少将滋幹の母 (新潮文庫)
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谷崎の古典物の中では異色です。歌がたくさん引用されており、註がないと前には進めませんでした。また舞台が平安時代となっており様々な先行作品や歴史的な作品からの引用が全体の歴史的な構成をしっかりとしめています。しかし本筋はなかなかその姿を現しません。前半はあたかも平中の物語のようです。しかし平中はあくまでも話の展開の中での駒にしか過ぎません。次に登場する左大臣時平、そして国経もその具体的な存在の対照さが生き生きと見事に描かれますが、これらのシーンもあくまでも最後のシーンに行き着くまでにもステップでしかないわけです。しかしどれも忘れがたいシーンです。排泄物のトリックがよく取り上げられますが、不浄観の部分は、哲学的な背景として重要な場面です。個人的に一番気に入っているのは、平中が幼少の滋幹の腕に滋幹の母宛への歌を墨で書くシーンです。ここには知らず知らずのうちにエロチシズムを背後に忍ばせた粋が表現されています。最後の西坂本への滋幹への訪問は、自然描写と心理描写そして視覚と嗅覚の記憶が一体となった見事なクライマックスになっています。
寸毫も文章の調子を変えているわけではないのに
女の部屋に一歩踏み込んだ瞬間、雰囲気・場面を、
全く不自然さなしに変化させる、谷崎の腕。ため息が出てしまう。
例えば、「その一」後半、平中が侍従の部屋に忍び込む場面では、
遣戸の手をかけるところから、女の部屋の暗闇を予感させ、
空薫の香で読み手を一気にその暗闇の中へ、ぐいっと引き込んでしまう。
他にも感嘆させられてしまった場面がいくつもある。
特に、「その二」の冒頭から、上皇より仰せがあり、平中が歌とともに菊を奉る、
その流れをさらっと筆した(文庫で)1ページほどの運びは見事と言うの他ない。
また「その五」の國經が目覚めてから、讃岐との会話の終わるまでのところ、
実に、孕むものの多い、密度の高い文章だと思う。
小道具の配置、会話文の妙から、古歌・古文・逸話の挿入の仕方・タイミング、
谷崎の力量・感性がはじめからしまいまで冴え渡っている。
この作品を愛好せずにいられない人は、谷崎の王朝もの(「兄弟」「二人の稚児」など)
殊に谷崎訳の「源氏物語」も手にとって見てほしい、源氏にはきっと圧倒されると思う。
女の部屋に一歩踏み込んだ瞬間、雰囲気・場面を、
全く不自然さなしに変化させる、谷崎の腕。ため息が出てしまう。
例えば、「その一」後半、平中が侍従の部屋に忍び込む場面では、
遣戸の手をかけるところから、女の部屋の暗闇を予感させ、
空薫の香で読み手を一気にその暗闇の中へ、ぐいっと引き込んでしまう。
他にも感嘆させられてしまった場面がいくつもある。
特に、「その二」の冒頭から、上皇より仰せがあり、平中が歌とともに菊を奉る、
その流れをさらっと筆した(文庫で)1ページほどの運びは見事と言うの他ない。
また「その五」の國經が目覚めてから、讃岐との会話の終わるまでのところ、
実に、孕むものの多い、密度の高い文章だと思う。
小道具の配置、会話文の妙から、古歌・古文・逸話の挿入の仕方・タイミング、
谷崎の力量・感性がはじめからしまいまで冴え渡っている。
この作品を愛好せずにいられない人は、谷崎の王朝もの(「兄弟」「二人の稚児」など)
殊に谷崎訳の「源氏物語」も手にとって見てほしい、源氏にはきっと圧倒されると思う。
平明な文体であるにもかかわらず、人物描写が素晴らしく、見せ場の一つである国経邸での時平と国経とのくだりは読者を刺激して一気に読ませてしまう。
また、妻に去られた後の国経が、夜中に捨てられた死体を見に行く場面は、後を付けた滋幹ならずともゾッとするでしょう。
ストーリーの起承転結を楽しむというよりも、場面場面での臨場感を十分に味わうことのできる秀作である。
また、妻に去られた後の国経が、夜中に捨てられた死体を見に行く場面は、後を付けた滋幹ならずともゾッとするでしょう。
ストーリーの起承転結を楽しむというよりも、場面場面での臨場感を十分に味わうことのできる秀作である。
谷崎潤一郎の小説は、いつもここにないものを欲しがっている。この作品も、少将滋幹は母を追い求め、滋幹の父は妻を追い求めている。ストーリーそのものは、数多くの古典から構成されており、古典を読みつくした作者だけあって、古典そのものの文学の真髄が読み取れる作品となっている。
それはさておき、私が一番衝撃だったのは、滋幹の父が死生観を実践するシーンだ。幼い滋幹は、父の後をひたひたつけてゆき、父の行いを見てしまう。その部分は、極力脚色を押さえた文章の中に、はっとするような幻想性がある。これは、作者の短編「母を恋うる記」でも、ほんの一瞬だけ感じられる幻想性である。作者のテーマは母性的な愛情の探求だが、それはあくまでストーリーの好みであって、もっと恐ろしい、魔力のようなものを、作者はいつも生み出そうとしていたのではないかと思う。
あまり大げさな形容はしたく無いが、どう考えても
日本文学の至宝なのに、谷崎作品の中でも知名度が
決して高くないのは残念。
日本文学の至宝なのに、谷崎作品の中でも知名度が
決して高くないのは残念。
今昔物語、宇治拾遺物語を始めとした多数の古典を
引用、再構成し、さながら平安絵巻のような一本の
中編に仕上げたのは、さすがに文章の神様。
改行や句読点の少ない連綿とした文章だが、樗牛の
ような才気ばしった嫌味がない。言葉のすみずみに
まで細心の配慮が行き届いた、それでいて自由闊達
な最上級の日本語を堪能できる。
構成や学識もさすがだが、僕が谷崎にひかれるのは、
何と言っても、溜息が出るような文章の美しさである。
「美しい日本語とは何か?」と尋ねられたら、僕は
「それは少将滋幹の中にある」と答えるだろう。



