自分の頭脳に絶対的な自信を持ち、他者に厳しく潔癖な一郎。
その一方で、楽天的に生きているような人間を心底羨ましいと感じている。
「私以外はすべて阿呆」というこの一郎のような心境は、
程度の差こそあれ、現代人は抱えているのではないだろうか。
都市化し、多くの情報が溢れ、体験を伴わなくとも分かった気になれるし、
ボタンを押すだけで多くを実現できる便利な生活は、万能感を持ち易いが
その一方で多くの自殺者や鬱病・神経症患者を産んでいる。
一郎は少し先取りしただけで、今の人と同じなのかもしれません。
主人公を、知識人の悲劇・孤独などと解釈するのは簡単ですが、
今の日本人と対比して読んでみた方が、得るものがあるように思えた作品です。
行人 (新潮文庫)
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夏目漱石できちんと読んで今も覚えている(内容やあらすじ程度ですが...)のは「こころ」と「抗夫」だけなのですが、この「行人」も面白かったです、というか考えさせられる文章でした。
学問に生き、何事にも本質的な哲学的な見方をし、常に懐疑的な兄一郎を、その弟でのんびりした、ひょうきんな男二郎から見た兄弟、親子、妻や子供などの家族的問題を描いた作品です。前半部分では大阪に友人を訪ね、様々な家族としての用事を片付けている弟二郎に、兄一郎とその妻の直、そして兄弟の母の3人が旅行として合流したところから物語が流れ出します。どんな物事でも真剣かつ懐疑的な兄一郎が妻である直を無条件に信じることが出来ずに苦しみ、二郎にその苦しみを告白し、助けを求めます。その助けとは...。というのが導入部分なのですが、物語の途中で有名な漱石の喀血により中断した新聞連載小説です。
この中断に私は物語の前半と後半の違いを少し感じました。前半の兄の懐疑からくる苦しさは妻に向けられていたものだったのですが、それが後半部分ではかなり広い範囲に波及していきます。その辺の違いに(前半と後半の語り手二郎の受け取り方にも)、少し病気による中断が関係あるのか?と私には感じられました。
文体もなのですが、まず、圧倒的に文章が上手い。非常に奥行きを感じさせる文章でそして物語のテンポは今現在の私からすると非常にスローモーであるのに、テンポが悪い、遅いとは感じさせません。丁寧に一つ一つエピソードなり必要な物事を、描写を、重ねて行きます。堀江さんや金井さんなどの思考中の頭の中のセンテンスに区切れの少ない文章で感じさせるヒロガリとはまた違った、空間的なヒロガリを感じさせます。非常に面白く読めました。
私が1番気になったのは兄一郎の考え方よりも、その妻である直の考え方です。実践的かつ合理的で、多くを望まず、しかし覚悟はしていて、それを貫き通す。またその信条をおおっぴらにするのではなく、必要な人に、必要な時に、伝える事はするが、それ以外では軽々しく口外しない。そんな嫂(アニヨメと読みます、語り手二郎からすると一郎の妻は嫂なのです)が特に惹かれる登場人物でした。
もちろん主人公の(物語の、というより主題としての)一郎の悟りを求めるそのひた向きさにも、狂おしいくらいのものがあって良いのですが、少し硬くな過ぎる部分が多く、有名なセリフである「死ぬか、気が違うか、それでもなければ宗教に入るか。」という部分も私にとってはちょっと求めすぎなのではないか?適度という言葉が理解できない苦しさは分かるにしても...と感じてしまいました。それでも何かしら心惹かれる人物です、兄の一郎は。お坊さんの香厳(きょうげん)という方の全てを投げ出した後に石と竹の当たる音で悟りを開くという「一撃に処知を亡う(うしなう)」というエピソードに心惹かれる兄一郎が私には少し理解できるような気もするし、そこまでを求める強欲さともとられかねない強さをちょっと敬遠したくもあり、さすが主人公です。私は「こころ」という作品が好きなのですが、其処へ至る小説なのだと理解しました。物語の切り方をとってもそうですし。
夏目 漱石の作品の中でも「こころ」が好きな方に、悟りを求めている方に、また一人の覚悟ある大正時代の女性に興味のある方にオススメ致します。
学問に生き、何事にも本質的な哲学的な見方をし、常に懐疑的な兄一郎を、その弟でのんびりした、ひょうきんな男二郎から見た兄弟、親子、妻や子供などの家族的問題を描いた作品です。前半部分では大阪に友人を訪ね、様々な家族としての用事を片付けている弟二郎に、兄一郎とその妻の直、そして兄弟の母の3人が旅行として合流したところから物語が流れ出します。どんな物事でも真剣かつ懐疑的な兄一郎が妻である直を無条件に信じることが出来ずに苦しみ、二郎にその苦しみを告白し、助けを求めます。その助けとは...。というのが導入部分なのですが、物語の途中で有名な漱石の喀血により中断した新聞連載小説です。
