遠藤周作さんは『イエスの生涯』のなかで、自分を十字架につけた人たちは、愛し方を知らなかった、彼らをお許しください、と神に訴えるイエスを描いている。また、奇跡が行えず、「無力」で役に立たない、それゆえに「愛」にあふれたイエスを描いている。これらのことと、この本に収められている「正義と微笑」に出てくる黒田先生の発言とは通じているように私には思われる。黒田先生は、教え子の元を離れるにあたって、こんなことを言う。
生活に直接役に立たない勉強こそ、その人の人格を作る。勉強なんてものは、覚えてすぐ忘れてしまってもいいものなんだ。大事なのは、カルチベートされる、ということなんだ。カルチベートされる、というのはつまり、愛する、ということを知ることだ。まことにカルチベートされた人間になれ!
好き嫌いをせずに勉強すること。それは、キリストの教えの一つ、敵を愛せ、にも通じているような気がする。「愛」は直接役には立たず、それゆえに尊い。遠藤周作さんが太宰の作品に触発されたのか、あるいは、偶然にも両者は「愛」の観念を同じくしたのだろうか。
黒田先生と教え子との別れにせよ、「佳日」の「恩師」とその教え子とにせよ、「風の便り」での手紙のやり取りにせよ、藤野先生と「周さん」との別れにせよ(「惜別」)、……太宰の意識の下には、いつもイエスとその弟子とが沈んでいたのではあるまいか。
また、とんちんかんなことを書いてしまいました。失礼しました。
パンドラの匣 (新潮文庫)
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主人公の20歳の青年は自称「新しい男」である。
その青年から、ある詩人の親友に宛てた手紙の内容ということで物語は進む。
結核治療のサナトリウムならず、「道場」において、新しい男に生まれ変わった主人公が
様々な人と出会い、心揺れ動いて成長する様をユーモラスに描いてある。
もっと彼の今後を見てみたいものだが、手紙は唐突に終わる。
しかし、その先は明るい日を目指す蔓にたとえて締めくくられている。
周りがいうところの「トンチンカン」な主人公はまぁ今で言うところの「天然」といったところでしょうか。
(その反面、本人は、新しくなったと言ってはいるが、まだ多少ニヒリスト気取りの部分もある)
その天然のもつ明るさが、人間模様に深く影響していくのがとてもコミカルで楽しい。
太宰の作品であるということを忘れ、ゆったりと読んでしまう。
でも、これも太宰であるとやっぱり思ってしまう、そんな作品じゃないでしょうか。
その青年から、ある詩人の親友に宛てた手紙の内容ということで物語は進む。
結核治療のサナトリウムならず、「道場」において、新しい男に生まれ変わった主人公が
様々な人と出会い、心揺れ動いて成長する様をユーモラスに描いてある。
もっと彼の今後を見てみたいものだが、手紙は唐突に終わる。
しかし、その先は明るい日を目指す蔓にたとえて締めくくられている。
周りがいうところの「トンチンカン」な主人公はまぁ今で言うところの「天然」といったところでしょうか。
(その反面、本人は、新しくなったと言ってはいるが、まだ多少ニヒリスト気取りの部分もある)
その天然のもつ明るさが、人間模様に深く影響していくのがとてもコミカルで楽しい。
太宰の作品であるということを忘れ、ゆったりと読んでしまう。
でも、これも太宰であるとやっぱり思ってしまう、そんな作品じゃないでしょうか。
本書には「正義と微笑」と表題作「パンドラの匣」が収められていますが、
どちらも、とても清々しく感じました。
まるで青春のお手本のような作品です。
やはり「人間失格」が、私の中で太宰のイメージを決定づけていましたが、
こういった作品も書けるのだなと、新しい太宰を発見したような気持ちになりました。
文豪・太宰治の文章は、とても言葉で言い尽くせないほど、レベルが高くて、
この文章に触れられることに喜びをおぼえました。
どちらも、とても清々しく感じました。
まるで青春のお手本のような作品です。
やはり「人間失格」が、私の中で太宰のイメージを決定づけていましたが、
こういった作品も書けるのだなと、新しい太宰を発見したような気持ちになりました。
文豪・太宰治の文章は、とても言葉で言い尽くせないほど、レベルが高くて、
この文章に触れられることに喜びをおぼえました。
「パンドラの匣」のどんでん返しが好きです。本作は読後の爽快感というか「やられた」という非常にすがすがしい作品です。
「正義と微笑」も若者が自立して、庇護者がいないという現実を受け止めていくさまがよくえがかれてます。
個人的には太宰治らしくないと思う両作品です。どちらかというと「富岳百景」や「津軽」のようなユーモラスな作品に近いですね。
「正義と微笑」も若者が自立して、庇護者がいないという現実を受け止めていくさまがよくえがかれてます。
個人的には太宰治らしくないと思う両作品です。どちらかというと「富岳百景」や「津軽」のようなユーモラスな作品に近いですね。
太宰は若いときにかかるはしかのよう。
とは言い古された言葉ですが、
私も太宰には中・高とはまりました。
世にあるイメージでは「人間失格」や「桜桃」の虚無的なイメージなのでしょうが、
太宰は意外にかるみと明るさのある人であったな、と、大人になった今は思います。
私が始めて読んだ太宰は「正義と微笑」でした。
前向きな、さわやかな青年の姿がかかれています。
しかし、その底流には、病気と闘っていたり、繊細な心でいろいろなことを考えたりといった、陰の部分もあるわけです。
この小説を読むと、何かと戦いながら、軽やかな明るさをつかんでいく
青春の姿を感じます。
まるで夜明けの寂しい明るさのようです。でも、そこには希望の光が見えます。
とは言い古された言葉ですが、
私も太宰には中・高とはまりました。
世にあるイメージでは「人間失格」や「桜桃」の虚無的なイメージなのでしょうが、
太宰は意外にかるみと明るさのある人であったな、と、大人になった今は思います。
私が始めて読んだ太宰は「正義と微笑」でした。
前向きな、さわやかな青年の姿がかかれています。
しかし、その底流には、病気と闘っていたり、繊細な心でいろいろなことを考えたりといった、陰の部分もあるわけです。
この小説を読むと、何かと戦いながら、軽やかな明るさをつかんでいく
青春の姿を感じます。
まるで夜明けの寂しい明るさのようです。でも、そこには希望の光が見えます。
太宰に対しては、この「正義と微笑」の中にあるような
「ほのかな希望を描いている部分」がこのごろは好きになっています。
特に「人間失格」から太宰に入った方に勧めたい一冊です。



