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山の音 (新潮文庫)
川端 康成
価格: ¥500 (税込)

文庫
出版社: 新潮社
発売日: 1957/04
ISBN: 4101001111
おすすめ度:4.5
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それぞれの家にはそれぞれの事情がある
山の音を聞いて、死を意識した老齢の主人公。その主人公の妻、息子、息子の嫁、出戻りの娘とその子供達。そんな家の中で、それぞれがそれぞれの事情を抱えながら生きている。そして物語の根底を流れているのは、紛れも無く「死」のイメージである。その死のイメージと相対して表されているのが、異性との関わりを軸とした生のイメージである。そのイメージの両方が物語りの中を二重螺旋の構造で流れている。そりゃそうです。生と死はコインの表裏、DNAの二重螺旋の相方なのだから。そんな中で、鎌倉の一家の日常が流れている。そしてその日常は物語が終わった後も続いていくのである。静かな中に各人のやるせなさが見て取れる。悲しさなのであろう。でもこの悲しさというのはどの「家」にもあるのであろう。「家」の持つ性なのである。そんな感想を持たせてくれた物語。
作品の随所にエロスの秘宝が配置されている
長年の憧れの作品を手にして数ページめくってやや後悔の念が湧いてきた。話が進まないのだ。アクションがまったくない。これを映画にすれば、ホームドラマだ。そして、成瀬巳喜男監督の映画を思い出した。原節子が嫁の菊子を演じているが、あのまんまである。
けれどさらに読み進むと、やはり舐めてはいけなかった。相当スゴイ文豪の作品である。ホームドラマの原作程度で終わるものではなかった。
もの覚えの悪くなった老人尾形信吾を取り巻く家庭が舞台だが、家族に対して次第に露出するエロチックな視線描写が並みの文学を超越している。
夫・信吾の息子が浮気をしていて相手にされない嫁菊子は、はっきりいって視線や気持ちで陵辱されているといっていい。
また、子連れで出戻りの娘房子の身体への視線も相当にエロチックだ。
日常生活の描写のところどころに赤や青色の宝石が配置されているように、婉曲的で象徴的なエロス的表現が挿入されており、その秘宝に遭遇するたびに私は胸を高鳴らせてしまった。
「家族はエロスそのものだ」と某評論家がいっていたような気がするが、まさに本書はその文学的結晶といえる。
小津映画の様な美しい情景
本書は、昭和20年代中頃の鎌倉の中流家庭の生活が美しい文章で描かれており、読みながら小津安二郎の映画の様な情景が浮んでくる。還暦を越えた主人公、信吾は若くて美しい息子の嫁(菊子)に対して、ほのかな恋愛感情を抱くのだが、その決して発展する事のない微妙な心のひだが見事に描かれている。そして、今とそれ程変わらない一見平和な家庭の様に見えるのだが、所々で戦争の傷跡が垣間見える。信吾の息子、修一は美人の妻がありながら、戦争未亡人の愛人がいて、いつも帰宅が遅い。そんな息子に信吾はいまひとつ厳しくなれない。「あれ(息子)も戦争に出てから変わった」と寂しくつぶやくだけである。推測だが、信吾らの世代には、息子たちの世代を戦争へ追いやってしまったという、負い目があるのではないだろうか。渡辺崋山の絵を見ながら、友人が「崋山の様な事で切腹しなければならないとすると、僕らは何べん切腹しなければならないかしれないよ」という場面がそれを暗示している。信吾が不意に息子に対して「お前戦争で人を殺したかね」と訊ねる所は、出勤途中という日常的場面の中で交わされる会話にしてはあまりにも衝撃的であり、この小説の中で最も印象に残ったセリフである。
あと、これは蛇足だが、「保土ヶ谷駅と戸塚駅の間の長丁場」という記述が2,3度出てくるが、その後東戸塚という新駅が出来て、今では巨大ショッピングモールと超高層マンションが林立するニュータウンになっており、隔世の感がある。
老人と呼ばないで
多分、川端は自分を老人の皮を被った若者?と考えていたと思います。それは所謂「老いらくの恋」を扱ったゲーテの例を引くまでもなく、人間老いて益々お盛ん?なものでありまして、気持ちの上では青年に負けるどころか、老青年?の心は実際の青年よりも格段に美しく純粋なものです。多くの青年の心理を扱った小説が、作家の晩年に書かれていたりするのも、こうした老人の表層の内側にある青年の心理が、壮年または老年になって磨かれた作家の余す所のない筆捌きで描かれるという例からもよく理解出来ると思います。

菊子という美しい嫁。修一という戦争で傷ついた息子。その息子は同じく戦争によって傷つけられた未亡人と奔放な性愛に何故か自らの時間を徒に費やしている。そして、こうした家庭外での忌むべき性生活が穢れない菊子の女を皮肉にも開花させて行く。「きこ、きっこ」と傷ついた獣のような声を上げて家の裏口を開けてくれるよう助けを求める泥酔した修一。夜半に帰って来た息子が嫁にこのような声で甘えるのかと深く感じる主人公の信吾。こうした時も老主人公は息子を通じて、女と通じようとする。老いてはいるけれど、否老いているからこそ、若い男と自分の女を結びつけようとする。そこには嫉妬という感情は微塵もなく、若者は単に自分の身代わりでしかない。

多分この小説は人生の終わりに、そして人生の中途でそれぞれの立場から感動をもって読まれる美しい日本語と美しい日本の風景をもって描かれた200%日本的な小説です。

素敵な風俗小説
 他の方も仰っているが まず 日本語が極めて美しい。特に鎌倉の風物が実に綺麗に描かれていて これを読んでいるだけで 鎌倉が目に浮かぶ。本作は成瀬巳喜男が映画化したわけだが 鎌倉というと小津の「晩春」を思い出してしまう小生としては 小津がこれを撮ったらどうなっただろうかとも思う。

 次に 実に艶かしい作品である。「上質のエロティシズム」と書いてしまうと 陳腐な表現になってしまうが そういうものを強く感じる。川端も綺麗な日本語で品良く書き綴っているわけだが その内容たるや 初老の主人公の そこはかとない性欲の話であり 現在中年であり もうすぐ初老の小生としても はっきり言って 笑えないものがある。

 この本が書かれた時分には この本もそれなりに風俗小説だったのだと思う。普通のサラリーマンたちが 若干ニヤニヤしながら読んでいたのではないかと思うと なんだか 心が洗われるものがある。




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