季節のかたみ (講談社文庫)
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幸田さんは、正統派の書き手だなと常々思っています。
現代と少々時代のずれがありますが、何を見つめ、そこにどう自分の思いを込めて書き綴っていくか
という点で、学ぶところは多いです。
ただ読み手として接するだけではなく、お手本にしたい書き手のおひとりだと、認識を新たにしています。
内容はエッセイのそれぞれがすぐに短編小説の素材になりそうな味がある。
老いについてもいい文章がたくさん入っていて、自分がもう少し歳を取ったときに読み直してみたい本だ。
「こわれた時計」という文章で著者は不仲だった義理の母親のことを書いている。
著者が貧乏が極まって自宅に借金の取立人が来るようになり、重苦しい気持ちで暮らしていた頃、
離れて暮らしている義母から時計がこわれたので修理して送りなおしてほしいと頼まれる。
時計は結局修理できず、その断りを書けないままでいると、義母の方はいらだって毎日のように
催促の手紙をよこす。父(幸田露伴)は「重い荷物を背負っているときには追加の小さい荷物がこたえるものだ」
と娘をなぐさめる。でも、そんなにも肌が合わなかった義母のことを著者は最後にこう書いているのだ。
(引用)それが案外なことに、私はこの時の母が好きです。教養のあるひとなのに、体裁もみえもなく、
むきになって、喰ってかかっているのが、正直で、大胆で、さわやかです。なぜそう快いのか。
これ継母の継の字、生母の生の字を取り除いた、ただ一字だけのみごとな母の姿―というように
私は思っています。(p188)
人間って、面白いなぁと思う。誰かを―特に身近な誰かを―完全に嫌うことって、
実はなかなかできないことなのだ。
その他、ぞっとする怖さがあるのが「松之山の地滑り」。この人の最後の長編小説「崩れ」をぜひ読まなくちゃ。
言葉も現代調に改められており、難しい漢字ひとつ出てこないので、講演の記録かと思ったが、巻末を見たら雑誌への連載だった。
著者がもつ全ての言葉の投入を妨げるほど、私達読者の言葉に対する力が劣っている、と判断されたのか、と思うと悲しい。
抉るような力強さを削った文章は、娘・青木玉さんの文章に意外なほど似ている。
幸田文さんのエッジの聞いた言葉、文体を楽しみたい向きにはやや味の足りない一冊でもある。
同じネタを使わない著者が、ここへきてネタの重複を見せた。
人生の決算書のようでもあり、走馬灯のようでもある。
単行本の表紙は、著者のきものの裂から娘が見立てたものだそうだが、文庫本の表紙は植物の写真。
着物の裂の表紙にして欲しい。
ですがこの本を読むと、自分がいかに無関心に毎日を過ごしてきたのか、はっとさせられたりします。
季節のうつろいや、ともすると見落としてしまいがちなほんとにささいな出来事も、この方の手にかかるととても美しいものとなり、女性としてこの感性を見習いたいと思うほどです。
時代的には「古きよき」という感じですが、読み進むにしたがって背筋がまっすぐしてきますよ。
私は子育てでイライラし、つりあがったまゆ毛をさげるために、時々取りだして読んでいます。
(心が落ち着くのです)