この中断に私は物語の前半と後半の違いを少し感じました。前半の兄の懐疑からくる苦しさは妻に向けられていたものだったのですが、それが後半部分ではかなり広い範囲に波及していきます。その辺の違いに(前半と後半の語り手二郎の受け取り方にも)、少し病気による中断が関係あるのか?と私には感じられました。
文体もなのですが、まず、圧倒的に文章が上手い。非常に奥行きを感じさせる文章でそして物語のテンポは今現在の私からすると非常にスローモーであるのに、テンポが悪い、遅いとは感じさせません。丁寧に一つ一つエピソードなり必要な物事を、描写を、重ねて行きます。堀江さんや金井さんなどの思考中の頭の中のセンテンスに区切れの少ない文章で感じさせるヒロガリとはまた違った、空間的なヒロガリを感じさせます。非常に面白く読めました。
私が1番気になったのは兄一郎の考え方よりも、その妻である直の考え方です。実践的かつ合理的で、多くを望まず、しかし覚悟はしていて、それを貫き通す。またその信条をおおっぴらにするのではなく、必要な人に、必要な時に、伝える事はするが、それ以外では軽々しく口外しない。そんな嫂(アニヨメと読みます、語り手二郎からすると一郎の妻は嫂なのです)が特に惹かれる登場人物でした。
もちろん主人公の(物語の、というより主題としての)一郎の悟りを求めるそのひた向きさにも、狂おしいくらいのものがあって良いのですが、少し硬くな過ぎる部分が多く、有名なセリフである「死ぬか、気が違うか、それでもなければ宗教に入るか。」という部分も私にとってはちょっと求めすぎなのではないか?適度という言葉が理解できない苦しさは分かるにしても...と感じてしまいました。それでも何かしら心惹かれる人物です、兄の一郎は。お坊さんの香厳(きょうげん)という方の全てを投げ出した後に石と竹の当たる音で悟りを開くという「一撃に処知を亡う(うしなう)」というエピソードに心惹かれる兄一郎が私には少し理解できるような気もするし、そこまでを求める強欲さともとられかねない強さをちょっと敬遠したくもあり、さすが主人公です。私は「こころ」という作品が好きなのですが、其処へ至る小説なのだと理解しました。物語の切り方をとってもそうですし。
夏目 漱石の作品の中でも「こころ」が好きな方に、悟りを求めている方に、また一人の覚悟ある大正時代の女性に興味のある方にオススメ致します。
「孤高の人って可哀想。孤独って寂しい。愛する人を信じられないってホント悲しい。」率直な感想です。
漱石が自分を切り売りしてまで描いた小説であるがゆえ、悩める読者にとって大事なコトを気づかせてくれるはず。
苦悩する兄の心理の展開はあっぱれです。
前半部分は、主人公とその兄、兄嫁との三角関係、その他の恋愛話、周辺の人間関係を興味深く描き出し、兄の苦悩が徐々に露呈されていく。
妻の気持ちがつかめない・・・(猜疑心の強い自分のせいなのだが)。
兄の苦悩はそんな単純なものではなかったのだ。
そして、そんな兄と旅を共にするHさんからの手紙をつづった後半部分。
いきなり登場のHさんがキーマンに転ずる。
両親でさえ癇癪持ちの我儘で高尚な兄さんをやっかいに感じていたのに、Hさんは心の底からこの兄さんを救ってあげたいと主人公に訴える。
本当に謙虚で慈愛あふれる器の大きい人。
頭が良くても心が狭い人、鈍感でも大らかな性格の人。
どちらがいいか?たいていは大らかな人格を好むもの。
しかし、作者は講釈をたれながら前者を正当化している感がある。
だから、ラストは曖昧模糊なのだろう・・・。
論理的思考の先に「真実の愛」を発見できるのか?
と示唆しているのかもしれない。
難解本では決してありません。
むしろ「恋愛」について、誰もが体験し、疑問に感じるコトがちりばめられています。
特に、兄ついては「僻み」「被害妄想」的な性質の男性が陥る盲点を衝いているのかもしれない。
「自分に固執するのもいい加減にしましょう!第六感を磨きましょう!」
との教訓と感じました。
漱石が自分を切り売りしてまで描いた小説であるがゆえ、悩める読者にとって大事なコトを気づかせてくれるはず。
苦悩する兄の心理の展開はあっぱれです。
前半部分は、主人公とその兄、兄嫁との三角関係、その他の恋愛話、周辺の人間関係を興味深く描き出し、兄の苦悩が徐々に露呈されていく。
妻の気持ちがつかめない・・・(猜疑心の強い自分のせいなのだが)。
兄の苦悩はそんな単純なものではなかったのだ。
そして、そんな兄と旅を共にするHさんからの手紙をつづった後半部分。
いきなり登場のHさんがキーマンに転ずる。
両親でさえ癇癪持ちの我儘で高尚な兄さんをやっかいに感じていたのに、Hさんは心の底からこの兄さんを救ってあげたいと主人公に訴える。
本当に謙虚で慈愛あふれる器の大きい人。
頭が良くても心が狭い人、鈍感でも大らかな性格の人。
どちらがいいか?たいていは大らかな人格を好むもの。
しかし、作者は講釈をたれながら前者を正当化している感がある。
だから、ラストは曖昧模糊なのだろう・・・。
論理的思考の先に「真実の愛」を発見できるのか?
