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堕落論 (新潮文庫)
坂口 安吾
価格: ¥540 (税込)

文庫
出版社: 新潮社
発売日: 2000/06
ISBN: 4101024022
おすすめ度:4.5
Amazon ランキング: 40286位
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現代に生きる人すべてへ
 坂口安吾の「堕落論」は、現在において尚、むしろ更にその輝きを増しているのではないか。
 わたしもそれに衝撃を受けたひとりであって、愚にもつかない観念を創出して、安心しようという心の動きにこれでもかとばかり釘を刺されたような気持ちになった。今も尚釘は刺さったままである。
 例えば、宗教。それは作り出された倫理に従うという行為。安心が出来る。
 安吾は「不安になれ」という。宗教も地位も、社会的に認められた(すがりつける対象としての)価値観を全て投げ出してしまうこと、それが「堕落」するということだ。後には丸裸の自分自身と、それを取り巻く世界――それはサルトルが「嘔吐」したような、丸裸の――が残る。
 そうすることで、新たな世界が見えてくるのだ。更に、剥き出しになった世界に触れたときにこそ真の感動があるのだと安吾は言う――彼が、停泊する戦艦や、五輪書以前の宮本武蔵に感動を覚えたように。
 現代社会は、学歴や、地位など、雑多な「自明なる」価値観に縛られている。安吾の生きていた時代よりも、尚のこと強く無意識裏に蔓延しているのではないだろうか。だからこそ、ぼんやりと日々を何の気なしに過ごしている人には、ぜひ読んで欲しい一冊である。人生観が変わるほどの衝撃が、わたしにはあった。そして、強く生きねばならないと思うようになった。堕落の道は、怠惰の道ではない。興味をもたれたならば、一読されることを薦める。
真実を生きよ
 堕落論は二十歳のころ読んだでしょうか。そのころ夢中になって坂口安吾を読みました。
生きよ、堕ちよ、堕落せよ、という言葉の中に、見せ掛けでない真実の自分を生きよ、ということが伝わってきて感動したのを覚えています。それが三十数年前、ほぼ40年近く前のことでした。今でも安吾の本がたくさんの方に読まれているのは嬉しいです。でも私は25歳のときには、安吾を卒業していました。別に嫌いになったわけではありません。好きなまんまなのですが卒業したのです。22、3歳のころ維摩経(紀野一義 著、大蔵出版)という本を読みました。これは衝撃的でした。戦争中、不発弾を1752発、危険を承知で一人で処理した男の物語です。 維摩経はもちろん仏教経典です。しかし、この本は経典を単に翻訳したとか、解説したというようなものではありませんでした。著者は東大印度哲学科卒です。経文の説明もしていますが、この本のただならぬところは、著者がいたるところに織り交ぜた、人の愛情(なさけ)の物語と言えば良いでしょうか。何度も慟哭しました。
 そして25歳のとき、ふと思いました。自分が16歳から、5、6年間夢中になって読んできた安部公房や安吾や魯迅などを卒業して、今、この維摩経の著者に出会った。そして、またいつかこの著者を卒業するのだろうか。でも、もし今度卒業したとしたら何かとほうもなく寂しい様な気がしました。
 
 そして、現在、卒業はしていません。今、他に、好きなのは隆慶一郎、中島敦です。

 安吾を読まれる方がこれらの本をどう感じられる出しょうか。
真摯に生きる、その道筋。
天皇制、武士道、あるいは処女的存在への憧憬。
いずれも日本人が、各々の時代の(潜在的な)要求に応じて歴史的に構築してきたシステム、あるいは精神のカタチであり、同時に今なお我々を魅了し続ける「美」でもある。
安吾は、これと同質の美に魅了された戦中戦後の自らの刹那的経験を語り、その上でこうした美を、儚き「幻影」に過ぎぬと位置づける。決して堕ち「きれ」ない人間存在が安らぎを求めて無意識的に創り上げた、心地良き精神のクッションに過ぎぬと。

