金沢;酒宴 (講談社文芸文庫)
|
普通の文学史などには出てこない小説を傑作だと呼ぶことは一種の快感であろうがそれがただ自分は他の連中には味わえない楽しみを知っているのだぞと誇るためになってしまうとあまり面白くなくて吉田健一を絶賛するということにはいくぶんかその傾きがあってしかも吉田茂の息子だったりするから最近流行の貴種好みにもあっていてさらに和漢洋の知識に通じているというと石川淳のごとくそれだけで崇拝してしまう人もいてそういう人がたまたま吉田健一を絶賛したりして通ぶってみせるのであるが吉田の晩年の文章というのは異常なもので最初読むとたいていの人は驚いてちょっと文学通ぶりたい人は褒めるのだけれどいくつか続けて呼んでいくとまたかよ吉田先生飽きたよと言いたくなるところもあってしかも酒と美食と骨董に興味のない人間にはどうでもいいようなことが割合あって実はさして面白くなく何なら金沢へ行くときに飛行機など使わず越後湯沢あたりからほくほく線に乗り換えて行きながら車中で読むのにはいいだろうが忙しい現代人が仕事の合間に読むような小説ではないんではないかと思うそんな小説なのである。
美食家として人気が出たのは、みんなが親しむきっかけとして悪くはないが、その後ぜひ「小説」にたどりついてほしい。
翻訳者としても多くの業績があり、随筆家としても一流には違いないが、小説作品をどれか一つでも──とりわけ本書収載の作品を読むと、根底から評価がくつがえる。
他の誰も書くことのできない、独自のスタイルをきわめた小説です。
センテンスが長いのは、翻訳を手がけてきた所為もあるかもしれないが、この文体でなければ、この「時間感覚」を書き切ることは難しいのかもしれない。何作か読んで馴染んでくると、一種の中毒症状をきたしますね。自分で書くときに、つい真似をしてしまう。
あなたも、ぜひ、真似た文体で何事か綴ってみてください。
これは、一種の「快感」です。
翻訳者としても多くの業績があり、随筆家としても一流には違いないが、小説作品をどれか一つでも──とりわけ本書収載の作品を読むと、根底から評価がくつがえる。
他の誰も書くことのできない、独自のスタイルをきわめた小説です。
センテンスが長いのは、翻訳を手がけてきた所為もあるかもしれないが、この文体でなければ、この「時間感覚」を書き切ることは難しいのかもしれない。何作か読んで馴染んでくると、一種の中毒症状をきたしますね。自分で書くときに、つい真似をしてしまう。
あなたも、ぜひ、真似た文体で何事か綴ってみてください。
これは、一種の「快感」です。
これは、傑作です。驚いた。最初、何だよ、これ、って感じで、その文章の冗長さに呆れながら、そのインテリジェンスの匂いぷんぷんする言葉の晦渋さに、怒りながら読んでいったのだけれど、次第に圧倒されていってしまった。
怖れいった。その晦渋さ、インテリジェンスも、その理由が読者に納得させるだけのものが、作品の中にちゃんと描かれてある。そして作品自体面白かった。自分の文学観が、少々変更されるぐらいの、ちょっとした衝撃があった。
東京の神田に住むある中年の男が、不意に金沢に移り住む。永住するのではなし、気ままに赴き、一軒の家を借り、様々な人を訪ね歩く。とにかくこの内山と呼ばれる主人公は、アイデンティティの一切を最初から喪失している。そして「時間がたたせるのではなくてたつものであること」において、その〝金沢〟という停止した時空で、ヨーロッパ/東洋という対立の軸を根本とした、あらゆる事態の融合を、茫漠と広がった目の前に風景に観る。
七〇年代日本の、傑作中の傑作の小説。