と示唆しているのかもしれない。
難解本では決してありません。
むしろ「恋愛」について、誰もが体験し、疑問に感じるコトがちりばめられています。
特に、兄ついては「僻み」「被害妄想」的な性質の男性が陥る盲点を衝いているのかもしれない。
「自分に固執するのもいい加減にしましょう!第六感を磨きましょう!」
との教訓と感じました。
影清の女の話は、非常にうまいけど、自意識過剰の女とかありえないとおもいますた。女なんて全部尻軽だとおもってますが何か?
真理たるものを抽出すべく、およそすべてのものを疑い、疑い得るものはすべて排除する。
これが世に言う方法的懐疑。
あるとき「絶対確実なもの」を志向したルネ・デカルトは、この方法的懐疑の末に、次の
命題へと辿り着く。それがすなわち、「我思う、ゆえに我あり Je pense, donc je suis」。
さて、本小説の事実上の主人公、長野一郎の悩みもまた、なかなかに重い。
馬鹿になればいい。そんなことは知っている。しかし、知の誠実がそれを許さない。凡人が
何の疑いも見出さぬところに問題を見出し悩み苦しむ、それこそが知たるもののの宿命。彼は
「現在自分の眼前にいて、最も親しかるべきはずの人、その人の心を研究しなければ、居ても
立ってもいられない」。
ことばの裏、表情の裏、見えぬがゆえに猜疑を重ね、煩悶する。自己肯定を欠いた妻・直の
存在がさらに夫・一郎を深き悩みへと招き入れ、ついには「肝心の人間らしい心持を人間
らしく満足させる事が出来なくなってしまった」。明晰判明ははるか彼方へ遠ざけられて、
彼の苦しみはもはや己の己に対する疑いへと達する。
およそすべての知が辿る果て、「死ぬか、気が違うか、そうでなければ宗教に入るか。僕の
前途にはこの三つのものしかない」ところまでついに一郎は立たされ、そうしてついに、
「絶対」を思い描くに至る。
いみじくも、宗教religionの語源であるラテン語religareは「再び結びつける」との意味を
持つ。あまりに象徴的、一郎が差し出した選択肢はみな、繋がりを絶つことにおいて等しい。
そして、すべての繋がりを絶つことはすべてと繋がること。ミラン・クンデラ『不滅』から、
そんな「絶対」の境地を描いて見せたはかなき一節を引用する。
生きること、生きることにはなんの幸福もない。生きること、世界のいたるところに
自分の苦しむ自我を運びまわること。
しかし、存在すること、存在することは幸福である。存在すること、噴水に変ること、
宇宙が温かい雨のように降りそそいでくる石の水盤に変ること。
知を持つことは幸福か、否か。知を持たざることは幸福か、否か。
周到に張り巡らされたこの小説を結ぶ、あまりに有名な最後の一文は悲しく刺さる。
これが世に言う方法的懐疑。
あるとき「絶対確実なもの」を志向したルネ・デカルトは、この方法的懐疑の末に、次の
命題へと辿り着く。それがすなわち、「我思う、ゆえに我あり Je pense, donc je suis」。
さて、本小説の事実上の主人公、長野一郎の悩みもまた、なかなかに重い。
馬鹿になればいい。そんなことは知っている。しかし、知の誠実がそれを許さない。凡人が
何の疑いも見出さぬところに問題を見出し悩み苦しむ、それこそが知たるもののの宿命。彼は
「現在自分の眼前にいて、最も親しかるべきはずの人、その人の心を研究しなければ、居ても
立ってもいられない」。
ことばの裏、表情の裏、見えぬがゆえに猜疑を重ね、煩悶する。自己肯定を欠いた妻・直の
存在がさらに夫・一郎を深き悩みへと招き入れ、ついには「肝心の人間らしい心持を人間
らしく満足させる事が出来なくなってしまった」。明晰判明ははるか彼方へ遠ざけられて、
彼の苦しみはもはや己の己に対する疑いへと達する。
およそすべての知が辿る果て、「死ぬか、気が違うか、そうでなければ宗教に入るか。僕の
前途にはこの三つのものしかない」ところまでついに一郎は立たされ、そうしてついに、
「絶対」を思い描くに至る。
いみじくも、宗教religionの語源であるラテン語religareは「再び結びつける」との意味を
持つ。あまりに象徴的、一郎が差し出した選択肢はみな、繋がりを絶つことにおいて等しい。
そして、すべての繋がりを絶つことはすべてと繋がること。ミラン・クンデラ『不滅』から、
そんな「絶対」の境地を描いて見せたはかなき一節を引用する。
生きること、生きることにはなんの幸福もない。生きること、世界のいたるところに
自分の苦しむ自我を運びまわること。
しかし、存在すること、存在することは幸福である。存在すること、噴水に変ること、
宇宙が温かい雨のように降りそそいでくる石の水盤に変ること。
知を持つことは幸福か、否か。知を持たざることは幸福か、否か。
周到に張り巡らされたこの小説を結ぶ、あまりに有名な最後の一文は悲しく刺さる。



