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砂の本 (現代の世界文学)
ホルヘ・ルイス ボルヘスホルヘ・ルイス・ボルヘス篠田 一士
価格: ¥1,575 (税込)

単行本
出版社: 集英社
発売日: 1987/12
ISBN: 4087730891
おすすめ度:4.5
Amazon ランキング: 325156位
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無限を体現する「砂の本」
◆「砂の本」

  ブエノスアイレスのベルグラーノ通りにある、アパートの四階に
  住んでいる私のもとに、ある日暮れ方、一人の男が訪ねてきた。

  男は、聖書を売りにきたというのだが……



  砂と同じく、はじめもなければ終わりもない「砂の本」――。
  聖書の売人は、次のようにうそぶきます。


   〈もし空間が無限であるなら、われわれは、空間のいかなる地点にも存在する。
    もし時間が無限であるなら、時間のいかなる時点にも存在する〉


  「砂の本」とは「バベルの図書館」(『伝奇集』所収)に出てくる、

  「神」の比喩としての〈四方の壁をめぐる「円環的な本」〉〈他のすべての
  本をうちに包含する、マラルメ的な書物〉のヴァリエーションなのでしょう。
  
物語るということ
自分が過去書いたものを読んでみて、何かいやな気持になることがある。それは確かに自分の文章だし、あのときは少なからず「これでよし」と思って仕上げたものなのだが、今の自分には、草いきれのようにムっと甘く、読むに堪えないものが多いのだ。こんなに青臭いのは、恐らくは読み手を意識しすぎているからだ。あの頃は自分の言葉作りにぎりぎりいっぱいで余裕がなかったんだな~と思う。そしてそんな昔の自分が何だか恥ずかしなってきて、そこから先を読み進めることができなくなってしまう。私たちは他者の声をたえず先取りして語っているのかもしれない。語るより先に他人の声を思い浮かべ、それに応えるように心のうちで語ることはよくあることだ。『砂の本』第一の短編「他者」は、そんなalter egoの話。続く「ウルリーケ」もまた。すぐ微笑む、するとその微笑が彼女自身を遠ざけるような彼女が、僕の名前を呼ぶ。鏡は消える。砂のように時間が流れ、僕は彼女のイメージを抱く・・・。 ために万巻の書を集め、わさわさと働いてきたその会議とは、現実にそしてひそかに存在している、世界でありまたわたしたち自身なのだった、というお話が次の「会議」。conference、共に付き合わせる場、それはわれわれ自身の存在そのことなのであり、そこにあって言葉とは、共通の記憶を負おうとする象徴なのだ。そして、解釈の問題を扱ったのが「三十派」。テクストの自己内在化の果てに、自己と神との同一化は免れない。「鏡と仮面」、「ウンドル」では万能言語それ自体の存在を問う。総じてボルヘスは、言語それ自体という神話を否定して、言語という人間愛を謳っているように私には思える。木の実の熟れて落ちるように、自分自身から過去の自分がぽとりと落ちるとき、そのとき私も、彼のように、自分の分身と静かに話をしつつ、愛するように、そのように、物語ることができるのかもしれない。



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