しかし安らぎのクッションも、自律のための規範も、結局のところ人間には必要なモノなんだろう。
でもそれは、「自分で」探さなければ。
共有の抽象概念がそのまま自分の相方に収まってくれるのなら、誰も苦労はしないのだ。
そのためには幻影に浸ってみても話は進まぬ。なれば「堕落」という現象の中に「生」の強烈な(ほとんど象徴的な)ニオイがあることをまずは認識し、そのド真ん中に飛び込み、先の見えぬ荒野を彷徨う。
この、生に塗れんとする投身の道こそが、正道ではないか。
俺はそういう生き方を、自分に課してるよ。

表題作「堕落論」において、安吾は彼ならではの言葉で「生に対する向き合い方」を提示している。
パッと見奇抜な外形だけれども、決して偏った視点から論ずるのでも逆説的に展開するのでもなく、直球過ぎるぐらいに直球志向。むしろ当たり前の事を論じているような気がしてくる程であるが、曇りの無い感性によって初めて見出され、強烈な求道精神によってようやく根底が成り立つ、そんな卓抜かつ苛烈な道であったことに気づく。
しかし安吾の背中に語られる厳しさには深い人間味が伴われており、自分のようなナマケモノ類ですらナチュラルな形で魅了・牽引されてしまう、そんな不思議な説得力を持っています。

戦後、「堕ちながら生きていく」という現実に戸惑い、呑まれようとする同朋への叱咤激励。
さらに、待ち受ける大きな社会的変遷の先に…何か「生活」そのものの新生を待望する、そんな奇妙な期待感が日本全体の潜在的な空気としてあることを感じ取った筆者が、懸念して筆を執った…というのが直接的な執筆動機ではないかと推測するけれど、主題は決して時局的な問題はおろか日本人論にも納まらず、普遍的な形で「生の意味」に迫るものだと思います。

他「文学のふるさと」「日本文化私観」「道鏡童子」等、逸品多数。
堕ちれば良いじゃん!
敗戦直後、ドン底だった日本人の状態を敢えて肯定して、「堕ちるとこまで堕ちればいいじゃん!」と叫んだ坂口安吾。

人間は堕落するものだし、それを防ごうと思ったってそうは行かないし、それならいっそ堕ちて堕ちて堕ちまくれば良い。

「堕ちる」ったって、「人は無限に堕ち切れるほど堅牢な精神に恵まれていない」から、そこまでいけば人間は本質的に再生するのさ!

と安吾は言う。


現代のニート諸君にも言って聞かせられる斬新さに溢れている安吾だが、戦後のぼろぼろだった頃の日本人にとっては非常に衝撃的で、活力の源となる論だったに違いない。


安吾が生きていたなら、今の日本をどう表現するだろうか?

「堕落しろ」とさえ言えなくなっちゃってたりして。あー怖い。
冷や汗のでるキレの鋭さ
率直に言って私は文学にとても疎く、まともに読んだ記憶は高校までの教科書にでてきたものぐらいだ。ふだんは社会科学の分野に興味をおいているのだが、この「堕落論」はその方面にもたびたび紹介され引用されている。一度目にすれば忘れることはできない題名であるし、日に日に惹きつけられ、私にとって避けては通れないものになってしまった。

ということで、通読した感想は「いい意味で期待を裏切られた」と安っぽい言葉は使いたくないけどまさにそれであった。人とは、美とは、日本とは、天皇とは、戦争とは。冷静でありながら文字から伝わってくる威力は半端ではなく、文学に人生を賭けた著者の覚悟を相当感じる。そして、その衝撃により自分を見つめ直さずにはいられなくなる。さらに、否定的な言葉から肯定を導きだそうとする独特な視点は、人間と社会を再考するためのカギであると実感できた。

この本を読んで、少しでも「無頼」を身近に感じて、新たに日本や自分を発見してみることにまったく損はないと思う。



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