20世紀のモダニズムの流れを汲む文学のなかでは、ジョイスよりもプルーストよりもまずこれを最高のものとして推したい。確かに文体は複雑難解だけど、これほどモダニズムの編集術の良さが現れた小説は今まで発見できていない。
一種の推理小説みたいな構造になっている。インセストに関しても、後の方で分かるようになっている。くわえて歴史小説的な面白さ。主題となる、社会の構造、血縁の構造、記憶の構造、それらが絶妙な結合をもってして、暗く孤独な雰囲気を、最終章にいたるまで緩まずに、またバランスを崩さずに持続し、おそろしい世界に読者をかいくぐらせることになる。
その感情を支えるものは、歴史を編集し直して読者に提示する、その再構成の力量なのである。この小説の魔力は、夢野久作の「ドグラ・マグラ」と似たところがある。両方ともメタフィクションという手法にせよ、インセストという主題にせよ、類似している。「アブサロム、アブサロム!」も、本気で読みきると精神が少しおかしくなるかもしれない。それだけの魔力を持った小説だ。
![]() |
アブサロム、アブサロム〈上〉 (講談社文芸文庫)
William Faulkner(原著)/高橋 正雄(翻訳)
価格: ¥1,365 (税込) 文庫 出版社: 講談社 発売日: 1998/06 ASIN: 4061976214 おすすめ度: ![]() Amazon ランキング: 54498位 発送可能時期: 通常24時間以内に発送 ![]() |
訳がいただけない代物で、この文章でノーベル賞は取れないでしょう。
恐らく訳者は英語と日本語の間にある差の埋め合わせをしておらず、
文章に代名詞が多用されテレビ画面の
チラチラのように目障りです。「結婚適齢期の女」という語句などもうちょっと良い表現が
あるのでは、とも思います。好き嫌いがわかれる文章、と前の方は書いていますが私は
「嫌い」です。
恐らく訳者は英語と日本語の間にある差の埋め合わせをしておらず、
文章に代名詞が多用されテレビ画面の
チラチラのように目障りです。「結婚適齢期の女」という語句などもうちょっと良い表現が
あるのでは、とも思います。好き嫌いがわかれる文章、と前の方は書いていますが私は
「嫌い」です。
フォークナーという作家は通好みの作家である。ツボにはまれば熱狂的なまでに夢中になれるが、そうでなければ「難しすぎてわからへん」と投げ出してしまうものである。それは独特の「意識の流れ」の描写であったり、難解な構文や単語など色々な要因があるだろう。
で、この『アブサロム、アブサロム!』である。当然、難解です。ごめんなさい。でも、これホント。読み切るのに時間がかかる。一文一文丹念に理解し、バラバラになっている作品中の時間の流れを自分の頭の中で再構成していかなければいけないのだ。しかも、話者がころころと変わるのでその点にも気を配らなければいけない。大変である。
それでも、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』よりは平易。読むにあたって必要となるコツを掴み取れば、むしろパズルを埋めていくようで面白かったりする。事実、私はどういう締め方をするのだろうか、と楽しんでいたほどである。まあ、これだけ難解であれば再読も楽しめるだろう。完全に内容を理解できた自信もないし(笑)。
ちなみに個人的な実感であり、なんら理論的な根拠はないのだが、ガルシア=マルケスはこの作品にインスパイアされて『族長の秋』を書いたように思う。
で、この『アブサロム、アブサロム!』である。当然、難解です。ごめんなさい。でも、これホント。読み切るのに時間がかかる。一文一文丹念に理解し、バラバラになっている作品中の時間の流れを自分の頭の中で再構成していかなければいけないのだ。しかも、話者がころころと変わるのでその点にも気を配らなければいけない。大変である。
それでも、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』よりは平易。読むにあたって必要となるコツを掴み取れば、むしろパズルを埋めていくようで面白かったりする。事実、私はどういう締め方をするのだろうか、と楽しんでいたほどである。まあ、これだけ難解であれば再読も楽しめるだろう。完全に内容を理解できた自信もないし(笑)。
ちなみに個人的な実感であり、なんら理論的な根拠はないのだが、ガルシア=マルケスはこの作品にインスパイアされて『族長の秋』を書いたように思う。
時代はアメリカ南北戦争直前。素性の知れない「サトペン」と名乗る流れ者、家族、そして彼らに関わる人々の長編物語。
その時代の南部独特の風潮が、フォークナーの文章の難解さに表れている様に感じられる。
また、読み始めから漂う南部独特の空気の重さ、むさ苦しさには、これからの物語にどんな展開が待ち構えているのか
興味を引く素晴らしさがあった。
しかし、ただの暇つぶし程度で読もうと思う人には、お勧めできない。(翻訳でさえ難解!)
その時代の南部独特の風潮が、フォークナーの文章の難解さに表れている様に感じられる。
また、読み始めから漂う南部独特の空気の重さ、むさ苦しさには、これからの物語にどんな展開が待ち構えているのか
興味を引く素晴らしさがあった。
しかし、ただの暇つぶし程度で読もうと思う人には、お勧めできない。(翻訳でさえ難解!)
中上健次が、フォークナーを読み終えた後、「俺は日本のフォークナーになる」と言ったという話しは有名である。確かにフォークナーなしには中上健次、そしてガルシアマルケスもありえなかっただろう。また、あらゆる表現方法を駆使した彼の文章はかなり読みづらいところもあり、大江健三郎の難解なところもこのフォークナーの影響なのではないだろうか。だが、その難解さも、フォークナーの描く圧倒的な小説世界を前にすると、この難解さが逆にフォークナーの世界を楽しむ一つのポイントとなる。
本作はアメリカ南部の架空の町を舞台に繰り広げられるある一族の崩壊の物語で、アメリカ南部の不気味な雰囲気と不条理さが伝わってくる。ただ、中上の「路地」、つまり「紀州サーガ」の世界や、ガルシア・マルケスの「マコンド」が外の世界との接触、そして広がりを持っていたのに対し、このフォークナーの描いた「ヨクナパトーファ・サーガ」は「アメリカ南部の一つの町」の中で自己完結してしまっているような感が否めない。だがなにはともあれ名作。
→この本の書評を書く





