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蒲公英草紙―常野物語 (集英社文庫)
恩田 陸
価格: ¥500 (税込)

文庫
出版社: 集英社
発売日: 2008/05/20
ISBN: 4087462943
おすすめ度:4.0
Amazon ランキング: 7455位
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う〜ん
古き日本やそこに住む人々、常野と呼ばれる不思議な一族を、一人の少女の目を
通して描いている作品です。

著者の恩田さんは作品ごとにタッチが変わり、多彩な作風でいつも驚かさせられて
いるのですが、この作品は独白調で描かれており、言葉遣いも独特でまた違った新
鮮さがあると思います。

しかしその新鮮さというのは「恩田作品」に限定した場合の話しであり、読み出して
すぐにカズオイシグロ氏の作品の影響を感じずにはいられませんでした。

恩田さんは間違いなく優れた作家さんではありますが、少女が持つ微妙な心の揺れを
表現するという点では、残念ながらカズオイシグロ氏には引けを取っており、同じよ
うな作風のこの本は、正直、物足りなさを感じます。

この先、恩田さんならもっと書けるはず! という期待も込めてキビシめに☆2つに
しました。
宝石のように美しくも大切な想い出と、後味の悪さ
本書は『光の帝国』に続く「常野物語」シリーズ第2弾だが、前作の続きではなくシリーズの番外編といった方がよいかも知れない。
本書に登場する春田一家は、『光の帝国』に登場する春田一家のおそらくは二代か三代前の先祖と思われるが、彼らの能力もまた、『光の帝国』の春田一家と同様、「しまう」ことにある。
しかし本書の中では、一家の末息子である光比古の役割は重要ではあるものの、彼らはあくまでも脇役であり、物語の中心は語り手である峰子と、彼女の想い出の中心にほのかに輝く「聡子様」である。

峰子が「聡子様」と過ごした幼き日々は、彼女自身が述べるように、彼女が最も幸せだった時代である。
その彼女の記憶に語られる日々の出来事は、どれをとっても懐かしくも優しく、ときには悲しみや切なさを伴いつつも、いつまでもその至福のときが終わらなければいいのにと、そんなはかない願いがストレートに伝わってくる。
しかし、その優しい想い出のままで物語が終わればいいのだが、読後に残る思いは後味の悪さばかりである。

ラストでは峰子の現在である終戦直後に時が戻り、すっかり生きる気力を失い、途方に暮れてしまっている現実が映し出される。
締め括りの「彼らが、そして私たちが、これからこの国を作っていくことができるのか、それだけの価値のある国なのかどうかを彼(光比古)に尋ねてみたいのです。」との述懐は、単に峰子が置かれた終戦直後の暗い絶望的な状況に対する問いかけというよりも、むしろ現在の先行きの見えない日本に対しての、作者が峰子の言葉に託した読者へのメッセージではないかと思う。

しかし、その答えを、その救いを、作者自身に示して欲しかった。
あの救いようのない絶望的な物語である『光の帝国』においてさえ、救いを与えてくれた作者なのだから。
不安な時代への警句と希望
常野一族という一風変わった一族がいる。
『光の帝国』で、春田の血筋の書見台が一族ではない家に所蔵されていたとちらりと出てきた。
その書見台を有していた旧家と集落を中心に、19世紀末の「にゅう・せんちゅりぃ」を迎えようとする日本が牧歌的に描かれている。
だが、その新しい世紀が戦争の世紀であったことは、現代の読み手にとっては既知であり、描かれる世界が美しいほどに喪失の予感で胸が痛む。
「しまう」「響く」ことは特別でも、本を読み、人と触れあい、気持ちを揺れ動かすことなら、誰しも日常的にしていることだろう。
そうやって他者を感じながら、一人一人が、今、この時、この国を作っている。主人公の最後の問いかけは、読み手への問いかけであり、警句である。
不思議であると同時に美しい、静かに胸を打つ本だった。
聡子は日本の良心
 時代は「にゅう・せんちゅりぃ」(21世紀ではありません。20世紀です)を迎えた頃、場所は山を越えれば福島、という阿武隈川沿いの農村地帯。絵に書いたような田園風景が目に浮かびます。大地主の末娘・聡子の話し相手としてお屋敷に上がることになった峰子の日記がタイトルの『蒲公英草紙』です。彼女が自分の日記になぜこの名前を付けたのか、何となくわかる気がします。うららかな春の午後、窓辺から黄色い蒲公英に紋白蝶が戯れている様子を窓辺から眺めていて思いついたようです。

