はんなりと、そしてたおやかな日本語によって表現することにおいて谷崎の正当な後継者、
その文体にどこか厭世的で死への憧れを湛えることにおいて独特の香気を放つ。そんな川端の
美質が典型的に表現された作品が表題作の『伊豆の踊子』。
いい人ね。
もしもこのことばが他の者によって発せられたものならば、「孤児根性で歪んでいる」私は
そう簡単に聞き入れることもなかったであろう。
しかし、それは他ならぬあまりに純粋無垢な踊子のことば、打算の余地などそこにない。
私は素直に受け入れる。こうして私の自己承認が果たされる。あたかも処女にして聖母
マリアを思わせる、清らかな救済だ。
しかし、それも束の間のこと、私は踊子から引き離される。泣ける。
見知らぬ老婆を引き受けて乗り込んだ船。離れ際、踊子が見えて、しかし、さよならは
あえて言わない。
世界の何が変わるでもない。東京では再びなだらかな日々が待ち受ける。空虚な気持ち、
そしてそれゆえにこそ晴れやか。いい人ね、その救いのことばゆえ、生きていける、そんな
淡き予感に再び私は涙する。
この心象風景、ドストエフスキー『罪と罰』、ラスコーリニコフに舞い降りたソーニャの
存在に似る。
いずれにせよ、名作。
伊豆の踊子 (新潮文庫)
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一緒に収録されている中の「温泉宿」が、
切ないやら悲しいやらで、たまらんのです(泣)
それがいいんですが(笑)
切ないやら悲しいやらで、たまらんのです(泣)
それがいいんですが(笑)
三島由紀夫入門書が、潮騒
川端康成入門書が、伊豆の踊り子
なんていうか、初恋とか純愛とか無垢とか。
耽美で淫靡な、この二人には似つかわしくないものを書いて、
これほどに綺麗にまとめるというのは、
やはり、大作家だけあります。
とにかく日本語が綺麗です。
まだ、川端康成の文学に触れてない方には、この本から入られることをお奨めします。
川端康成入門書が、伊豆の踊り子
なんていうか、初恋とか純愛とか無垢とか。
耽美で淫靡な、この二人には似つかわしくないものを書いて、
これほどに綺麗にまとめるというのは、
やはり、大作家だけあります。
とにかく日本語が綺麗です。
まだ、川端康成の文学に触れてない方には、この本から入られることをお奨めします。
淡い恋をこれほどまでに的確に描き切った作品はないでしょう。この年頃で成就するはずのない恋は薄々二人にはわかっていたはず。しかし高まる恋心はやがて青年の頭の中に水となってたまっていきラストシーンで別れをきっかけに目から止め処もなく涙としてあふれでる。さわやかである。
川端康成の代表的名作。表題作の他に、『温泉宿』『抒情歌』『禽獣』の計四編を収録しています。
『伊豆の踊子』は、一人の学生が小さな少女に寄せる想いを描いています。学生の抱く緊張や、少女のかわいらしい仕草は簡潔でありながら鮮烈で、自然な優しさを主人公に変わって味わっているような暖かみのある作品です。六十ページ程もない作品にこれだけ彩り豊かな物語をまとめた著者は本当に驚くべき程の天分の持ち主だったのだろうと感じさせられてしまいます。
他の三編も独特。他の方のレビューにもありますが『抒情歌』は川端康成の美に対するイメージが如実に感じ取られて非常にきれいな仕上がりとなっています。『禽獣』もお勧め、人を嫌う男の動物に対する愛着や、それを通して感じられる世界観は、曇りが無く、また冷徹でもあり、志賀直哉の心境小説とは似ているようで、また違った感覚が味わえます。
ページ数も薄く、お手軽な値段の作品ですが是非ゆっくりと時間を掛けて読んでみてください。初めて読んだ川端の作品でしたが本当に満足しています。
蛇足ですが、竹西寛子と三島由紀夫の解説は、どちらも
「一般の人々がこれらの作品からうける感想は、全く間違っており、作品に対する冒涜である」
という様なことを言いたげで、非常に不愉快でした。
『伊豆の踊子』は、一人の学生が小さな少女に寄せる想いを描いています。学生の抱く緊張や、少女のかわいらしい仕草は簡潔でありながら鮮烈で、自然な優しさを主人公に変わって味わっているような暖かみのある作品です。六十ページ程もない作品にこれだけ彩り豊かな物語をまとめた著者は本当に驚くべき程の天分の持ち主だったのだろうと感じさせられてしまいます。
他の三編も独特。他の方のレビューにもありますが『抒情歌』は川端康成の美に対するイメージが如実に感じ取られて非常にきれいな仕上がりとなっています。『禽獣』もお勧め、人を嫌う男の動物に対する愛着や、それを通して感じられる世界観は、曇りが無く、また冷徹でもあり、志賀直哉の心境小説とは似ているようで、また違った感覚が味わえます。
ページ数も薄く、お手軽な値段の作品ですが是非ゆっくりと時間を掛けて読んでみてください。初めて読んだ川端の作品でしたが本当に満足しています。
蛇足ですが、竹西寛子と三島由紀夫の解説は、どちらも
「一般の人々がこれらの作品からうける感想は、全く間違っており、作品に対する冒涜である」
という様なことを言いたげで、非常に不愉快でした。



