西村本人を思わせる主人公の「私」は徹底して己の卑俗さを暴露していく
そこには手加減も自己陶酔もない
「俗の極みにこそ聖がある」式の予定調和もない
その徹底振りは圧巻で、感動すら覚える
本書は表題通り正真正銘の自棄糞文学である
どうで死ぬ身の一踊り
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実に整った文章である。細部に至るまでゆるがせにせず記述しており、気持ちで文章を流していないし、日本語をよく知っている。藤沢清造への心酔とその顕彰作業を核に据えつつ、女に縁の薄い男が、ようやく同棲してくれた女に些細なことから暴力を振るう。DVをしながら隠している作家より、自らの愚かな暴力行為を描いて、しかし何らそれを快としていないのがよい。清造顕彰の資金のために、月二回行くソープランドを一回に減らす、というあたりも、近年の作家が描かないところだ。近年の芥川賞受賞作よりも遥かに優れた文藝である。
芥川賞にノミネートされ気になっていたところ、知人に「物凄い..」と聞き、読まずにはいられなくなった本です。
ダメ男のうえにドメ男の主人公が、全てに於いて己中心的に振舞う話...と書けば、おそらく世の中の女性&心ある男性は眉間に縦ジワを寄せ、ひきまくることこの上ないでしょう。が、とにかくその様子がたまらなくおかしくて哀しいのです。特に、同棲中の女性と「蟹」で喧嘩になり暴力を揮う一方で、ヨリを戻すためには恥も外聞も捨てた行動に出るという絵に描いたようなスケールの小さな主人公の姿は、不快を通り越して滑稽ですらあります。
自分の拘りに取り憑かれ続けて数十年、これも一つのアツい生の姿でしょうか。
ダメ男のうえにドメ男の主人公が、全てに於いて己中心的に振舞う話...と書けば、おそらく世の中の女性&心ある男性は眉間に縦ジワを寄せ、ひきまくることこの上ないでしょう。が、とにかくその様子がたまらなくおかしくて哀しいのです。特に、同棲中の女性と「蟹」で喧嘩になり暴力を揮う一方で、ヨリを戻すためには恥も外聞も捨てた行動に出るという絵に描いたようなスケールの小さな主人公の姿は、不快を通り越して滑稽ですらあります。
自分の拘りに取り憑かれ続けて数十年、これも一つのアツい生の姿でしょうか。
芥川賞候補で、書評も絶賛。
かなり期待した自分が悪いのか、どうしようもなく気持ち悪い本だった。
男性には嫌悪感は感じないかもしれないが、主人公の描写のリアルさと生き様がどうしても気持ち悪い。
20代半ばから女性と縁がなくなり、押さえきれない性欲を風俗で処理。
それでも性欲が顔面から滲み出る男。
女が出来てから、性欲も収まるようだが、男の生き様が前進すると同じく
男が匂わす姿は加齢臭を伴った。
女が生理的に嫌な男。そんな男をリアルに描写した本。
かなり期待した自分が悪いのか、どうしようもなく気持ち悪い本だった。
男性には嫌悪感は感じないかもしれないが、主人公の描写のリアルさと生き様がどうしても気持ち悪い。
20代半ばから女性と縁がなくなり、押さえきれない性欲を風俗で処理。
それでも性欲が顔面から滲み出る男。
女が出来てから、性欲も収まるようだが、男の生き様が前進すると同じく
男が匂わす姿は加齢臭を伴った。
女が生理的に嫌な男。そんな男をリアルに描写した本。
第134回芥川賞候補になった本作。藤澤清造と作者と同居していた女性で結ばれた3篇を納める。自分の生活、生き様をこれほどまでにさらけ出すこととは、一体どんな気持ちがするのだろうか。さらけ出すことで作者は救われるのであろうか。救われるのだとしたら、その過程で読者の僕達は心を揺さぶられる。生きることはこんなに激しいことなのだ、惨めなことなのだということをこれでもか、これでもか、と叩きつけられる。みんな辛いんだ。生きることはそれだけで恥ずかしいことなのだ。若者に読んでほしい。