 父親から帳面をもらった峰子は「しっかりお勉強をして世の中の役に立つ人間になりたい」と考えます。からだが弱く、成人するまでは生きられないだろうと言われていた聡子は、畑仕事を手伝う子供たちを見て「みんなあんなに働いているのに、聡子は何もしてないね」「聡子はぬくぬくとわがままをさせてもらっているのに、何も村に返してません」と言います。これから大人の階段を上ろうかという年頃の少女たちでも、普通にこんなことを考えられていた時代があったんでしょうね。家族のためとか、地域のためとか、国のためとか、とにかく自分のことだけを考えるのではなくて、誰かのために役に立つ人間になりなさいと親は子に教え、子はその教え通りに何か人の役に立つことをしようと思う、美しい日本人がたくさんいたんですね。

 聡子を見ていると、育ちがいいというのはまさに彼女のためにある言葉だと思います。美しい言葉遣い、周りの人への気遣い、感謝。清々しい心の持ち主は、周りにいる人の心まで暖かくさせる。そこにいるだけで心を和ませることのできる人。聡子を取り巻く人々も優しさにあふれていて、せわしない日本にも、かつてはこんな風に平和でゆったりと時間が流れていた時代があったんだなと、読んでいる私まで穏やかな気持ちになりました。

 だからこそ、村をおそった悲劇がひどくつらいものになるのですが、ここでみんなの気持ちを救うのが、常野一族の春田一家です。『光の帝国』の一話にもつながりのあるような家族が出てきましたが、みんなを「しまう」ことのできる彼らと村人たちとの交流は短くも心に残るものでした。

 最後は昭和20年8月15日。玉音放送を聴いた峰子は深い喪失感の中にいますが、だからこそよけいに聡子のとの楽しい日々に心を引き戻されてしまうんでしょう。平和な物語のラストとしてはちょっと切ない終わり方なんですが、だからこそ聡子の美しさが引き立っているような気がします。「自分が幸せであった時期は、その時には分かりません。」深い言葉ですね。
小さな世界の中の至極の思い出
前作「光の帝国」は、さまざまな能力を持つ常野の人々の全体像と彼らの引き寄せられる役割、そして時のさまを描いたいたのに対し、「蒲公英草紙」は常野の人々ではない一人の女性の少女時代の回想として、思い出深い常野の人々が語られています。語りは一人称ですし、少女だった頃の視点から語られているので、今と違って、情報の量も少ないですし、子供に何もかもが筒抜けではないためでしょうか…情報の中の怖いものや大人の事情はあいまいで優しい世界になり、小さな世界の中の至極の思い出がまばゆく輝いています。

 「蒲公英草紙」に登場する常野の人々の中には、「光の帝国」の「大きな引き出し」に登場する春田一族の祖先がいます。彼らは膨大な知識や人そのものを「しまう」、そして時には「響かせる」役割を持ち、旅をしながら暮らしています。今回、常野の人々の視点から物語が語られないのは、彼らが主役であろうとしないからではないかと思っています。彼らは代々為すべきことを為すために行動し、優れた力を持ちながら表舞台に出ようとはせず、目立たぬようにけれども世界のありようを支えている人々だからです。…代々為すべきことがはっきりしているというのは、制限でもあるけれど、幸せなことなのではないかとも思います。不思議と常野の人々にはその定めに逆らうものが今のところいないので、何かの定めによって定められているかのように時には自己を犠牲にしてまで、何かを守ろうとしています。その一方で、語り手である峰子が出会う聡子は、春田一族とは異なり、常野のことをよく知らないままその能力を知らず発揮しています。聡子は祖母から聞いたわずかな常野についての知識を物語だと認識していましたから、春田一族のように知識の伝達や教育を受けていないのです。それでも彼女は少し遠くのことが見える力で自らの為すことを為そうとするのですが、春田一族の成長過程と比べて、真っ暗な道をひとりで進んでいかなければならないという周囲のサポートの少ない仕事であったといえます。それを思うとせつなくなると同時に、語り手である聡子の話し相手である峰子とのたわいない少女同士の夢やおしゃべりがどんなに聡子の支えとなっていたのかがよくわかります。峰子は聡子を理解していたわけではありませんが、聡子の小さな世界と見えるだけの外の世界をつなぐ人物としていつも沿い、かけがえのない媒介者であったと思います。それから、ラストに峰子が数十年を経てなぜ今回想に至っているのか、が語られているのですが、厳しい中にもわたしにはどこか長期的な希望のかけらが感じられました。それは峰子の代なのかも知れないし、もっと先のまだ生まれていない人々の代なのかもしれませんが…常野の人々を知ると物事を大きなスパンで見られるようになるような気がします。





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