『花ざかりの森・憂国―自選短編集』です。
「花ざかりの森」「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」「遠乗会」「卵」「詩を書く少年」「海と夕焼」「新聞紙」「牡丹」「橋づくし」「女方」「百万円煎餅」「憂国」「月」の13編が収録されています。
これだけ本数がありますから、作風も多彩です。もちろんある程度玉石混淆感はあります。
巻末に三島由紀夫自身による解説が載っていますので、著者が作品に対してどういうスタンスで向き合っているのかの一端を垣間見ることができると思います。
いずれの作品も、三島ならではの水晶のように美しい文体を堪能できます。
表題作の一つである「憂国」は、二・二六事件外伝ともいうべきものです。美しい青年中尉が妻と共に自決するという内容です。
割腹シーンのすさまじさと官能シーン、そして著者三島自身が後に自決を遂げた、ということもありますし、著者が解説にも書いてある通り「もし、忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたい求めたら、『憂国』の一編を読んでもらえばよい」といったところでしょうか。
花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)
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主に若き日の三島の才能がほとばしってます。
これでもか、これでもか、と言うほど、
彼の才能・感受性が、ほとばしっています。
何かの本に、小林秀雄との対談で、
小林「君は自分の才能にしか興味がなかっただろう」
三島「はい」
と言う場面がありました。
それを裏付けて余りある作品です。
百聞は一見(一読?)にしかず。
ぜひ読んで、存分に息を飲んでください。
これでもか、これでもか、と言うほど、
彼の才能・感受性が、ほとばしっています。
何かの本に、小林秀雄との対談で、
小林「君は自分の才能にしか興味がなかっただろう」
三島「はい」
と言う場面がありました。
それを裏付けて余りある作品です。
百聞は一見(一読?)にしかず。
ぜひ読んで、存分に息を飲んでください。
表題の「憂国」を読んだ時、なんともいえぬ官能と生の充溢に、驚嘆した。三島由紀夫の中でも、大好きな作品の一つである。
全編に一種独特の緊張感が走り、読むと手に汗握り、血が滾る。最後のシーンの対照は、絶美である。
これを超える美しく、悲哀に満ち、官能的な小説に出会ったことはいまだにない。
全編に一種独特の緊張感が走り、読むと手に汗握り、血が滾る。最後のシーンの対照は、絶美である。
これを超える美しく、悲哀に満ち、官能的な小説に出会ったことはいまだにない。
最初に言っておきますが、私はこの本の表題作『憂国』には、星5つでは足りない、
∞の評価を与えたいということ。
この小説に出会った時の事を逐一覚えております。
8時半に家を出て、近くのバス停に向かい、職場へのバスを待つ。
バスを待つ間はいつもの時間。
いつも会う人がいて、同じ時間の流れ・・・。
しかしちょうど、この小説読んだときにあたったそのときの光景は生涯忘れられないものとなりました。
当時私は軽い鬱状態で、なかなか人と交われず、増してや男女交際はいわんや・・・
という状況でした。
叶わない望みであるがゆえに理想化されてしまうのは必定、と
この世にありえない理想的な男女の姿を夢見ていました。
どうでしょう・・・。
おそらくこんなに美しい愛情で結ばれた男女はほかに無いであろうかと思わせる程美しい男女関係。
(最初の段落・漢語調の記載からはじめて、私は生まれて初めて他人の小説を自分の手で書き写しました。)
三島さん御自身が推奨されているように、彼のエキスを凝縮したすばらしい小説です。
この感動を伝えるには、ヘタレな私の文章よりも、多分お読みになっていただいたほうがいいかと思います。
10/1付け毎日新聞の日曜版に’三島由紀夫記念館’の館長をされている方の
コメントが載っておりました。
最初は特に三島由紀夫には興味の無かった氏ですが、館長を務め気づいたことが有る。
