吾輩は猫である (新潮文庫)
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小説は漱石に始まり漱石に終わると言われるそうですが、自分は、そんな前知識も無く「三四郎」、「坊ちゃん」の流れで、この本を手に取りました。そもそもの始まりは「クオリア降臨」という本の中で「三四郎」を強烈にリスペクトしていた茂木健一郎氏の著作の影響でしたが、こんなにまで夏目漱石に嵌るであろうとは思いもよりませんでした。余裕派と言われる、僕が高校生のときの教科書で一部を読んだ「こころ」などとは雰囲気を異にした、この小説の方が自分には気持ちが通じるものがありました。しかし「自殺クラブ」や、現代の女性の自立にまつわる離婚の増加などの先見性は、手塚治虫の「未来像」とは異にしたネガティブな未来像で、実際の現代にもつながっているところが、もの凄いです。現代の政府が、この本を真面目に解釈していたのならば少子化省などという政府も作る必要が無かったのかな?なんて勝手に思う限りです。本を開くと字が、ぎっしりとつまった、この小説に、うんざりしてしまう人も多いかと思いますが、どんな哲学の書よりも将来に役立つことが書かれている、物凄い書であると自分は思います。
知識人を嘲笑している馬鹿猫の話かな〜?
馬鹿猫にそうせき先生が憑依していろいろ文句いってます。
しかし日本はこの手の小説おおいね。ムラカミも最近このノリだしね。
馬鹿猫にそうせき先生が憑依していろいろ文句いってます。
しかし日本はこの手の小説おおいね。ムラカミも最近このノリだしね。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」という有名な書き出しは、学生時代からずっと頭に残っているものの、実は最後まできちんと読んだことがありませんでした。登場人物の描写が決して大げさではなく、猫の視線から描かれたものでありながら、つい笑いを誘います。
現代の笑いのセンスとは違ったテイストがありとても楽しめました。登場人物である「猫」の人間社会を冷めたかんじの語り方と「クシャミ先生」の偏屈ぶりは憎めないものがあり、文豪、夏目先生の世界にはまりました。
現代の笑いのセンスとは違ったテイストがありとても楽しめました。登場人物である「猫」の人間社会を冷めたかんじの語り方と「クシャミ先生」の偏屈ぶりは憎めないものがあり、文豪、夏目先生の世界にはまりました。
~この作品は、小説と言うよりはむしろ、作者が「猫」の口を借りていいたいことを綴ったエッセイに近いものだと言うことができるでしょう。適当にぱっと開いて、でてきた所を読む、そういう読み方が楽しめるのもこの作品の魅力です。何度読んでも飽きません。登場人物たちの名前はだじゃれになっていて、作中いろんなギャグが飛び交います。「ずうずうしいぜ、~~おい」と言えば、「Do you see the boy」と返す酩酊ならぬ迷亭が、私のお気に入りです。~
漱石のなかで最も好きなのが、「吾輩は猫である」。
文体は落語調と言えば良いだろうか。
洒落た表現も出来るし、微細に書ける文体でもある。
文体は落語調と言えば良いだろうか。
洒落た表現も出来るし、微細に書ける文体でもある。
この文体があればこそ、使える単語も多く、
ユーモアも皮肉も非常に気持ち良く繰り出されている。
どこから読んでも気持ちが良い。
登場人物の会話も好きだが、地の文がやはり面白い。
手元に一冊置いておけば、何気なく読み出せる。
500ページ、600ページと言わず、
5000ページあっても、親しめるに違いない素晴らしい本。
福田恒存氏が指摘している通り、
漱石と鴎外は「近代」を真剣、深刻に考えていた。
漱石は神経衰弱になっていくが、「猫」においては、
深刻と洒落とユーモアが、渾然一体となっており、
悲しいくらい美しい。


