EDEN 6―It’s an Endless World (6) (アフタヌーンKC)
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第6巻はギャングvs娼婦宿の三助です。
「EDEN」はその時、作者が興味あるものが
徒然に描かれていきます。
そのへんは士朗正宗と一緒ですよね。
多くの読者が感じる不快感、
そしてそれと表裏一体の魅力は、
このあいまいなブレでしょう。
「いいも悪いも感情しだい」
人間は所詮、感情で生きる生き物なんですね。
それに感情移入したり、(自分を見ているようで)嫌悪したり。
なんだかんだいって、破綻しきらずに
物語を続ける作者に乾杯!
(コラム読んでから読もう↓)
そのコラムを読んで、なんだかこのマンガに感じてた違和感の理由が分かった気がします。
それはつまり、作者がいうように「よりピュアな領域」を開拓する市場とか、それに喜んだり、それを求めたりする消費者は確かに倫理的に「大間違い」なのかもしれないけど、そのそもそもの原因は受け取る側の人間が現実とイメージの受け取る順番をを逆にしちゃってる事な訳で、なんか物を描く上で「ピュアな領域」を(正にも反にも)意識したらいいものが描けないということです。
マンガならお話があってまだ形になるかもしれませんが、絵とか音楽になると何にもできなくなります。困ります。
で、その違和感というのは作者が「ピュアな領域」に反の意識をしてるような気がするっていう事だったわけです。
勝手に想像しているだけで、もし違ったらすみませんが、もし本当ならもったいない!
すごいなあと思うマンガなんだけれども、
この巻の最後のコラムを読んでなんとなく感じたことを書きます。
(コラムを読んでから読もう↓)
そのコラムを読んで、なんだかこのマンガに感じてた違和感の理由が分かった気がします。
それはつまり、作者が言うように「よりピュアな領域」
を開拓する市場とか、それに喜んだり、それを求めたりする消費者は確かに倫理的に「大間違い」なのかもしれないけど、
そのそもそもの原因は受け取る側の人間が現実とイメージの受け取る順番をを逆にしちゃってる事な訳で、
なんか物を描く上で「ピュアな領域」を(正にも反にも)意識したらいいものが描けないということです。
マンガならお話があってまだ形になるかもしれませんが、
絵とか音楽になると何にもできなくなります。困ります。
で、その違和感というのは作者が「ピュアな領域」に
反の意識をしてるような気がするっていう事だったわけです。
勝手に想像しているだけで、もし違ったらスイマセンが、もし本当ならもったいない!



