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眩暈 (講談社文庫)
島田 荘司
価格: ¥980 (税込)

文庫
出版社: 講談社
発売日: 1995/10/04
ISBN: 4062630796
おすすめ度:4
Amazon ランキング: 44756位
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4レアリスムを瓦解させるレアリスム
眩暈に吐き気に奇妙な恍惚感。濃厚にして緊密な一冊だ。本書の発端となるのは『占星術殺人事件』を愛読する青年が書いた手記。
そのなかでは太陽が消滅し人間が動物になり両性具有者が誕生する....そんな妄想キチガイとしか解釈できない手記をみた御手洗は
こんなにもロジカルかつ現実的なものはないと豪語し解読してみせる。そこには奇怪な表層以上に異常な重層と驚きの深層が隠されていた。
メイントリックの魅力もさることながら,それを解き明かすことによって附随してくる御手洗節が最高ですね。それはとりもなおさず
島田荘司の社会的側面の強い教唆でもある。ただそれは安直に理想主義的と呼べるものではない。
現実主義を否定して理想主義を推し進めれば唯我独尊タイプになるのがオチだが,そうならないのが島田の凄さであって,すぐれた眼と知識で
現実を観察・分析・解剖・抽出して,それを奇想天外にも本格推理小説なる媒体に通してより現実的な教示を与えてくれる。
同時にシンプルに見ればそんなプロセスこそが御手洗潔の人格にも繋がっていることに気づけるのです。この二人といない魅力的な名探偵を
創造してくれた島田荘司の一種矛盾を抱える〈理想的情熱〉には頭が下がるおもい。
1"へ理屈"だけの手前勝手なコジツケ小説〜創造性のカケラもない
島田氏は「暗闇坂」以降、コジツケ小説しか書けなくなっている。冒頭で大きな謎を提出した以降は、何とか"へ理屈"を捏ねて、その謎に対する見苦しい回答をすると言うパターンが続いている。本作もその例に漏れない。デビュー時にはあった創作力がまるで感じられないのだ。

相談者が漸次的に記憶を取り戻していく趣向は、形こそ若干変えてあるものの、D.キイス「アルジャーノンに花束を」と同一のパターンである。また、御手洗(=作者)は盛んに日本人の差別意識を強調するが、本作を読む限り、その非難は作者自身に向けられてしかるべきだろう。作者が用意する手前勝手な回答を日本人が思い付かないと言って非難する訳だが、回答そのものが自分勝手なものなので、読者には差別意識の持ち様がない。即ち、差別意識を持つ事が出来るのは作者だけなのだ。また、御手洗は風呂場の排水溝の水の回転方向を推理の根拠にしているが、作者は完全に勘違いしている。風呂場の水程度ではコリオリの力より水の勢いの方が強く、回転方向はランダムなのだ。作者の論理性に疑問符が付く。作品として発表する以上、もっと調査するのが義務だろう。

アイデアが出ないのに、新本格の旗手として作品を発表し続けなければならない作者の悲哀が出た一作だが、最低限の創造性は欲しかった。
4罪作り?
御手洗の言動は、石岡君辺りの眼から見ればどんなに奇矯(エキセントリック)に映っても、実は事件解決の為に貢献しているものばかりなんだから、その辺の事にいい加減気付けよ石岡君。
とか、ファンなら思いがちかも知れないですけど、でも要するに、後々考えてもどうしても意味の解らない行動が、事件解明に役立ったと思えるそれよりも倍して多かった、という事なんでしょう、きっと。描かれてない部分で。
はい。
1990年代に、島田荘司氏が年1作のペースで発表した御手洗潔シリーズの長編作品のひとつ。
個人的に、島田さんの物語作家性が、制約から解き放たれる事によって(?)最も爆走した時期が此処、だと考えてます。なので、90年代の一連の作品はどれも、小説読みの方には心置きなくお薦めだったりします。
本作に関していえば、後に「21世紀本格」として提唱されるマインドが既に現出してるというか、実はこの作品によって偶然にも煽りを喰ってしまった(かも知れない)有名作もあるというか、兎にも角にも重要作。
日本ミステリ史上に燦然と輝く名探偵・御手洗潔の真骨頂が炸裂する逸品のひとつとして、ミステリ読み、小説好きの方に是非手に取って戴きたい名編なのでした。
4一気呵成
なかなか分厚い本書だが、やはり一気に読ませてくれる。

細部にはおかしな部分もあるのだが数多くの謎が渾然一体と押し寄せ物語に引き込まれ、最後までページをめくる手を止めさせることはない。

読了してみると綾辻の館シリーズの一編にネタが似ていることに気付く。
4手記「部分」はもはやひとつの極北
島田荘子の長編小説を読むたびに私の頭の中に常にひとつのイメージが喚起される。

それは、荒涼たる賽の河原で作者がひとりぼっちで石を一つ一つ積み上げていく姿。

無論、大きな石から順に積んでいくとは限らない。時に小さな石の上にとんでもなく大きな石を平気で積み上げてしまう。そのアクロバチックな積み方の妙には大いなる驚異と大いなる危うさが全く等価に同居している。普通は驚異を強調し危うさは極力隠そうとするもの。だが、その両者を堂々とイコールとして読者に提示せしめる点が島田荘子の真骨頂だ。

そうやって完成された作品という名のオブジェは、凡庸な予定調和がもたらす安心感とは無縁の異形の論理の美が潜んでいる。

「眩暈」において、冒頭の異様なる手記を学者との対話の中で御手洗が合理的に現実のものとして解きほぐしていく部分。その石の積み上げ方は、古今東西を問わずもはやある種の極北に達している。私が読んだ島田作品の中では間違いなく最高の「部分」だ。

わざわざかっこ付きで部分を強調せねばならぬのは私も他の読者と同様だ。残念でもある。

だが、後半部分も含めて完成した「未完成品」を堪能できるのも島田ファンの醍醐味のひとつ。未読の人にはぜひ読んでもらいたい。



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