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蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)
芥川 龍之介
価格: ¥300 (税込)

文庫
出版社: 新潮社
発売日: 1968/11
ISBN: 4101025037
おすすめ度:4.5
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5歳の心に「蜘蛛の糸」が刻み込まれました。
幼稚園の頃、先生が黒板に地獄の絵を描きながら、芥川龍之介の『蜘蛛も糸』を話して下さいました。

蜘蛛の糸を必死に登っているカンダタの後から、続いて登ってくる人たちに対して、「下りろ。下りろ」と言った瞬間に、糸が切れてしまった場面を、僕は昨日のことのように思い出します。

「すべてを分け与えることは、不可能だけど、できるだけのことはしたい」という思いを学んだ出来事でした。

30代で経済学者ハイエクの「自由の条件」の「個人の責任の範囲」を読むまで、芥川の『蜘蛛の糸』は、大きな心の重荷になっていたこと思い出します。

芥川龍之介の倫理観が伝わってくる作品である。
芥川龍之介に初めてチャレンジしました
「カンダタ」って本当は難しい漢字を書くのですね。
『蜘蛛の糸』は、小学校の低学年で先生から聞かされ、てっきり「カンダタ」とカタカナなのだと思って
いたのです、お恥ずかしいことですが……。
『杜子春』の話も同じ頃に教えられました。
今回初めて芥川龍之介の本を手に取りました。
『蜜柑』と『白』にグイグイ引き込まれました。
短編にキラリと光るものを凝縮させ、余韻も残すなんて、さすがだなあと感じ入りました。
蜜柑
たった5ページの短編「蜜柑」が好きです。
ほぼ灰色といった物語を通しての印象が、最後のページで鮮やかに温かい蜜柑の色に染められます。
人間が本来持つ素朴さや優しさ、その可能性までもが透けてみえるような美しい短編。
作家としての力みのない、素のままの芥川龍之介を知ったようで嬉しくなりました。
お釈迦さまが分からない
  何度も何度も読んだ愛読書です。
  今回もやっぱり変わりません。「蜘蛛の糸」を読んだときの虚無感,無力感,寂寞感を今でも同じです。
  カンダ―タは大悪党。悪の限りを尽くして地獄に入れられる。

  針山地獄,血の池地獄でのた打ち回っている。その姿をお釈迦さまは極楽の蓮池から見下ろしておられる。

  ところでこの大悪党も一度だけ小動物の命を救ってやったことがあることをお釈迦さまを思い出しになられて、蜘蛛の糸を一本お垂らしになる。

  地獄から脱出するただ一つの方法と考え付いたカンダ―タは必死にしがみつき登り始める。まさに「溺れるもの藁をもつかむ」心境。

  途中一休みして下を振り返って見ると,有象無象の罪人たちがどんどん列をなして上ってくる。自分一人でも折れてしまいそうなか細い糸に、カンダ―タの恐怖心は募り、思わず叫ぶ。「これはわしの糸だ。おりろ!」 

  その声が響くと同時糸はプッツンとちぎれる。極楽の蓮の池には波も立たず、穏やかな日が時を刻んでいく。お釈迦さまは何事もなかったかのように散策をお続けになる。下の地獄ではいつものように悪人どもが苦しみもがいている。

  海のごとく広大な智慧と大慈悲をおもちのお釈迦さまが、なにゆえに我々庶民や悪党の智慧なきものに、のり越える知恵の一端をお示しにならずにこのような無残な試練にかけられるのか分かりません。
  ただ一つ思い当たるのは実を言うとお釈迦さまは世の人々が言われているほど智慧をお持ちではないのかもしれません。皆さん、だから自分の頭で地獄から脱出する方法を考えてくださいというのが芥川竜之介の本意なのではないでしょうか。

  今改めてこの文をしたためてみて思いついた結論に何か新しい発見をしたようでうれしい。

  それが2500年を経ても人間社会の宗教・哲学問題は深刻化する.が解決できないいわれなのではないでしょうか。自分たちの頭で考えていきましょう。
芥川らしい切れ味の良い佳作
「蜘蛛の糸」は芥川らしい、切れ味の良い佳作。
本著は道徳教育の教材として使われることが多いようで、善行をしなければ
罰が当たる教訓談と捉える向きが多いようだが、果たしてそうだろうか?
私は違うような気がする。
芥川は、人間の業の深さやあさましきエゴをそのまま描こうとしただけで、
そこに教訓を与えようとしたわけではないと思う。

生前のたったひとつの善行(蜘蛛を助けたこと)によって、天国へ昇るチャンスを
お釈迦さまから与えられるカンダタだが、他者を退ける言動で結局そのチャンスを失ってしまう。

強欲で業が深い利己主義者の姿は、人間誰しもが持っている暗黒面。
また、カンダタに群がる地獄の亡者たちは、富める者、成功する者に群がる人間(俗物)の姿そのもの。
お釈迦さまはそのような人間のありようをよくよく認識されていたから、
糸が切れて地獄へと落ちるカンダタと亡者たちの姿を見て顔を曇らせることになる。
ああ、やはりこうなったか、と。

「杜子春」
人間の弱さを描き出し、人間が人間らしく生きていくことにこそ意味がある、
ということを我々に思い出させる。
そのものが「ありのまま」でいようとすること。
「自然(おのずからそのようにあろうとすること)」

杜子春を読み返すと「人のありよう」について考えさせられる。






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