教科書に掲載されている「伊豆の踊り子」くらいしか知らない者が、他の作品を少しでも読むと驚いてしまうのではないか。川端文学がこんなにもHなものだったとは、と。
しかし、初期の作品から娼婦が描かれ、川端文学の源流であることが分かる。妻や恋人の枠を外れて、不特定の女性たちとの性交渉をモチーフにしているのは一見ふしだらである。それなのに川端文学には後ろめたさが感じられない。それは背景の時代性なのか、温もりに渇望していたということなのか。
「みづうみ」に登場する桃井銀平もまた、なんの罪悪感を抱くことなく欲望のおもむくまま美少女たちに執着する。現代感覚からすれば銀平はストーカーである。ストーカーもまた自分の行為になんら異常性を感じることがないという。こんな己の行為に無反省で病的な性癖を展開する作品はとても読めないという人もいるだろう。けれどその陰湿さが場合によって優しさの視点にもなる。美少女への執心は時には向日的に、時には陰湿に表出される。「伊豆の踊り子」や「掌の小説」にそれが結実される。
モチーフだけを読めばとてもまともではないが、場面転換の仕方がおもしろいし、巧みである。ほとんど気まぐれに転じているように見えるがやがて一点に集約されていく。そしてシュールな妄想描写、十八番の非常に密度の濃い比喩表現にはやはり感服する。この比喩表現技法は現代詩の真骨頂である。それが小説で展開していることがなにやら妙な気分になる。詩は読者そっちのけの巧妙緻密な表現の世界といえる。小説はその対極にあるとまでは言わないが、文体的には分かりやすいものではなかったのか。「悪魔のような天使」私にはそう思われた。
表題になった「みずうみ」は主人公銀平が幼少のころ住んでいた近くにあったもので、たびたび回想される。ストーカー銀平誕生の秘話が読み取れるところである。
みずうみ (新潮文庫)
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川端康成らしい病んだ美しい世界。美が彼を病ましたのか、病んだからこそ美しさを発見できたのか。
まぁ川端康成は痛い。とくにこの作品はとにかく痛くて素晴らしい。
まぁ川端康成は痛い。とくにこの作品はとにかく痛くて素晴らしい。
表現そのもの美しさに加えて、少女の汚れの無い美しさを感じる。
それは、具体的にどういう部分が美しいというよりも、醸される雰囲気が美しい。
その美しさは、まるで、幻想の中を、のたうちまわっているかの様だ。
銀平の意識そのものも美しい。
奇妙な思考が、少女の美をとらえて離さない。
宮子自身も快楽を感じた。
宮子は銀平につけられる事によって、突発的な快感に戦慄する。
この下りにより、宮子の美しさが増幅される思いだ。
銀平は少女の眼にみずうみを見る。
少女の眼が、愛にうるんでいる様が、こんな風に表現される。
そして、銀平は、そのみずうみに、裸で泳ぎたいという憧憬と絶望を同時に感じる。
夢遊病の様に少女の後をつける銀平により、少女の美があらゆる角度から表現される。
みずうみとは、意識の底に沈んでいる、手の届きにくい美なのだろうか?
独特な美しさに満ちた、川端文学の傑作だ。
それは、具体的にどういう部分が美しいというよりも、醸される雰囲気が美しい。
その美しさは、まるで、幻想の中を、のたうちまわっているかの様だ。
銀平の意識そのものも美しい。
奇妙な思考が、少女の美をとらえて離さない。
宮子自身も快楽を感じた。
宮子は銀平につけられる事によって、突発的な快感に戦慄する。
この下りにより、宮子の美しさが増幅される思いだ。
銀平は少女の眼にみずうみを見る。
少女の眼が、愛にうるんでいる様が、こんな風に表現される。
そして、銀平は、そのみずうみに、裸で泳ぎたいという憧憬と絶望を同時に感じる。
夢遊病の様に少女の後をつける銀平により、少女の美があらゆる角度から表現される。
みずうみとは、意識の底に沈んでいる、手の届きにくい美なのだろうか?
独特な美しさに満ちた、川端文学の傑作だ。
川端はとても好きな作家なのでどの作品・・「千羽鶴」も「浅草紅団」も「片腕」も「女であること」も・・
皆好きなのだけれどこの作品ほど美しい小説は他に知らない。川端の作品のみならず他の小説でも
これほど美しいものはあるのだろうか。例えば小品で思いつくままに、梶井基次郎「ある崖上の感情」
檀一雄「花筐」魯迅「故郷」・・どれも皆美しく切ないけれど短編ならではの輝き。「みずうみ」はこれだけの
長さで、陳腐な表現だけれど宝石のように輝きつづけている世にも稀な作品。まさしく新感覚派の面目躍如、
といったところであろうか。
特異な題材ではあるけれど奇を衒うといったものではまったくない。驚くほど自然に読めてしまうところが
また恐ろしくもある。美しい闇のような世界。「眠れる美女」にも通じる・・個人的には「みずうみ」のほうが
好きではあるけれど。
皆好きなのだけれどこの作品ほど美しい小説は他に知らない。川端の作品のみならず他の小説でも
これほど美しいものはあるのだろうか。例えば小品で思いつくままに、梶井基次郎「ある崖上の感情」
檀一雄「花筐」魯迅「故郷」・・どれも皆美しく切ないけれど短編ならではの輝き。「みずうみ」はこれだけの
長さで、陳腐な表現だけれど宝石のように輝きつづけている世にも稀な作品。まさしく新感覚派の面目躍如、
といったところであろうか。
特異な題材ではあるけれど奇を衒うといったものではまったくない。驚くほど自然に読めてしまうところが
また恐ろしくもある。美しい闇のような世界。「眠れる美女」にも通じる・・個人的には「みずうみ」のほうが
好きではあるけれど。
川端康成の小説はどれも薄くて短時間で読めるのが魅力です。本作も150ページしかありません。ストーリーが尻切れトンボに終わるが故の短さなのですが、その尻切れトンボさが、作中人物の人生がまだまだ終わらないことを暗示しているようで小気味よいです。
本作の『みずうみ』というタイトルからは叙情に満ちた美しい小説を連想したのですが、中身はその印象とは全然違います。これはストーカーを扱った当時としては珍しいタイプの小説です。もちろんストーカーなんて言葉は出て来ませんが、気に入った女性を見かけると後をつけずにはいられないという奇妙な性癖を持つ主人公は、明らかに今で言うストーカーです。現在のシーンと回想シーンが切れ目なく交錯する実験的な小説手法も興味深いです。
本作の『みずうみ』というタイトルからは叙情に満ちた美しい小説を連想したのですが、中身はその印象とは全然違います。これはストーカーを扱った当時としては珍しいタイプの小説です。もちろんストーカーなんて言葉は出て来ませんが、気に入った女性を見かけると後をつけずにはいられないという奇妙な性癖を持つ主人公は、明らかに今で言うストーカーです。現在のシーンと回想シーンが切れ目なく交錯する実験的な小説手法も興味深いです。


