20世紀少年―本格科学冒険漫画 (5) (ビッグコミックス)
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世界滅亡ののろしがあがり、2000年大晦日に何かが起こる、よげんの書にあります。秘密基地の20世紀少年は地球滅亡の危機を守るために顔を揃えます。そこから一転、時代は進み21世紀。カンナは高校生になり、再び運命が動き始めます。アーノルド・シュワルツェネッガーの「ターミネーター」を連想しました。ターミネーターは未来から過去にやってきますが、過去から未来にこの物語は進行し、その間の空白期間を振り返り、登場人物の過去と現在を結びつけながら後を追いかけることになります。面白いです。
この劇画を読んで強烈に感じられる事は、1995年(平成7年)に起きた幾つもの出来事が、フラッシュバックの様に、織り込まれて居る事である。先ず、この「ともだち」と言ふ集団のテロには、誰もがオウム真理教による地下鉄神経ガス事件(1995年3月20日)を想起させずに居ないし、「血の大みそか」の光景には、阪神大震災(1995年1月17日)の光景に重なる物が有る。更に、続く6巻以降の物語には、『マルコポーロ』廃刊事件(1995年1月30日)を連想させられる部分も有る。私には、浦沢直樹氏は、1995年と言ふ年を非常に意識して居る様に思はれる。凄い劇画である。
(西岡昌紀・内科医/『マルコポーロ』廃刊事件から13年目の日に)
(西岡昌紀・内科医/『マルコポーロ』廃刊事件から13年目の日に)
昭和40年代に子供時代を送った者にとって、大阪万博というものは、ある意味、「象徴」ではなかったか。
それは、子供たちにとって、本人の実力・努力・人望などに関わりなく、理不尽なまでに、「行ける人」と「行けない人」を区別した。
やがて、それは、昭和40年代の子供たちが大人になって知った現実ではなかったか。
いくら努力しても、実力があっても、「行ける奴」と「行けない奴」が存在するという現実・・・。
この物語のすべては、そこから始まっているような気がしてならない。
それは、子供たちにとって、本人の実力・努力・人望などに関わりなく、理不尽なまでに、「行ける人」と「行けない人」を区別した。
やがて、それは、昭和40年代の子供たちが大人になって知った現実ではなかったか。
いくら努力しても、実力があっても、「行ける奴」と「行けない奴」が存在するという現実・・・。
この物語のすべては、そこから始まっているような気がしてならない。
最初1巻を読んだときは、コンビニ店長(ケンヂ)
が宗教団体と戦うわけわかんない物語だな~と思っ
ていました。しかしこの5巻まで読んでやっぱり浦
沢さんはすごいと思いました。普通にコンビニ店長
やサラリーマンがロボットに立ち向かうなんて話を
聞いたらギャグに聞こえます。しかしこの20世紀
少年の場合、ロボットに立ち向かっていくケンヂ達
が本当の英雄に見えました。1巻だけ読んでも面白
くないのでまずは5巻まで読んでみてください。1
~5巻(1997年~2000年の大みそか)6~
15巻(2014年~2015年世界滅亡)16巻
~(ともだち暦元年~)と話がだいたい3つに分か
れています。
が宗教団体と戦うわけわかんない物語だな~と思っ
ていました。しかしこの5巻まで読んでやっぱり浦
沢さんはすごいと思いました。普通にコンビニ店長
やサラリーマンがロボットに立ち向かうなんて話を
聞いたらギャグに聞こえます。しかしこの20世紀
少年の場合、ロボットに立ち向かっていくケンヂ達
が本当の英雄に見えました。1巻だけ読んでも面白
くないのでまずは5巻まで読んでみてください。1
~5巻(1997年~2000年の大みそか)6~
15巻(2014年~2015年世界滅亡)16巻
~(ともだち暦元年~)と話がだいたい3つに分か
れています。
この巻でオープニングのリフレイン(世界を救った人たち)があるが、これが大団円となると思って読んでいた読者の予定調和が崩される。
なぞがなぞを呼ぶという言い方があるが、この漫画の場合は不協和音のようにさまざまな疑問が折り重なっていく。この不協和音が読者を物語に引き釣り込んでゆくのだが、「そろそろカタルシスを感じさせてよ」ってのが本音。次の巻では何かなぞが一つでも解決するのだろうか。 マスターキートン的なああいう短編集みたいな作品もまた書いてよ。浦沢さん。