それは、『圧倒的な日本語の美しさ。他の作家は読むに耐えなくなる』ということだと。
『あーそうなの!そうなのよ!』と膝を打ちました。
どうして現代ベストセラーとなっている小説群が面白くないのか、はっきり分かりました。
あ〜、どうも思い入れが強すぎますね。
好きなんです、三島由紀夫さんの作品。
生まれた日が一緒だと知ったとき、私は狂喜乱舞いたしました。
∞の評価を与えたいということ。
この小説に出会った時の事を逐一覚えております。
8時半に家を出て、近くのバス停に向かい、職場へのバスを待つ。
バスを待つ間はいつもの時間。
いつも会う人がいて、同じ時間の流れ・・・。
しかしちょうど、この小説読んだときにあたったそのときの光景は生涯忘れられないものとなりました。
当時私は軽い鬱状態で、なかなか人と交われず、増してや男女交際はいわんや・・・
という状況でした。
叶わない望みであるがゆえに理想化されてしまうのは必定、と
この世にありえない理想的な男女の姿を夢見ていました。
どうでしょう・・・。
おそらくこんなに美しい愛情で結ばれた男女はほかに無いであろうかと思わせる程美しい男女関係。
(最初の段落・漢語調の記載からはじめて、私は生まれて初めて他人の小説を自分の手で書き写しました。)
三島さん御自身が推奨されているように、彼のエキスを凝縮したすばらしい小説です。
この感動を伝えるには、ヘタレな私の文章よりも、多分お読みになっていただいたほうがいいかと思います。
10/1付け毎日新聞の日曜版に’三島由紀夫記念館’の館長をされている方の
コメントが載っておりました。
最初は特に三島由紀夫には興味の無かった氏ですが、館長を務め気づいたことが有る。
それは、『圧倒的な日本語の美しさ。他の作家は読むに耐えなくなる』ということだと。
『あーそうなの!そうなのよ!』と膝を打ちました。
どうして現代ベストセラーとなっている小説群が面白くないのか、はっきり分かりました。
あ〜、どうも思い入れが強すぎますね。
好きなんです、三島由紀夫さんの作品。
生まれた日が一緒だと知ったとき、私は狂喜乱舞いたしました。
この短編集の中に、私が愛してやまない作品が有る。それは、『海と夕焼』である。その一節を引用しよう。(以下引用)−−水平線の濃紺が空に接するところに、低くつらなった積雲がわだかまっている。それは動かないが、夕顔の花弁がほぐれるように、実はごく静かにほぐれて、形をすこしずつ変えているのである。その上にはやや色褪せたよく晴れた青空があり、雲はまだ色ずくには早いが、内部からの光りで、ほんのりと杏子(あんず)いろの影を刷いている。空は丁度夏と秋が争い合っている景色である。何故かというと、水平線からはるかに高い空には、横ざまに、鰯雲(いわしぐも)がひろがっているのである。鰯雲は鎌倉のかずかずの谷(やつ)の上に、柔らかなこまかい雲の班(ふ)を敷き並べている。「おお、まるで羊の群のようだ」と安里がしわがれた声で言った。(本書121〜122ページ)−−
三島由紀夫は、『春の雪』でも鎌倉の海を描いて居る。それらに、私は、彼が鎌倉の海に抱いた深いノスタルジアを感じるが、そこには、彼自身の思ひ出が反映されて居るのではないだろうか?
『海と夕焼』は、私が、最も愛する三島作品である。この作品(『海と夕焼』)は、『憂国』や『花ざかりの森』等より、遥かに傑作である。(私は、『憂国』は好きに成れない。)−−『海と夕焼』を読んだら、鎌倉を訪れて欲しい。この名作(『海と夕焼』)の光景は、今もそこに在る。読者は、そこで、三島由紀夫が鎌倉の海に抱いたノスタルジアを共有出来る筈である。
(西岡昌紀・内科医)
三島由紀夫は、『春の雪』でも鎌倉の海を描いて居る。それらに、私は、彼が鎌倉の海に抱いた深いノスタルジアを感じるが、そこには、彼自身の思ひ出が反映されて居るのではないだろうか?
『海と夕焼』は、私が、最も愛する三島作品である。この作品(『海と夕焼』)は、『憂国』や『花ざかりの森』等より、遥かに傑作である。(私は、『憂国』は好きに成れない。)−−『海と夕焼』を読んだら、鎌倉を訪れて欲しい。この名作(『海と夕焼』)の光景は、今もそこに在る。読者は、そこで、三島由紀夫が鎌倉の海に抱いたノスタルジアを共有出来る筈である。
(西岡昌紀・内科医)


