は、『サーカス』が一番好きである。

(西岡昌紀・内科医)



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