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草枕 (新潮文庫)
夏目 漱石
価格: ¥420 (税込)

文庫
出版社: 新潮社
発売日: 1968/03
ISBN: 4101010099
おすすめ度:4.5
Amazon ランキング: 12980位
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近代に対する呪詛がみてとれる
有名な冒頭の文章は殆どの人が暗唱できるほど知られたものと思う。しかし、「草枕」はそれほど長くないにもかかわらず、最後まで読んだ人は少ないのではないか? 恥ずかしながら還暦をとっくに過ぎた小生もその一人である。「非人情」の世界の小説、俗界を離れた仙人のような生活を賛美した小説かと思い込んでいたら、どうもそうではないようである。
そしてこの小説に表れた漱石の漢籍や江戸趣味に対する素養、それに専門の英文学に対する薀蓄は大変なものである。注を参照しないと解らないことも多い。しかし、この小説が素養や薀蓄をひけらかすのが目的でないことは次第に解る。

草枕については、多く評論家、そして本カスタマーレビュアーの評価・解釈があるが、一点だけ私見を述べてみたい。即ち漱石の「西欧を規範とした近代化に対する呪詛」である。それはこの小説の最後に表れる主人公の独白に明瞭である。もう一度、読み直してみて欲しい。
那美とは、美とは何かという問いなのか?
「漱石先生、先生が博学なのはよーくわかりました。ですから、私共のような無教養な者にも、もう少しわかるように書いて下さい」とお願いしたくなるような文章が続く。子規と交友の深い漱石だけあって「写生」にこだわりを見せる芸術論かと思いつつ、ひたすら脚注と首っ引きで読み進める。難解ではあるけれど、有名な冒頭だけでなく、印象的な言葉が断片的に続く。「小説なんか初から仕舞まで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです」「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです」 ミレーのかいた死んで川を流れてゆくオフェリヤの面影漂う那美さんとラオコーンとの関連性とは何か。「あの表情では駄目だ。苦痛が勝っては凡てを打ち壊してしまう」 那美さんの表情に欠けているもの ・・・嫉妬? 怒? 恨? そして憐れ。「憐れは神の知らぬ情で、しかも神に尤も近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである」 そして、最後のページにそれらの全てが収斂され、圧倒的な印象を残す。
明治39年(1906年)発表
 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」から始まるこの小説の目指すところは、ラディカルだ。
 「恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。然し自身がその局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。従ってどこに詩があるか自身には解しかねる。これがわかる為には、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ」。だから、「これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気が無暗に双方で起こらない様にする」。そして、その様にすると、「利害に気を奪われないから、全力を挙げて彼等の動作を芸術の方面から観察することができる」。これを、漱石は、「非人情」と呼ぶ。
 この小説は、非人情を目指す。日清、日露と戦争が続き、次第に、智の働く者には住みにくい世の中になりつつあった、という事実が、背景にある。
漱石の長い独り言--漱石の人生前半の人生観の皮肉
この本は、漱石の長い独り言である。だが、その長い独り言の中に、漱石の人生前半の人生観が、要約されて居る。それを一口に要約すれば、この世は存外に暮らし良い、と言ふ事である。そして、それを思ひ起こす為に、文学が有り、絵が有る、と言ふ事である。別の言ひ方をすれば、人生は、西欧近代文学が語るほど悲劇ではない、と言ふのが、この本(「草枕」)の中で漱石がつぶやいて居る事である。そこには、彼が、イギリス留学を終えて帰国し、留学中の精神的葛藤を克服して得た達観も有っただろうし、その達観から来る西欧文化への批判も有ったと思はれるが、皮肉な事は、漱石の文学が、この作品(「草枕」)以後、逆に、そうした西欧的性格を深めて行く事である。即ち、この作品(「草枕」)で、「非人情」を賛美した漱石は、この作品以後、逆に、その「非人情」とは逆の性格を持つ小説(「それから」、「門」、「こころ」など)を次々に書く事に成るのである。これを皮肉と呼ばずして何と呼ぶべきか、私には、表現の言葉が見つからない。そこに、漱石の悲劇が有ったと言えるが、だからこそ、漱石の人生の前半の集大成としてのこの作品の意味は、大きいのである。カナダのピアニスト、グレン・グールドは、この本を熱狂的なまでに愛読したとされる。流石(さすが)である。
書想 『草枕』
 これぞ我が積読書の最高峰!17歳の時に我家の本棚に来て23年、熟成に熟成を重ねて、昨年ついに読了に至った名作。

 エエ年こいたオジサンの書評が夏目漱石とは、お前は小学生か?と訝る諸君!漱石などというものはエエ年こいてこそ、読んでみてわかるものなのだ!

 なぜなら書いた本人自身が40代で作家デビューしたエエ年こいたオジサンだったのだ。しかも、ただのオジサンではなく、東大英文科第一期生で初の国費留学生だった、挫折・屈折・健康不安の感じながら、10数年学者として教壇に立ったのちに作家デビューオジサンなのだ。

 その漱石がデビュー2作目として放った芸術論とも言うべき作品がこの『草枕』。

【本の内容】

 枠組みは小説の体裁をとり、架空の人物が配役されており、その人々が、紀行文ともエッセイともしれぬ語り口の中、これといった大きな筋立てなくストーリーを展開していく。

 で主役として存在する絵描きが山奥の湯治場で日々起こる些細な出来事をネタに芸術論やら創作家としての心がけやら心構えやらを披露していく。

 しかも、漱石お得意の文明批判的な愚痴と東洋文明で確立された伝統的な芸術論が、華麗なる混ぜっ返しとして随所に登場し、所謂ストーリー展開やらを寸断して行く。

読者は中心人物の画家に感情移入しながら、すこしづつ芸術論の深みを垣間見ていく、最後の場面で、あっ小説という枠組みで語ってたんだったねという事に気づかされる。

【感想】 

 エッセイ風でありながら極めて手が混んだ小説体の芸術論なのだ。

 私の能力では、10代から数回挑戦してすべて途中で投げ出した、いわく因縁付きの、全く歯が立たないトラウマ本だった。それを四十にしてやっと「ああ良いなぁ」って感じで読破できたときには感慨無量だった。なんと晩生な私...

 ハッキリ言って、こんな高尚なものを小中学生が読むこと(目で追うこと)は出来ても、頭で肌身に理解するなんてことできるはずが無いと私は確信する。

 これは基本的には漱石文学全体に共通して言えることではないかと思うが、特に『草枕』という異色の作品については、間違いなく言える。

 だから「この夏読もう!新潮文庫100冊」などの書棚に『草枕』が並んでいるのを見ると、私のような凡人だといいオヤジになってから、普通の人たちは大学生になってから、早熟な秀才で読書家(三島由紀夫みたいなタイプ)の人でも高校生で読むのがやっとこさの本、そういう帯び文を付けたほうがいいんじゃないといつも思う。

 間違っても小中学生が「夏休み宿題として感想文を書こうか」なんてレベルでは無い。




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