絶筆「続西方の人」を含む、事実上の文学的遺言3編。まだ学生の頃にこの本を手に取った時は、その鬱々としたアフォリズムに降参してしまい、途中で投げ出してしまった僕だが、今回、キリスト教に関する興味から改めて20年振りに手に取った。
芥川のキリスト解釈(=ロマン主義者/ジャーナリストとしてキリストを解釈)は極めて独自のモノであり、正直僕はシェアできるものは無かった。率直に言ってチンプンカンプンだ。しかし、彼の絶筆がキリスト論であったという歴史的事実は極めて重い。僕個人の興味は、原始仏典やキリスト教に共通する「現世を耐え生きるための智慧」にあるのだが、さすが自殺直前の著者が著しただけあって、ここまで全くシェアできないキリスト論というのも初めてだ。この余りにも分からなさが気になって、恐らく、人生であと最低一回くらいは読み直すと思う。
アフォリズムの方は軽快で面白い言葉も結構あり、意外にガンガン読める。自殺直前の芥川が抱えていた心の闇が分かる人はそもそもさっさと自殺してしまうものなのかもしれないが、そういう意味で何か「いけないもの」を読んでしまった感がある一冊ではあると思う。
僕は短編小説家としての芥川を結構認めてるのだが、一方で、「西方の人」2編の中身が全くシェアできなかったということは、僕がまだ鬱をこじらせながらも生きる側にしがみついている、ということなのかもしれない。他の皆さんにとっても、そんなリトマス試験紙のような文章だと思う。
侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)
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芥川のアフォリズムのセンスが遺憾なく発揮された短編集。
このジャンルでは 古くは聖書の「箴言」、ロシュフコーの「箴言集」、ビアズの「悪魔の辞典」などが 挙げられるが 芥川の本書も 同じ水準に達していると思う。日本人が創った「箴言集」としても まずは筆頭に挙げる事が出来ると思う。
但し これを書いていた頃の芥川を歴史として知っている我々にとっては いささか辛いものも感じる。
芥川が 自分の死を確信しながら 書きつらねた箴言という点に 大きな重みがあると思うからだ。
「続 西方の人」を書きあげた翌日 芥川は自死した。西方は 彼にとって西方浄土を意味していたのであろうか?
このジャンルでは 古くは聖書の「箴言」、ロシュフコーの「箴言集」、ビアズの「悪魔の辞典」などが 挙げられるが 芥川の本書も 同じ水準に達していると思う。日本人が創った「箴言集」としても まずは筆頭に挙げる事が出来ると思う。
但し これを書いていた頃の芥川を歴史として知っている我々にとっては いささか辛いものも感じる。
芥川が 自分の死を確信しながら 書きつらねた箴言という点に 大きな重みがあると思うからだ。
「続 西方の人」を書きあげた翌日 芥川は自死した。西方は 彼にとって西方浄土を意味していたのであろうか?
『侏儒の言葉』は、「藝術」や「虚偽」や「恋愛」などについて、短い文章で、芥川らしい皮肉とユーモアがたっぷりな、核心を突いた表現が嗜めます。
一方、『西方の人』と『続西方の人』では、なにやらニーチェを基盤に、芥川にとっての「わたしのクリスト」を描いていますが、
恥ずかしながら私のキリスト教理解が乏しいことと、そしてこの二作に於ける芥川自身の精神状態が支離滅裂しているであろうことの為に、正直良く解かりませんでした。ただキリストを一人の人間として見なし、ゲーテやトルストイを後世のキリストと見なしているところに、芥川自身がキリスト、即ち全能なる者に対する嫉妬を感じていて(本作でも書かれている通り、ゲーテもキリストに嫉妬していた)、つまりはその裏返しとして、自らが神のようになりたいという心情が表れているような気がしました。
芥川がそれまで書いてきた小説をより理解する上でも、この晩年の一冊は重要な意味を持っており、読む価値は在るのではないでしょうか。
一方、『西方の人』と『続西方の人』では、なにやらニーチェを基盤に、芥川にとっての「わたしのクリスト」を描いていますが、
恥ずかしながら私のキリスト教理解が乏しいことと、そしてこの二作に於ける芥川自身の精神状態が支離滅裂しているであろうことの為に、正直良く解かりませんでした。ただキリストを一人の人間として見なし、ゲーテやトルストイを後世のキリストと見なしているところに、芥川自身がキリスト、即ち全能なる者に対する嫉妬を感じていて(本作でも書かれている通り、ゲーテもキリストに嫉妬していた)、つまりはその裏返しとして、自らが神のようになりたいという心情が表れているような気がしました。
芥川がそれまで書いてきた小説をより理解する上でも、この晩年の一冊は重要な意味を持っており、読む価値は在るのではないでしょうか。
表題作に加え、「続・西方の人」の3編を収録。
「侏儒の言葉」は、1~10行程度のアフォリズムや警句、箴言が次から次へと出てきます。言葉遊びに近いものもあれば、ちょっと考えさせられるものまで、それ一つをモチーフに小説が書けそうな鋭い視点の断片たちばかりです。芥川の人間嫌い、厭世感が漂うコンピレーションです。
「西方の人」、自殺の前日に書かれた「続・西方の人」は、人間としてのイエス・キリストの悩む姿を、聖書の記述に対する付記のような形で、断続的に書き連ねていきます。イエス・キリストの人間らしい苦悩と、芥川自身の苦悩を重ね合わせて記述していることは明白ですが、そこには2000年間にわたって後世に影響を与え続けたイエス・キリストの業績に対する憧憬と、自身の業績に対して絶望とがないまぜになった、屈折したメッセージが読み取れます。
「続・西方の人」を書いた翌日には芥川は自殺してしまうわけで、所収の作品はどれも、捨て台詞にも似た苦々しさに覆われているのが残念です。もちろんそこに芥川の苦悩の深さが読み取れるわけですが、カタルシスのかけらすらなく、救いが全くありません。理想を追い求め続け、ついに到達できなかった芥川の断末魔の叫びなのでしょう。芥川龍之介を最初に読むのであれば、別の作品を読まれることをお勧めします。


