ひとつ前に戻る

人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))
太宰 治
価格: ¥300 (税込)

文庫
出版社: 新潮社
発売日: 1952/10
ISBN: 4101006059
おすすめ度:4.5
Amazon ランキング: 6071位
発送可能時期: 通常24時間以内に発送

amazonの詳細ページへ
解釈はいろいろ
この物語は読み手の年齢とともに解釈の変わる物語でもあるとも言えると思う。
私も10代のときに読んでかなり影響を受けた記憶がある。
あとで読み返してみたら、単にこのような生き方しかできない葉蔵に純粋に同情するだけでなく、これほどまでに冷静に自己分析ができる人間が実は不幸なのだろうか、本当に狂っているのだろうかと思うようになった。
 そうなると、はじめからさいごまで演技だらけであった太宰の人生は本当は、自分の周りの人間だけでなく、自伝的手記を書いたあとの読み手の読後感さえを意識して自分の人生を演出したのかもしれないとさえ思えてくる。
 その姿は、多くの人が世間と自分の考えが矛盾していようがつじつまをあわせ、ごまかしながら生きていることをあざわらっているかのようだ。
墓場まで持って行きたい一冊。
人間の心は法律で定義されている罪とは全く以て違う『罪』というものを、深過ぎる程に感じてしまう傾向にある。それはカビのようにこびりついて離れない。
様々な場面にあろう。嘘をついた後、偽善をした後、偽悪をした後、他人を賎しめた後、自分を賎しめた後、また、そういう行為を行う前に辛うじて立ち止まった後にも。
自分がとても嫌いになる事があるだろう。暗くなるだろう。
しかしながら、人間皆一緒である。苦しむのである。
罪を感じすぎてしまった者が自分を振り返る一冊である。人間は、やはりとても弱く、やはりとても強い。
人間失格・・・
この本を読んで私は、本当に人間失格だなと思いました。
こんな人は大嫌いだと、心の底から思いました。
妻が犯されているのに、わが身がかわいいゆえ何もできず見ている自分。最低だと思います。私も学生時代、嫌われないように、道化のようにへらへら笑って過ごしてきました。共感できる部分もありましたが、あまりにもダメ人間です。自分のことばっかりです。
だから、彼は自殺したんだなと思いました。
いい意味でも悪い意味でも衝撃を受けた作品です。反面教師的に、私はこんな人になりたくないと思いました。
自分のことばかりに目を向けるとそうなる
私が中学にあった頃、人とどう接していいのかわからなかった。
物心がつくようになると、それまで感じたことのない他者と自分自身(自我)への戸惑いを感じるようになる。感受性が人一倍高く、今で言うリストカットも経験した。
その頃に太宰治の「人間失格」に出会い「私は葉蔵と同じだ」と安心し「人と私は違う(私ってお前らよりも高尚な生き物なんだ)」と勘違いした。


あれから二十年以上経ち、いろんな人間関係に揉まれて自然と自分を客観視できるようにもなり、人間(自分を含める)の弱い部分にも気づき、受け入れられるようになった時に、ふたたび「人間失格」を読んだ。
「なんと幼稚で、自分好きで、我が儘な人間なんだろう・・・」と嫌悪感を感じだ。


太宰治の作品は賛否両論に別れるというが、なんとなく、その意味がわかる気がする。


今の時代、
ニート、リスカなど当たり前のように取り上げられているが、案外、今も昔も変わらないように思う。太宰治の「人間失格」を読む限り。
自分自身にしか興味が持てないばかりに、本来ならば、そう変わりはない他者をまともに観察できずに「(同じ種の人間を探すふりをするが)自分だけが違う」と意味もなく悩み続ける若者たち。


結局、地球上に雑草のように逞しく生きていけない(生きて行くことを選択しない)者は、自分や他者を破壊するしかないのかなあ、と感じる。


感受性の高い思春期に、太宰治をよりどころにするのはいいとして、
成人してもなお信奉し続けるのはどうかと私は思う。
この世でジコチューに生きていいのは、せいぜい20代前半までだと思うので。
混沌へ・・・
この本と「自閉症だったわたしへ」と言う本は似ている。

と言うのもとても「常人(太宰の言葉を借りるなら'人間')」には書けない情動が文章の中に詰まっているからだ。

読了した時暫く放心状態になってしまった。

私が一生かかっても出来ないような経験がこの本の中にある。

人間と溶け合えなかったからこそ見える人間像がそこにある。

人間を恐れつつ、それでもなお近づきたいという矛盾が数々の重要な発見を生んだ。

彼の功績は大きい。



本のみちしるべ Powered by Amazon Web Service
PR: FS研究室